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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Dear Moonlight 宵世界編
39/133

1-28 白銀と黒銀 1




 幼き頃の約束は大人になるにつれ、記憶の隅に追いやられてしまう。

 将来の夢はあぁだとか、大きくなったらケッコンしようとか、これを買ってほしいとか、人によって約束の内容は様々であり、この不思議な現象は時代のみならず世界すら越えて子供たちに蔓延している。

 ────彼もまた、病にも似た忘却によって幼少の思い出すら踏みにじった者だ。

 かつては苦楽を共に分かち合ったはずなのに、ほんの些細な出来事がきっかけで、隣にいた人が一番大事な存在とはかけ離れ──憎悪を煮詰めた感情を向けるようになっていた。

 一体なにが直接的な理由だったのかは分からない。

 常に傍らで笑い、右手を握り、同じ歩幅で歩いていた人。リオンの兄──レオン・ファレルがいつの日からか、彼の手を引かなくなった。

 いつ頃からの話だったかは互いに覚えてすらいない。リオンの記憶では銀腕の遺装(アーティファクト)を女王から賜った後からだったような、と確執が芽生え始めた正確な時期も曖昧になっている。

 戸惑ったのは最初の頃だけだ。その後は亀裂が拡がるのを緩やかに見守って、最後の時はもう取り返しのつかないところにまで至り、リオンは一人、幼い頃の夢を見て──忘れられてしまった──明世界へと逃げたのだ。

 運命が再び、彼ら兄弟を巡り会わせるその日まで。


「────待っていたぞ、兄上」


 しかして再会は訪れた。

 秋に消えて冬を越え、春は過ぎて夏が移ろい、幾度も月日が流れてもうすぐ三年が経とうとしていた時間の中で、リオンにはこうもどうして不運が巡るのか。

 忘れたくても忘れられない自分によく似た兄は四歳も離れているのに拘わらず、一卵性の双子のように瓜二つだ。

 違う点があるとすれば髪の癖や青いメッシュの流れ方、身に付けた魔装束(スペリオルメイル)は青のラインをアクセントにしている以外ほとんどが純白である部分くらいでほとんど着ているものの違いでしか見分けがつかない。


「待っていた……って、おかしいな。待ってたのは俺のはずなんだけど」

「兄上、昔っから小心者だろ。てっきり先の襲撃にビクついてさっさと逃げたと思っていた」

「あぁ……いや、小心者じゃないけど、アレはさすがに驚いた。リオンがいなかったらアクスヴェインなんて見捨ててたかもしれない」


 弟の名前をより強調しながら笑うレオンは挑発的な態度を崩さないまま、ゆっくりと一歩ずつ焼けた草原に踏み出してくる。彼はあくまで自分の優位性だけは主張し、銀弓(フェイルノート)の一射を警戒する素振りは見せない。

 剣使いに距離を詰められたら離れるのが常識だろうが、相手はどこに標的が逃げても四方八方から剣を喚び斬撃を撃つ常識外れの魔術師被れだ。

 いくら視えていると言っても面倒な手間は省くに限る。

 それにリオンも敵意はない。近付かれるなら構わないし、剣を納めた兄に戦う気はないことも解っている。

 要は()()()()だ。

 炎を操る新手を追ったオリオンをその新手が倒した後に二人がかりで始末するつもりなのだろう。冠位という常人ならざる称号に怯えているのかはどうでもいいが、なんとまぁ小物の部下らしい汚いやり方だ──お似合いとも言うが。


「ようやくだ。ここまで本当に長かった。あんなヤツのくだらない計画に乗っかって女のフリまでして、挙げ句シャムシエラのご機嫌取りなんてこともさせられたが……この日のためならと耐えた甲斐があったよ」


 ────と、敵の立場から見たレオンの次の策を読み取ったまでは良かったが、様子がどうにもおかしい。

 何故今現在も協力関係にあるはずのアクスヴェインやシャムシエラに対する文句と苦労話が出てくる? これではまるで世間話じゃないか。

 時間稼ぎの足止めにしては話題が軽い。そもそもレオンの個人的な愚痴などリオンが聞く耳を持つわけがないのに、彼は余裕げに頭まで抱えて淡々と話を続ける。


「俺はずっとお前に会いたかったんだ。アイツの目的に協力していればいつか七の意思は動くと解っていた。だからこうして行動を続ければ、いつか必ず宵世界(こっち)に帰ってくるって信じてたんだよ」


 ヴェールで捕らえた男から聞き出した情報をちゃんと覚えているリオンには解る。

 確かにアクスヴェインの真の目的が達成されれば、宵世界は()()()()()()()、人間には新たな道が生まれるだろうということを。それが達成されることを七の意思が許さないことも。

