魔の森へ〜ロイとマリア・それぞれの覚悟〜
日中にもかかわらず陽の光の届かない、瘴気の澱む森の中。
先頭にマリアとロイ。
アルフォンスとレティシア、ニールは真ん中。
殿はディードとエミリア。
その周囲を騎士達が囲み、警戒しながら薄暗い森を進んでゆく。
聖女の祝福のおかげで、僅かに息苦しさを感じるが、毒による影響は中和されている。
しかし本物の霧のように、足元さえ見えない状況。
一歩進むごとに、警戒心は強まっていく。
……一刻も早く妖魔樹の元へ辿り着きたい。
そんな焦りを抱えながら一向は、ゆっくりと進んでいった。
はぐれないよう、互いに声を掛け合いながら道無き道を進んでいたのに…。
気がついたら隣を歩くマリア以外、誰の声も聞こえない事に、ロイは愕然とした。
ディードもエミリアも、アルフォンスもレティシアも、ニールも騎士達も忽然と姿を消したのだ。
「スカイフィールド様…この先どうしましょう?」
困惑を隠せないマリアに
「まぁ、進むしかないよな。
こうなった以上、信じられるのは自分だけ。
己の勘を信じて進むさ」
闇雲に探し回って、体力と時間を無駄にする事は出来ない。
それに彼らなら…必ず妖魔樹の元へ辿り着いてくれる筈。
——上の不安は下を動揺させる。
——不安な時ほど笑え!
ふと思い出したミツルギの言葉は、この状況下にピッタリで。
不安を綺麗に押し隠し、ロイはニヤリと笑って見せる。
しかし…マリアはこの森の「意図」に不安と…違和感を抱いていた。
***
やがて2人は大きな湖の前に出た。
相変わらず瘴気が立ち込める中、水面が2人の姿を鮮明に映し出す。
その事に、マリアはまたしても違和感を感じた。
——この辺りに湖なんてあったか?
ロイもまた、突如現れた湖に違和感を感じていた。
幻覚の類いを疑うが、触れた感触は確かに水そのものだ。
…その時。
水面に1人の男性の姿が映った。
「…カイル」
血の気の引いた顔で呟くマリア。
それは全身傷だらけの前勇者だった。
とっさに振り向くが、後ろには誰もいない。
ロイも剣の柄に手をかけ、様子を伺う。
「…マリア、役立たずの聖女」
「あの時、お前の命を救ったのに…お前は助けてはくれなかったな」
「何故ここにいる?今は何の力もないお前が」
「勇者になどなりたくはなかったのに。
何故辛い思いをして、あげく死ななければならなかったんだ」
一方的に投げつけられる言葉の礫。
悪意と憎悪に満ちているそれらを、マリアは真っ青な顔で受け止めていた。
「おい、大丈夫か?」
「えぇ、本人の顔で言われると…少し、堪えるけど」
——確か、前勇者は亡くなっていた筈。
思い出したロイは、剣を抜く代わりにマリアの肩を抱いた。
「アンタだって憎いだろう?
こんな望まない役割を押し付ける世界は」
前勇者の問いに、マリアは頭を振った。
「確かに、望まない役目を押し付ける世界を疎ましく思った事はあります。
でも、ある方に言われたのです。
私が嫌えば世界も私を嫌うだろう、と。
私にだって守りたい人はいる。
手を差し伸べ助けてくれた人がいるし、辛い事、悲しい事ばかりではなかったわ。
だから完全に嫌いにはなれなかった。
何より、この世界は彼が守りたかった世界でもあるの。
彼が果たせなかった事を、彼の思いを、何も出来なくとも…見届けたい。
それが生き残った者の責務だと思うから」
肩を支えてくれるロイの掌の温かさが、力を…勇気を与えてくれる気がして。
マリアは水面のカイルを静かに見据えた。
「私の知っているカイルは、自分の運命を受け入れていた。
流されるのではなく、切り拓く意地と勇気を持った人だった。
偽者の言葉で今更傷ついたりしない」
清々しいほど真っすぐ前を見つめ、言い切ったマリアをロイはどこか眩しげに見やった。
水面のカイルの顔が醜く歪み、不意に姿を変える。
「父、上」
次に現れたのは、初老の男性。
その姿にロイが呻く。
それはスカイフィールド元侯爵、折り合いの悪いロイの父だった。
記憶の中そのままに、居丈高に振る舞う父をロイは苦々しく見つめる。
厳しい父は、もしかしたら不器用な人だったのかもしれない。
ロイを叱咤する事で鍛え、導こうとしたのかもしれない。
今だからこそ、そう思えるが…当時はいくら努力しても、褒められる事も認められる事もない毎日が、苦痛でしかなかった。
騎士として名を功を挙げ、ミツルギの後継となった時も、お前ごときがと見下すように言われ、ロイの中で何かが切れた。
——貴方に認められたかった。
——たった一度でいいから、良くやったと褒めて欲しかった。
確かに父の存在が起爆剤となり、一層精進したからこそ、騎士団団長にまで登りつめる事が出来たのかもしれない。
恨んではいないが…自分の尺でしか物事を判断しない父が好きではなかった。
しかし騎士団団長の任に就いた数日後、落馬が原因で父は呆気なくこの世を去った。
水面に映る父は、相変わらず役立たずだの不甲斐ないだのと罵り、そんな親不孝な息子など要らなかったと悪態をつく。
一方的な物言いに、ロイは1つ息を吐くと静かに問うた。
「言いたい事はそれだけか?」
声を荒げた訳でもないのに、その迫力にマリアの肩がビクリと跳ねる。
「貴方が何を言おうと、私の信念は変わらない。
不甲斐なくとも力及ばずとも、国と民のために尽くす。
騎士としてそう誓ったのです」
優しげな顔を見せたかと思うと、ふざけた言動をしたり。
そうかと思うと冷徹な兵士の顔を見せたり。
どこか掴み所のなかったロイの、揺るぎない信念とそれを貫こうとする姿勢に、マリアは初めて彼の本質を見た気がした。
関節が真っ白になる程握り締められた拳に、そっと手を伸ばす。
どれ位、時が経ったのだろう。
気が遠くなるほど長かったような、ほんの一瞬だったような。
気がつくと湖は消えて無くなっていた。
無意識のうちに強張っていた身体からフッと力が抜け、2人は深々と息をついた。
「よく、頑張ったな」
「ありがとう、貴方が隣にいてくれたからよ。
それにしても…なかなかのお父様だったわね」
「昔から頑固で、自分が正しくて、周りが合わせるのが当然で、思い通りにならないと癇癪をおこして…いい反面教師だったよ」
「愛し方を間違えたのね、きっと」
肩を竦めたロイと困った顔をするマリア。
互いに顔を見合わせ、2人は苦い笑みを浮かべた。
それは互いの過去を、図らずも覗き見してしまった罪悪感と、悪意を毅然と跳ね除けた事への敬意の混じった複雑な笑みだった。
しかし互いの過去を共有した事で、自然と距離も縮まり、言葉遣いも砕けたものになる。
「それにしても驚いたわ、妖魔が精神攻撃を仕掛けてくるなんて」
「やはりそういう事か」
7年前は物理的な攻撃しかなかったのに。
得体の知れない予感が2人を包み込んでいた。




