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5-5

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「おや、鈴村さん」

 星之峯小学校の用務員である鈴村が、普段の退勤時間より少しだけ早くグレーの作業着から通勤用の私服に着替え、職員用の昇降口に向かうと、外から戻ってきたところらしい小柴先生と出会した。

「ああ、小柴先生」

「今日はお早いですね」

 そういう小柴先生の手には、小学校を出てすぐのところにあるコンビニのビニール袋が握られている。どうやら残業時に食べる軽食でも買ってきたらしい。

 先週やってきた教育実習生は、小柴先生が担当する四年三組で実習を行なっていると聞いたので、きっと教育実習用の準備などもあって大変なのだろう。

 鈴村はいつものように、目尻にギュッとシワを増やして笑った。

「ええ。今日は妻の月命日なもので、霊園のほうに行きたくて」

「ああ、そうでしたか。お気をつけて」

「はい、それでは」

 小柴先生は小さく会釈を返した鈴村が昇降口のドアを出て、正門のほうへ歩いていくのをなんとなく見送る。すると廊下を誰かが歩いてくる音が聞こえてきた。

「あ、小柴先生。戻られたんですね。ボーッと立って、どうされました?」

 職員用トイレのほうからやってきたのは雪野先生。

「いや、鈴村さんと少し話をね」

「え? ああ。今日は帰られるの早いんですね」

 雪野先生がそう言って昇降口のドアのほうへ視線を向ける。大きなガラスドア越しに、よく見るグレーの作業着とは全く違う、紺のジャケットを羽織った鈴村の遠ざかる背中が見えた。

「奥さんのお墓参りに行くそうだよ。月命日なんだって」

「へえ、鈴村さんって奥さん亡くなってたんですか?」

 初めて聞いた、という顔で雪野先生が驚く。雪野先生はまだ星之峯に赴任して二年目なので、知らなかったようだ。

「うん、星之峯にくる前にご病気でね。鈴村さんも奥さんも、以前は隣の市にいたそうなんだけど、二人ともここ出身らしくて。奥さんを地元のお墓に入れてあげたいからって、戻ってきたそうだよ」

 これはずいぶん前、教職員だけで食事をした席に珍しく鈴村がいた時があり、小柴先生はその時に聞いた話である。

「そういえば、お子さんとかの話も聞きませんね」

「あー、確か娘さんが一人いたとか聞いた気がするけど、どうだったかな。あまり自分のことを話さない人だからなぁ」

 鈴村は学校では大変有能な職員で、あらゆる工具の扱いに長けており、年齢を感じさせない腕力と体力のある人だ。それでいて子ども達にも親しまれる性格と笑顔を持っていて、小学校の『用務員のおじさん』という姿が大変よく似合う。

 しかし、そんな親しげな人ではあるが、あまり自分の家族や以前の仕事については話さないので、大抵の人が細かいことを知らない。

「まぁ、子ども達を大事にしてくれる人だからね」

「そうですね」

 そんな話をしながら、小柴先生と雪野先生は職員室へと戻っていった。



 小学校の前にあるバス停から、駅とは反対方向に行くバスに乗って十五分。

 見晴らしのいい、直線道路になっているなだらかな坂を上がりきった先。建物自体が少なく静かで、街路樹の他に植えられた緑の多い区画にその霊園はある。

 出入り口近くの花屋で白い百合の花束を買うと、鈴村は『西門』とプレートを掲げた、意匠の凝った背の高くて黒い鉄製フェンスのゲートを通った。出入り口付近にある参拝者用のバケツ置き場でバケツと柄杓を借り、水を入れて砂利石の敷かれたグレーの通路をゆっくり歩く。

 空は淡い水色に晴れていて、梅雨であることを忘れそうだ。鈴村はマス目状に綺麗に整理され、いくつもの墓石が立ち並ぶ合間の道を、百合の花束とバケツを抱えて奥へと向かう。

 通路の砂利石をジャッジャッと踏み締めながら歩いていると、向こうから黒いスーツを来た男女が歩いてきた。特に顔見知りでもないが、すれ違う時には互いに小さくお辞儀をする。

 向こうはまだ年若い夫婦のようだったが、女性の方はチラリと見ただけでも分かるくらい、泣き腫らした顔をしていた。

 ここは、そういう場所なのだ。

 霊園を奥へ奥へと進み、ようやく『鈴村』と書かれた墓石のもとに辿り着く。

「……やあ、今月もきたよ」

 軽く手を合わせてそう言うと、花筒に残った枯れた花を取り除き、墓石に水をかけて軽く磨き、新しい花を供えた。自分の背丈より一回りほど小さい、灰色の墓石の横には、同じ色の石で作られた小さくて四角い石板──墓誌が立ててあり、そこには二名分の記載がある。

「最近、教育実習生の子がきていてね。新聞委員の取材を手伝って、よく尋ねてくるんだ」

 掃除を終えて線香をあげた後、鈴村はいつものように墓石に話しかけていた。

「すごく真面目でいい子でね。子ども達のために一生懸命で……。私もついつい、手伝いすぎてしまうんだ。果たして実習になっているのかどうか。君はどう思う?」

 帰宅しても話す相手などいない。こうして毎月、墓に眠る家族に最近の出来事を話すくらいだ。これがもう当たり前になっていて、他人に自分のことを話す機会はほとんどない。

「……私は、もしかしたら間違っているのかもしれないね。でも、これは仕方がない。仕方がないことなんだ」

 鈴村はまだ明るい水色の空を見上げ、自分に言い聞かせるように呟いた。

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