 レオンは七の意思が直接的に手を下さず、リオンを介することを予測した上でアクスヴェインに協力し、彼に仇なす敵全てを屠る代わりの条件としてリオンと二人きりで会う機会を寄越せと提示し、互いにこれらを承諾した。

 つまり────レオンはリオンを殺せなどと命じられたのではなく、自分の意思で会いに来ただけなのだ。


「互いの約が果たされた以上、俺はお役御免。もうアクスヴェインとはなんの関係もないただの魔術師だ。だからリオン、そんなに警戒するなよ。俺はお前の"兄上"なんだから。一緒にカエルレウムに帰ろう」


 そう、レオンはリオンにとって唯一無二の兄。

 幼少から日々を共に過ごし、お互いが持ちうる才能の全てをぶつけ合ってきた。母が両手で二人を引いて歩いたこともあり、父に叱られれば二人で泣いたこともある。

 末弟が産まれるまで二人で歩いた10年間には忘れがたき暖かさがあった。御三家の親族達にはこんな仲の良い兄弟は見たことがないとまで言われていた時期も記憶に残っている。

 全てが尊い日々であり、懐かしき思い出。

 ────()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、確かにそう思っていた。


「そうだ、兄上。お前は"兄上"だ」

「……?」


 キョトンとした顔で前進をやめたレオンに向かって、リオンは捲し立てるように言葉を繋ぐ。


「本当になにも変わっていないな。いつもいつもなにを考えているか分からない、人の心を理解しない。本心は口に出さずに溜め込んで人を傷つけて、年取って少しはまともになったかと思えばくだらない理由で騒ぎまで起こして()()()()相手に"会いたかった"と。やめろよそういうの。俺は兄上が嫌いで嫌いで仕方がないんだ。あの家に帰る気もない。だから一刻も早く、視界の外に消えてくれ。──()()()俺から奪う気なのか、兄上は」


 冷静沈着な彼の"外面"たる鉄の仮面が次々剥がれ落ちていく。

 憐れむような、蔑むような、憤っているような感情的で継ぎ接ぎだらけの本音が木々の合間に木霊する。

 途中からはもう悲鳴のようだった。

 きっとオリオンや一颯──もしかしたら華恋も聞いたことがない慟哭じみた本心の吐露は、誰かに伝わるかなど考えられてはいない。言いたいことだけをぶちまけただけで前後の繋がりすらめちゃくちゃだ。


「────あぁ、よく解ってるじゃないか。さすがリオン……俺の弟だ」


 一方レオンも開き直ったかのような口ぶりで、リオンの傍まで近付いた。


「そうだ、奪い取ってやる。お前が今生きている平穏もお前を連れ出したアイツも、やっとの思いで取り戻した幸せも──その命すらも」

「──」

「誰が裏切った、だ。裏切ったのはリオン、お前の方だろうが」


 輝きを知らない黄金がリオンの瞳を貫いた。

 裏切りに身に覚えがないはずがない、何故ならリオンは世界から逃げることで自身の弟を生け贄に差し出したのだから。

 ──彼ら兄弟はそれぞれが致命的な問題を抱えていた。

 レオンは魔力は通っているというのに魔法が使えないという擬似的な不適合者(ルーザー)。リオンは片腕を欠損した状態で産まれた先天的な障害児──後にこれが解決したことで、彼はファレルの当主となる道が開ける。

 ところがリオンは逃げ出した。相談がなかったためにレオンはその理由が分からず、代わりに当主候補になったのは更に下の三男──ジュノンだった。

 リオンとは10歳ほど離れた幼いジュノンは毎日虐待じみた厳しい英才教育を受け、才能がないレオンには見守ることも叶わなかった。

 最初の頃は辛くても笑顔を見せていたのに、日に日に笑わなくなるジュノンを見て、ある時彼は思った。──こうなったのはリオンのせいだと。

 彼が我慢して、耐えて、ファレルの家を継いでいれば今ごろジュノンは何事もなく広い世界を軽快に駆けていたのに──。

 父親へ恐れをなして逃げ出したリオンに対する怒りは膨れ上がり、ついにはカエルレウムを出てアクスヴェインと協力関係になる凶行に至った。


「俺もリオンが嫌いだ、自分のためだけにジュノンを犠牲にしたお前が。……帰ると言ったならまだ命まで取る気はなかった。でもリオンにその気はないんだな」


 少しだけ背の高い弟の薄暗い表情を見上げながらレオンは剣を抜く。

 白銀を貫く青い輝きが月を写し、伝説に描かれた美しさをそのまま宿した戴冠の宝剣はリオンの首に据えられた。


「残念だよ、リオン」


 死刑執行人のように横振りした剣は正確に、寸分の狂いなく首を断たんと風を切る。


「────全くだ、兄上。残念にもほどがある」


 声の出所は背後。さっきまで彼自身が立っていた位置から聞こえた。

 ハッとなって振り返った時にはもう遅い。

 後方僅か2m地点、左手に持った三本の矢が番えられた状態の銀弓がレオンに向けられ、オート機能でも備えているのか右手を弦に添えていないのに矢が引き絞られていき、間もなく射出された。

