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6-3

「……諒くん!」

「はなせ! はなせよ!」

 諒も懸命に動かせる手を振り回して抵抗するが、用務員さんはいつもの笑顔を顔に貼り付けたまま。

 逆にその様子が、とてつもなく恐ろしいものに見えて仕方がない。

「待ってください!」

 響が叫ぶと、用務員さんはゆっくりとこちらに顔だけを向ける。

「……どうしたんですか? ケガをしているでしょうから、保健室に運ぼうとしているだけですよ」

 にこやかに、当たり前のことのように用務員さんが言った。

 確かにこの現状、傍から見れば正しいセリフだろう。しかし、身体の向きがどう見ても、保健室のある新校舎のほうではなく、このまま旧校舎裏手の奥にある、背の高い雑草の生えた先の向こうへ連れて行こうとしているようにしか見えなかった。

「嘘だ!」

 同じように思っていたのだろう、薫が大声で叫ぶ。

 そして、信用できない理由がもう一つ。

 自分たちがこんな脱出劇を繰り広げる羽目になったのも、音楽室が火事になったからだ。そして火事が起きた一番の原因は──。

「……音楽室に火をつけたのは、用務員さんですよね?」

「さて、何のことでしょう?」

 用務員さんは、目尻にシワを増やした笑顔で小首を傾げた。

「忘れ物を探すのに少し時間がかかってしまって。ようやく旧校舎へ戻ったら三階から火が出ていたのが見えたものですから、急いでこちらに来たんですよ」

 その言葉に、響はふぅ、と小さく息を吐く。

 だって、これで色んなものが確定してしまった。

「じゃあ、どうして()()()に来たんですか?」

「……はい?」

「意図していない音楽室からの出火なら、普通に考えて出入り口から避難するはずですよね。それに、今旧校舎で出入りできる場所は昇降口だけですから、()()()()()()()()昇降口に行くはずです」

 用務員さんは特に反論もせず、ただ黙って響の言葉を聞いていた。

「音楽室の出入り口は廊下側にあります。そこが燃えて塞がれたので、もし脱出できたとしたら、廊下側とは反対の裏手側。だからこっちに来たんじゃないですか? そして、音楽室の出入り口が燃えていることを知っているのは、火をつけた犯人だけです」

 頭上では、まだゴオゴオと炎の燃える音が響いている。

 響の言葉に、用務員さんは笑顔のまましばらく無言だったが、突然「アッハッハ」と大きな声で笑いだした。

 その笑い声は、どこか自暴自棄で、諦めにも似た響きを含んでいる。まるで長年隠し続けてきた重荷から、ようやく解放されたかのような。

 そしてひとしきり笑い終えると、用務員さんの表情から優しい笑顔がゆっくりと消えていく。まるで劇場の幕が下りるように、誰にでも優しくて親切な用務員さんという仮面が剥がれ落ち、その奥から現れたのは──まるで感情の全てを無くしてしまったかのような、どこまでも冷たくどろんとした虚ろな目だった。

