1-4 紅き来訪者 1
剣を振るう。
敵を狙い澄まし、その首元に刃を突きつける。
そして容赦なく怪物の命を抉り抜く。
"簡単に腹を見せるな!! 大きく振りかぶるのは敵が動かなくなってからだ!"
竹刀を振るう。
彼が指導する通りに何度も繰り返す。
体力が尽きるまで、汗を流しながら鍛練に没頭する。
"背中にも目をつけたつもりで戦え!! 異形どもはいつ迫ってくるか分かんねえからな!!"
戦いは想像力だ、と彼は言った。
それに従い彼の姿を描いて戦ったあの夜確かに上手くいった攻撃は、次の夜から全く無意味であったことを思い知らされた。
もちろん鍛練したから少しは頑張れた。が、異形たちの姿を見ていたら体が震えてしまい、きゃーきゃーと悲鳴を上げてただ剣を振っていたくらいの記憶しか一颯には残されていない。
とはいえ一応生きている。今日も朝はちゃんとベッドの上に横たわっていた。
最初の一日が終わってからは改めて彼の狂気的な強さ、攻撃力の高さに震撼した。
体格的にはどう考えても一颯より軽くて弱そうなのに、実戦訓練なんてした日には秒で首元を捉えられていた。スピードまでおかしい。
一体何が違うのか、オリオンを見れば一目で分かる。ただ鍛えているからとは違う部分が。
彼は異形を恐れない。自分に牙を剥く化け物たちに対する恐怖をまるで感じていない。
一颯に同伴する際には魔装束だけ身に付けて武器は持たない。手ぶらなのに、彼女が助けに入らなくてもまるでなんてことがない風に一颯の攻撃を待つのだ。
一颯は普通の人間だ。超常的現象にはまだ慣れないし、異形を見れば人を殺す恐ろしい化け物だと認識してしまう。だから足が震え、培った努力もまともに発揮できない。
あれからまだ三日。
特訓とか努力というより武器と魔法の力に頼りっぱなしの新米少女は、今日も授業中にぐっすりと眠っていたのだった。
「月見!!」
「ひゃい!!?」
この後しばらくの間、学年中で"月見一颯は夜行性動物"などと不名誉な噂を垂れ流されるのはまた別の話。
約3時間後───。
「一颯先輩どうしちゃったんですかぁ? 今日は大胆に居眠りしてたみたいですけど」
「ただの寝不足よ……」
まだ昼間の14時だと言うのに収まらない眠気。もう意識しては止められないアクビをふぅと息を漏らしかみ殺す。
難しい言葉で表す必要がないほど眠い。少なくともここ三日間の一颯はベッドに入って、起こす人がいなければ一日中寝れるくらいに睡眠不足だった。
日曜、月曜、火曜と来て今日水曜日。一学期の終わりを間近に控えている学校ではまだ授業がある。
"深夜に出歩いているから寝不足"なんて理由で休むわけにもいかないし、授業には一昨日も昨日もちゃんと出席していたが、一颯に三限目までの記憶は一切ない。
今日に至っては鬼教師こと坂本先生の英語で寝てしまったせいで終わった後の休憩5分間でみっちり説教を食らい、英単語書き取りプリントを10枚も叩きつけられてしまった。
彼女に悪気は決してない。しかしよりにもよって坂本の授業で寝てしまったのは事実。それをしっかりと反省した上で、こうして駅前の喫茶店で華恋を連れて宿題に明け暮れている。
「あと4枚です、頑張ってください!」
屈託のない笑顔が心に刺さる。
部活がないと聞き、学校から引きずり出して連れてきてしまったのにこれだけ応援されると申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
きっと弓道部に足を運び、璃音の姿を見たかったはずなのに。すまない華恋……不甲斐ない先輩を許してくれ……。謎の謝罪が脳を駆け巡った。
《続いてのニュースです》
カウンターに置かれた古びたラジオからノイズ混じりにアナウンサーの声が聞こえ、内容が少し気になって耳をすませる。
先日、K県梓塚市尾野川町で高校生四人が何者かに殺害された事件で、遺体発見現場から約300m先に残された血痕が行方不明になっている立花雪子さんのものであることが判明。
犯人から逃げる際に揉み合いになり、そのまま連れ去られた可能性が高いと見て警察は捜索を続行。
無意味な見解だ。存在しない犯人が見つかるわけない、雪子も同じく誘拐などではなくすでに───。
梓塚の人間や県警ならそれはよくわかっている。しかし、その非科学的な異生物の存在を彼らは認めながらも口に出したりはしない。それは夜を支配する異形を畏れているからだ。
本当に殺人鬼がいて誘拐されたと思っているのは、警察発表に踊らされたマスコミくらいだろう。雪子の家族も離れて暮らしているとはいえ、梓塚の都市伝説の信憑性の高さは知っているはずだ。
「……あの、先輩? 大丈夫ですか」
「えっなにが」
「お顔が怖いですよ…?」