 防御姿勢も回避行動も許さない弩弓による超近距離射撃。

 余裕を見せていたレオンもこの不意打ちにはその姿勢を崩さざるを得ない。あわてふためき、剣を戻すが間に合うはずもなく──。


「くッ!!」


 放たれた刃はレオンの左腕と脇腹をそれぞれ掠めて森の彼方に消えていった。

 リオンにあったのは敵意じゃない。明確かつ絶対的な殺意だ。この場で必ず兄を仕留めるという確固たる決意こそが七の意思とは関係なく彼を突き動かしてきた。


「この精度じゃ正確には狙えないか……」


 吐き捨てるように一人呟く。

 魔力で生成した矢を自動射撃するのは難しいことではない。自分の魔力に直接指示を送るだけで良いのでむしろ普通に射つより効率的だ。

 しかし彼も言う通り、正確に狙いを付けるとなるとその精度には不安が残る。

 リオンは頭、首、心臓を狙ったつもりなのに当たったのは腕と腹で、一本は外したのが最たる証拠だろう。普段ならありえないミスだ。

 ……が、レオンにとっては信じられない出来事だった。ついさっきまで隣にいたリオンは誰だ。確認しようと目を向けたが、そこにあったのはただの土塊だけでそれを人間と呼ぶにはあまりに無茶がある。


「お前、いつから……!?」

「さぁな。少なくとも兄上の話は聞いていない」

「ッ……アガートラーム──神域の加護か……!」


 アガートラームに秘められた謎多き常時発動型限定開花(レミニセンス)"神域の加護"の能力とは、最上位の強化系変化魔法。

 あらゆる存在に価値や可能性、定義をもたらす。単純に言えば超強化だ。

 砂利だろうと木片だろうとこの加護を受けて魔力を通せば上位の使い魔に変貌し、先ほどのようにリオン本人にしか見えないゴーレムを造ることもできる。


「ジュノンのために俺を差し出すつもりだったとは、呆れるほど自分勝手だな。俺が言えた義理ではないが」

「リオン……お前は、お前はジュノンがどうなってもいいって言うのか!! 自分は関係ないと!!」

「もちろん。今の俺にはどうだっていい。というか……その魔法があるなら自分が当主になると父上を説得すればいいだろうが」


 レオンが完全に硬直した。これはどう見ても図星だ。

 言われてみれば他人と見間違うほど精度の高い性転換の魔法、無限に剣を召喚する魔法──どう考えても魔術師の一族を継ぐ者としては十分な上位魔法ばかりを身につけている。

 厳格が人の形をして歩いていると言われたエルシオンもこれならレオンを認めるはずだ。

 たとえ彼が"物見の心眼"を開眼できず、エレリシャスの血筋から産まれたのに"対異血脈(たいいけつみゃく)"すら発起できなくとも。 


「それができていたならとっくの昔にやっているッ!! なにも知らないクセに、偉そうなことを言うなッ!!」


 怒りに狂った輝ける剣の切っ先が、同じ伝説から流れ着いた白銀の弓と対峙する。未来を視る瞳に宿った無気力と身勝手を許すまいと自分勝手で偽善に満ちた正義を振りかざす。

 レオンが本気になったなら火を点けたリオンも手を抜く気はない。今度は確実に、しっかりと狙いを澄まして命を奪いに行く。

 これは兄弟喧嘩などではなく──正真正銘の殺し合いだ。

 どちらかが生き残り、どちらかが死ぬ。当たり前のようでありながら、兄弟同士という要素がその戦いを異様なものに変容させる。

 だとしてもリオンは一切の容赦をするつもりはない。場合によってはアーテル王城をクレーターだらけにしたあの"銀弓操作(ブラッドヴァリー)"を開帳するのも吝かではない。


 夜空の白金が見守る下で、初めての兄弟喧嘩にして忌むべき過去との決着戦が幕を開けた。

 





*レオン・ファレル

白い魔装束と白銀の遺装を携えた剣使い。

アクスヴェインの従者であり、名無しと名乗った女性は彼が変化魔法で性転換した姿。リオンによく似た男性の姿が本来のレオン。

正真正銘のブラコンで、リオンのことは愛しているがとても嫌っている。

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