「……喜山先生は、案外、探偵に向いてるかもしれませんね」

 朗らかさの欠片もない、低くて抑揚のない声に言われ、響は背中がゾクリと粟立つのを感じた。

「……く、このっ!」

 ようやく足が動くようになったのか、用務員さんに抱えられていた諒が手足を振り回して暴れ、掴み損なった用務員さんの手を逃れてなんとか地面に飛び降りる。

「諒くん!」

 すぐさま響達のもとに駆け出そうとしたのだが、用務員さんの手がまるで虫でも捕まえるかのように素早く、諒の腕を無造作に掴んだ。

「……うあっ!」

「どこにいくんだい、ダメだよ」

 用務員さんはそう言いながら諒の腕を乱暴に引っ張って身体に寄せると、反対の腕を首に回し、まるで締め上げるかのように上にあげる。

「……ぐうぅ」

 苦しそうなうめき声が、諒の食い縛った口の隙間から小さく漏れていた。

「諒くんっ!!」

「やめてください!」

 下手に近づくと、そのまま首を折られてしまいそうで、響も薫も一歩も動けない。

「……四年生の、一番大きい大原くんが、裏手側から職員室に向かって入っていくのが見えたんですよ。ああ、うまいこと脱出してしまったんだなぁ、と思いましてね」

 用務員さんは今までに聞いたことがないくらい感情がなく、薄暗い旧校舎の裏で聞くには背筋の寒くなるような声をしていた。

「ちゃんと、綺麗に掃除しておかなければと思い、こうして急いできたんですが」

 ()()というのは、きっと自分たちを始末するという意味だろう、と響は直感的に悟る。

 本当なら自分たちは、旧校舎の三階で四人仲良く死んでいる予定だったのだから。

 星之峯小学校に伝わる七不思議『わかるの本』の『秘密』を知ってしまった『呪い』の犠牲者として。

「……もう、やめてください、鈴村さとるさん。──いえ、藤島(さとる)さん!」

 響が静かに、力強くそう言い放つと、感情の消えていた用務員さんの顔が驚きの色に変わっていった。

「……喜山先生は、私にたどり着いていたんですね」

 頭上ではまだゴオゴオと、炎と灰色の煙が激しく立ち上がる音がする。

 旧校舎の音楽室で、七不思議調査のための実験をしてもらい、取材が終わればみんなで仲良く帰れるはずだった。

 それなのに、音楽室に火をつけられて命からがら脱出し、今は火をつけた犯人──グレーの作業服に帽子を被った用務員さんと対峙している。この、どうしても自分たちに死んで欲しいらしい用務員さんは、イジメを苦に自殺したが、事故死とされてしまった藤島若菜さんの父親・藤島(さとる)さんなのだ。

「鈴村さんは、やっぱり若菜さんの父親の、藤島さんだったんですね」

「……いつ、気付いたんですか?」

 さっきまで感情の見えなかった表情と打って変わり、藤島は目をまるく見開いて驚いた顔をしている。

「最初に違和感を持ったのは、若菜さんが事故死したと報じられた新聞記事を見た時です」

 三階のトイレで若菜さんの話を聞いた時、藤島と若菜さんは『毎朝通勤時間に顔を合わせて挨拶をする程度の知り合い』だと言っていた。

 けれど、同じ地域に住み、挨拶をする程度の知り合いであった場合、若菜さんの顔は知っていても、名前など知らないはず。

「新聞記事に写真はなかった。顔見知り程度だったのに、写真のない新聞記事を読んだだけで、どうして挨拶をしていただけの子が、事故死した子と同一人物だと分かったんだろうって」

 顔と名前を知っているなら挨拶をする程度の仲、ということはあまりない。普段から挨拶をする以外にも接点がある場合が多く、彼女の血縁者もしくは親しい親族の可能性もある。

 それなら、彼女がどんな子だったのかを言えることも多いはずなのに、語られなかった。だからこそ、妙な違和感を持ったのだ。

「次に違和感を持ったのは、商店街でたまたまあなたが『テッちゃん』と、名前と関係のないあだ名で呼ばれているのを見かけた時です」

 最初は結婚をきっかけに改姓し、旧姓に『テツ』と読める字が入っているのだろうと考えた。しかし、『シゲちゃん』と下の名前の愛称で呼ぶような相手が、苗字のほうをもじって呼ぶだろうか。

「改名する人は、改名前の元の字を残す人が多いそうですね」

 だから『漢字を読み間違えられるから』という理由で、元の字の読みだけの名前に改名したのではないか。

「そうやっていくつかの違和感に気付いてから、注意深く藤島さんを見るようにしてみたんです。そしたら、私物として置いてあった本、全部『わかるの本』と同じ出版社のロゴがはいってて……」

 特徴的な、波打つラインが六本、格子状に組み合わさったロゴを冠した本達。すでに出版元はなく、増えるはずがない。

「それに、薫のノートの誤字をあっさり指摘していたり、ものすごいペースで過去の日誌を読み切ったり。普通の人なら出来ないことをやってみせた」

 けれどこれらは、かつて編集者であった人間なら、納得のいく能力だ。

 響の説明を聞き終わった藤島は、空いている片手で顔を覆う。

 まるで聞いた話をじっくりと反芻しているようだった。

「……そう。『(さとる)』の字は、一般的には『テツ』と読まれるからね。だからあだ名が『テッちゃん』になったんだ」

 そう言って、藤島は喉を小さく振るわせるように笑う。

「ああ、そうか。そんなタイミングで会っていたなんてなぁ」

 シゲちゃんにもっとちゃんと、あだ名で呼ぶのをやめるよう言っておくべきだった、と困ったような愚痴のような言葉が小さく溢れた。

 色んな違和感と観察で、響は用務員の鈴村さとるが『わかるの本』の編集者・藤島哲だと辿り着いたのである。

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