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けれど響は、何もなければこのまま用務員さんの正体は伏せておくべきだと思っていた。娘の若菜さんのことで辛い思いをしたからこそ、名前を変えたのではないかと思ったから。
しかし、だからこそ一番わからない。
「どうして、俺たちを閉じ込めて火をつけたんですか? 本の『呪い』を本当にするため、とかじゃないですよね?」
響の言葉に、藤島は再び「あーはっはっは」と大きな声で笑い出した。
遠くから聞こえてきた小さなサイレンの音を掻き消すような、大きな大きな笑い声。
しかしひとしきり笑うと、藤島はまたピタリと口をつぐむ。そして、フゥーーッと、唇を尖らせて細い息を吐き出すと、視線をピタリと響に向けて静かに言った。
「……『呪い』なんて、あるわけがないでしょう」
そう言うと、諒の首に回していた腕をより強く締め上げるようにグッと上げる。
「……うぅ」
苦しそうな声が諒の口から小さく漏れた。このままでは本当に首が折れるか、窒息死してしまう。
「やめてください!」
「この子から聞いたでしょう、あの本が存在する理由を」
響の言葉などお構いなしに藤島は話を続けた。
諒から『わかるの本』の秘密について聞いたのは保健室。どうやらあの時、藤島も保健室の外で話を聞いていたらしい。
「それは……イジメていた子たちに反省を促すため、ですよね」
「ええ、表向きはね。それらしい感動的な理由でしょう?」
「表向き?」
「ええ。でも本当はね、復讐する相手を見つけ出し、どのくらいの罰を与えるべきか、測るための本だったんですよ」
藤島は若菜さんが亡くなり、悲しみの中『わかるの本』を出版した後すぐにその出版社を辞め、県内の小中学校を用務員として転々としたそうだ。
「どうしてそんなことを?」
「決まってるでしょう、イジメていた子ども達がどんな顔をするのか、見るためですよ」
娘のため、家族のため。編集者として毎日一生懸命働いていた。
そんな自分の生き甲斐とも言える娘が、イジメの果てに自殺してしまうなんて、到底許せるはずがない。
他人を殺しておいてなお、のうのうと生きている人間に罪をつきつけ復讐する。
これは天罰であり、呪いである。
それだけを生きる目的として本を作り、実行に移した。
「ものすごく反省して、直接謝りに来たのはこの子の母親だけだった。……ほかは酷いものだったよ」
ある者は、本の内容がかつてイジメていた若菜さんの日記だとわかって笑い飛ばした。
ある者は、イジメていた子が自殺したことをまるで武勇伝のように周りに語り聞かせた。
ある者は、悪いことをした意識が微塵もなく、ただただ楽しく懐かしい思い出だと語った。
ある者は、そんなヤツもいたなぁと笑い、転校した先で新しいターゲットを見つけて、趣味や日課のようにイジメを繰り返した。
「ああ、若菜はこんな奴らのせいで、短い人生を終えたんだなぁと思ったら、もう許せなくてね」
苦虫を噛み潰したような顔で、藤島はそう語る。
「じゃあ、そのイジメっ子たちが事故に遭ったりしたっていうのは、もしかして……」
「ええ、復讐ですよ。当たり前でしょう『呪い』なんてあるわけがない」
藤島は吐き捨てるように、あっさりとそう白状した。
「イジメていた子は全部で五人。彼女たちはそれぞれ事故に遭ったり亡くなったりしてる。もう復讐は終わったんじゃないんですか?」
「……そう。最初は五人だけで終わるつもりだったんです。ですが、予定外のことが起きてしまってね」
「予定外のこと?」
「ええ。若菜とは関係のない子たちが、私にたどり着いてしまったんですよ」
それは奇妙なタイトルの本に、興味と好奇心を抱いた中学生の男の子だった。
事故を報じた古い新聞や、当時はまだ存在していた『わかるの本』の出版社。それらから色んな情報・痕跡を集めて順番に探してたどってきた彼は、まだ『藤島哲』だった自分にたどり着いてしまったのである。
そうしてたどり着いてしまったその子は、藤島にこう言った。
『イジメていた子たちが事故に遭ったり死んでしまっているそうなんですが、これは果たして偶然なんでしょうか』
聞かれた藤島はその時、知らないふりをしたらしい。イジメていた子達が、みんな事故に遭ったことさえ知らないと言ってのけた。
けれど、その子が犯人としての自分にたどり着くのも、きっと時間の問題。
「じゃあ、復讐を隠蔽するために……?」
「ええ。彼に大ケガを負わせて『本の真相に辿り着いたら呪われる』という噂も流しました。本をそれぞれ処分してもらえるよう、たとえ残っていても近づく子どもが現れないように、と」
そうして藤島の思惑通り、ほとんどの学校で本は処分され、小さな都市伝説や七不思議の一つとして存在が残された。
「それから名前を変え、星之峯に戻ってきました。おかげでその後は平和に過ごしていましたよ。『わかるの本』のことも、もうみんな忘れたと思っていたんですがね……」
復讐を終え、娘が大好きだった学校で静かに余生を過ごす。
それで十分だった、はずなのに。
「俺たちを閉じ込めて火をつけたのも、隠蔽するためだったんですね」
「はい。『わかるの本』の呪いは、絶対にしておかないといけませんから。それなのに──」
言葉を区切ると、藤島は未だ燃え盛る旧校舎の三階を見上げる。
「まさかあのカーテンをロープにしてしまうなんて。せっかく奥側の窓は開かないよう全部潰しておいたのに、よく叩き割れましたねぇ」
「……え?」
脱出のために窓を割ったりはしていないのだが、藤島はそれに気付いてはいないようだ。
──やっぱり、窓はどこも開かないはずだったんだ。
どうして一番奥の窓だけ開いたのかは分からない。しかし今は、そこについて考えている場合ではない。
ずっと首を絞められているせいか、諒の顔色が悪くなってきたのが気がかりだ。