消せない痛み〜マリア〜
かつて共に妖魔討伐の旅に出たカイルの死から7年。
多くの人々と勇者の犠牲の上に築かれた平和だったが、それも長くは続かなかった。
***
…あの時、カイルの一撃は妖魔樹の核を砕く事に成功。
その後、討伐は成功したと王自らが宣言し、確かに妖魔の侵攻は止んだ。
けれど、それはあくまで表向きの事。
消滅を確認できなかった以上、いつまた妖魔樹が復活するかわからない。
王は、力を失った私の代わりとなる聖女の選出を急ぐよう神殿に命じた。
——こんな形で聖女の任を降りる事になるなんて…。
予想だにしなかった事態に、胸が痛まなかったといえば嘘になる。
けれど当時の私は、過酷な討伐の旅と勇者を救えなかった自責の念でボロボロだった。
——なぜ彼を救えなかったのか。
癒しの聖女などと呼ばれるうちに「救う」事は私にとって当たり前の事となっていた。
そう。
妖魔に襲われ壊滅した町や村で、儚く消えていく命の灯火を数多く見てきた。
いくら力を尽くしても、救えない命の方が圧倒的に多かった。
脂の焦げたような匂いと錆びた鉄のような匂いが混ざり合い、ツンと鼻をつく。
赤く染まった大地は、所々乾いてどす黒く変色している。
跡形もなく崩れた瓦礫。
かつては民家だったであろう焼け跡に、黒く細い物が見える。
目を凝らし、それが人の手であるとわかった瞬間…ぐぅっと込み上げてきたものを必死に堪えた。
ありえない角度に曲がった腕を押さえ、呻く人。
膝から下がない人。
止血しても全然血が止まらず、そのまま冷たくなっていく人。
救護所となった神殿で、力を使いすぎ倒れてからは、癒しの力を使う事を制限されるようになってしまった。
——救いたい。
目の前に私を必要とする人がいるのだから。
私には…その力があるのだから。
なのに掌から砂が零れ落ちるように、人の命が容易くこぼれ落ちてゆく。
もっと!力が、あれば。
もっと早く!ここに来れていれば!
もっと!
もっと…!
けれど、我が身を顧みず力を使ったとしても、ここにいる全員を救う事はできない。
まして今私が倒れれば、新たに運び込まれる人はどうなる?
己の不甲斐なさ、歯痒さに奥歯を噛み締めて耐えるしかなかった。
だからこそ、カイルだけは何としても助けたかった。
たとえ私の命と引き換えにしても。
そう本気で思った。
妖魔樹の核が砕けたあの瞬間、彼を救う事を優先しても良い状況となった筈。
それに彼は私を助けてくれたのだ。
あの時動けなかった私の代わりに毒を受け、そのまま…。
今思えば、なんて傲慢だったのだろう。
あの時、猛毒によって彼の命の灯火は尽きた。
神ならぬ身に、生と死の理に反する事など出来る筈がない。
自分の持つ力以上を望んだとて、叶う筈などないというのに。
それが、命と引き換えであったとしても。
いつの間にか、私にとって癒しの力は拠り所となっていたのだと、その時気がついた。
それなのに…力を、私を私たらしめる要素を失ったのだ。
そのまま進むと思っていた道も、未来も、全て失ってしまった。
***
聖女の任を解かれた後は、王都から離れた小さな神殿で療養する事となった。
それは、力を失った私にかけられた温情だったのだろう。
そこでは誰も私を聖女として扱わなかった。
任を解かれたのだから、当然といえば当然なのだけど。
ただのマリアとして療養するうちに、皆の温かい心遣いと時がゆっくりと癒してくれた。
——私も…救われる側の人なのだ。
特別な力は無くとも、人を癒す事は出来る。
何か特別な事をしなくても、傷はいつかは癒えるのだ。
眠れない夜を過ごす回数は少しずつ減り、自然に笑う事が出来るようになってきた。
そんな穏やかな毎日を過ごすある日、侍女の1人が教えてくれた。
かつての仲間達が私の療養を王に掛け合ってくれた事。
折に触れ、私の様子を訪ねる手紙が届く事。
そして何かあれば力になると、必ず最後に書かれてある事。
私がゆっくり休んでいる間も、国を立て直すため奔走している仲間達。
休む間もない筈なのに…。
そんな仲間達の優しさに触れ、ようやく現実を受けとめる覚悟ができた。
***
「生きろ」
と最期に言い残したカイルの言葉を、想いを無かった事にしたくはない。
今もなお胸の奥に痛みを抱え、それでも生きているのはあの言葉があったから。
カイルの残した言葉は、枷でもあり同時に糧でもあった。
どれだけ辛くとも、逃げる事も投げ出す事も許してはくれない厳しさと。
それでも顔を上げ前を向く強さ。
全てを投げ出してしまいたい時。
後悔に押し潰されそうになった時。
溢れる涙が止まらない時。
彼の言葉に何度救われた事だろう。
何度、背を押してもらった事だろう。
王都では彼は英雄として称えられ、「世界を救った英雄に恥じぬ生き方を」と人々に希望を与えたという。
英雄なんて、そんなすごい人は知らない。
けれど…彼に顔向けできないような生き方はしたくない。
たとえ何もできなくとも。
力及ばずとも。
無様に逃げ出す事だけはしたくない。
——カイル、見ていて。
あなたに救われた命、決して無駄にはしないから。
ちゃんと…前を向いて、生きていくから。