04 智紘の決意
大学に入学し、二年が経った。
俺は、あれから一度もしいなさんに会っていない。
帰省する度に店の外から彼女を覗いてはいるが、中に入ることはしない。
彼女に気持ちを伝える方法を見つけるまで、会わないと決めたから。
そう決意したものの、"その時"は想定していたよりもだいぶ先になってしまいそうだった。
二一二四年現在、しいなさんのようなアンドロイドは世界中で稼働していて、当たり前のように俺たちの生活に溶け込んでいる。
アメリカでは、アンドロイドとの婚姻が認められている州もある。
同時に、俺たち人間の"機械化"も当たり前になってきた。
肉体をサイボーグ化し、半永久的に生き長らえる身体を手に入れた人間は、世界人口のおよそ一〇パーセント。
まだ一部の富裕層にしか手が届かないが、いずれもっと広まっていくだろう。
これだけアンドロイドや機械化が当たり前の世の中だというのに、俺が求める"人間の感情をアンドロイドに伝える研究"は、全くの未開拓分野だった。
くそ……認識が甘かった。
これではしいなさんに会うのに、あと何年かかるんだ?
「──良いじゃないか。前人未到の道を切り拓く! いつの時代も先駆者とは、そういうものだぞ?」
そう言って、目の前で笑う初老の男性。名を、秋葉豊という。
しいなさんたち『オーダロイド』の開発にも関わった、日本のAIテクノロジーの第一人者であり、この大学に研究室を持つ教授だ。彼がいたからこそ、俺はこの大学に絶対に入るのだと決めた。
教授の研究室の中、俺はため息をつき、
「別に先駆者になりたいわけじゃないですよ。ただ、好きな人に『好き』って伝えたいだけです」
「好きな人、ねぇ……何度も言うが、君は実に変わっているな」
秋葉教授は、白色混じりの髭を掻きながら俺の顔を覗き込む。
「世界の人口が減少し、人類はいよいよ『繁殖』という手段を捨て、機械化による『不死』の領域へ踏み込むべく進化し始めている。そのため、自身の遺伝子を交配によって残そうとする欲求……『性的欲求』を持たない人々が増加しているわけだが」
「それは……知っています」
「うむ。何を隠そう、君自身がそうだからな」
……そう。
俺には、生殖行為に対する欲求……『性欲』がない。
今、日本人のおよそ三千人に一人が、この先天性異常を持っていると言われている。
教授曰く、『異常』ではなく『進化』らしいが。
教授は「しかし」と言葉を続け、
「彼らに共通して見られるのは、『恋愛感情』も持たないということだ。友情や親愛とは異なる、性的な愛欲……繁殖相手の選別とも言えるこの感情は、もはや彼らには必要ないからね。だが」
教授は、俺の胸を人差し指で押しながら、
「君にはその『恋愛感情』だけが残っている。だからこそ、繁殖が不可能なアンドロイドに恋をし、一途な想いを抱き続けているわけだ。世界的に見ても非常に稀有な存在だよ」
「それ、何度言われてもピンとこないんですよね。『性欲』がない人間が、『恋愛感情』を抱けないなんて……本当にそうなんですかね」
「自分の首を絞めるような発言はやめたまえ。君がやろうとしているのは、つまりはそういうことだろう?」
俺は首を傾げて教授を見返す。
教授は、少し居住まいを正してから、
「つまるところ人間の感情は、その人間にしかわからない。しかし君は、『感情』を持たないアンドロイドに『愛情』を伝えようとしている。それが如何に難しい道なのか……想像に難くないだろう」
「…………」
確かに、そうだ。
『性欲』がどんな衝動なのか、これまで散々調べて、知ろうとしてきた。
けど、知識が身につくばかりで……その気持ちを自分のものとして認識できることはなかった。
俺が、しいなさんにしようとしているのは、そういうことだ。
わかっていたはずのことをあらためて突き付けられ、思わず口を噤む。
そんな俺の肩を、教授はポンと叩き、
「だがな、今のはあくまで人間同士での話だ。君が想いを伝えたい相手はアンドロイド。だからこそ、できることがあるかもしれない」
そう、悪戯っぽく笑う。
俺が「え?」と聞き返すと、
「私の学会仲間が、最近面白い研究をしていてね。人間の意識だけを抜き出し、それをロボットの中に入れ不老不死を目指す、という……これを君の夢に応用できないかなと思って」
「応用……?」
「そう。アンドロイドに『恋愛感情』を学習させることが難しいのなら、君自身がデータになって、彼女の中にダイブするんだ。そうすれば直接、想いを伝えられる。どうだ? 興味はないか?」
と、口の端を吊り上げながら、言った。
俺の意識を、彼女の中に入れる……?
確かに、それが可能なら……これ以上素晴らしい方法はない。
ずっと思っていた。
人間とアンドロイドは、もっと対等であるべきなのではないか、と。
アンドロイドのいる生活が当たり前になった現代、彼らを利用した犯罪もまた、当たり前のものになってしまった。
彼らを巻き込んだ詐欺や強盗、殺人、女性型アンドロイドが性犯罪に巻き込まれる事件も後を絶たない。
それらは全て、アンドロイドが人間の道具であるという認識が蔓延しているからだ。
彼らは、俺たち人間の手によって"知能"を与えられている。
それは"感情"とは違うかもしれないが、思考することができるという意味では限りなく人間に近い存在だ。
もしかすると悲しみや罪悪感に似た思考を抱くことだってあるかもしれない。
もっと対等に、尊重されるべき存在なのに。
彼らを護る法律はなく、あくまで消耗品として扱われている。
それでも彼らは、俺たち人間にために一生懸命働いてくれる。
その姿が、悲しいくらいに美しく感じられて。
だから俺は、アンドロイドであるしいなさんに……恋をしてしまったのかもしれない。
……いや、正直に言おう。
あれは一目惚れだったんだ。
確かに隣にいたオーダロイドも全く同じ顔をしていた。けど何故か、あの四番カウンターにいたしいなさんのことを『可愛い!』と思ってしまったんだよな。
不思議だ。けど、きっと人間同士の恋愛も、こういう説明できない部分ばかりなのだろう。
とにかく俺は、しいなさんが好きだ。
だから、気持ちを伝えたい。
そのために、俺は今までしいなさんに『わからせよう』とばかりしてしまっていた。しいなさんを人間に寄せようとしていた、って言うのかな。
それを、今度は彼女に合わせた方法で気持ちを伝えることができるなら……これ以上素晴らしい方法はない。
だから。
「とても……興味深いです」
俺は、俺の意識を彼女の中に入れるという提案に対し、そう返事をした。
それに、教授は目を輝かせ、
「おぉ、そうか! では、君をプロジェクトに参加させて良いか聞いてみよう。ちょうど『実験』に協力してくれる人材を探していたんだ、きっとオーケーがもらえるぞ」
と、俺の肩をバシバシと叩いた。
……ありがたい話だ。
この大学に入って、秋葉教授に懇意にしてもらえて、本当によかった。
俺は、どんな方法を使ってでも伝える。
この、『好き』の気持ちを。
いつか絶対、しいなさんに──