どうやら話を聞いている内に、無意識に顔が強張っていたらしい。メロンソーダを飲んで一旦心を落ち着かせ、慌てて笑顔を作った。
あの夜の出来事を目撃したことはまだ誰にも話していない。話したところで表面上は信じてくれないし、現場の悲惨な状態や死体の生々しさはあまり思い出したくもなかった。
学校でも月曜日には生徒全員を講堂に集めて集会が行われたが、その時に「五人の動向を知っていたら先生に伝えてほしい」と言われたものの教師に近付きすらせず、頭に浮かんできたそれらで吐きそうになった。
「あの時、私たちがちゃんと声をかけたら……」
「それを考えたらキリがないですよ、先輩」
「そうだけど…」
「私も食堂で聞いたお話はまだ伝えてませんから」
自分の責任みたいで怖いじゃないですか、と華恋が言う。
その通りだ。話を聞いていたとしても彼らは華恋や一颯となんの関係もない。友人でなければ家族ですらないのにわざわざ自分から巻き込まれに行く必要はない。
ただし一颯の場合、話を聞いていただけではなかった。むしろ当事者側だ。
話せば華恋ならその辺は理解はしてくれるだろう。しかし、問題の事件後の事情が事情ゆえに自分から進んで回想したいとも思えず、二人の間に微妙な空気が流れる。
どうにか新しい話題を作ろうとプリントを放置し、人差し指でテーブルをトントンと鳴らす。
「そうだ華恋! アンタ弟いるわよね?」
「え? はい、いますよ。どうかしましたか?」
華恋には2歳下の弟がいる、その事実をちょうどいいところに思い出した。
現在進行形で生意気な男子の扱いに悩んでいるので、思春期を手玉に取る姉ならなんでも答えてくれるはず……なんて、期待してから気が付いた。
オリオンどころか男の存在すら匂わせていなかったのに、突然こんな話題を挙げて怪しまれるんじゃないかと嫌な冷や汗が滲む。
「……ちょっと親戚の子がウチに泊まりに来てるんだけど、接し方がよくわかんないのよね」
巧いこと誤魔化せた───はずだ。
親戚なのは嘘だがそれ以外は概ね事実だ。
「うーん…歳はおんなじでいいんですよね?」
「一応ね」
もちろん実年齢ではなく精神年齢が、だが。
華恋の質問攻めは続く。口は利いてもらえるか?突然罵倒されないか?自室から物がなくなったりはしないか?等々……。
人が多い昼間の喫茶店で美少女が繰り出すような内容じゃないところまで根掘り葉掘り。その証拠とは言いがたいかもしれないが、選択肢がほぼ全て「はい」か「いいえ」の二択で、9割は「いいえ」だった。
途中から困惑を通り越してドン引きだったが、切り出したのは一颯なので耐えるしかない。
全ての問いが終わり、数十秒のシンキングタイム突入。あの疚しさとやらしさ全開の質問群から一体どんな答えが出たのかと思えば───、
「健全な中学生じゃないですかぁ! カズくんよりマシです!」
「いやアンタの弟がどうなってんのよ…」
「男の子はみんな通る道ですからね、仕方ありません。そして、その子はただ一颯先輩との距離に慣れてないだけですから時間が解決してくれますよ!」
華恋の弟に救いようがないのはともかく、分析はいたってまともなものだ。あの散々な純度高めの下ネタからどうやって見出だしたか皆目検討つかないほどに。
思い出してみれば、鍛練する時と戦う時以外はあまり会話しない気がした。一颯はもう十分ではあるが彼の事情に踏み入るのを控えるつもりで彼から話を聞こうとしないだけだ。
ではオリオンはどうだろうか。教えた家事をやってくれてはいるが、普段は一颯に口を利くことはせず食事では無言で玉ねぎを弾くくらいで戦闘以外では饒舌とも言えなかった。
現状から考察すれば、華恋が言う「距離」にも少し納得できた。それらを時間が解決するかどうかは恐らく二人次第だろう。
「とりあえずありがとう、頑張ってみるわ」
「はい! いつかお会いさせてくださいね!」
純粋無垢な笑顔を見ると先ほどまでのアレが悪夢か白昼夢に思えた。
こう"笑い話にしている"ということから、思春期のカズくんは間違いなく姉を溺愛中の彼氏か平和を体現したご両親に折檻されたんだろう。多分前者の可能性が高い、南無。
「じゃああと3枚、ファイトです!」
「マジかぁ……」
無駄話の弊害にまんまとしてやられ、シャーペンを握り締め一颯はあと30分ほどはここに居座る覚悟を決めた。
◇
月見一颯は干物になった。夏場の灼熱太陽に負けたのだ。
本日の気温は今年最高クラスの34℃。まだ気温が下がらない。
15時過ぎはアスファルトの地面を鉄板へと変え、陽炎揺らめく遠くの住宅街と吹く無駄に暖かい風が身体に追い打ちをかける。紫外線にジリジリと肌を焼かれ、否応なしに汗が吹き出す。
さっきまで"眠い"としか思えなかった脳が今度は"暑い"しか認識できなくなった。人間の三大欲求すら打ち破るのだからもうこの暑さは尋常ではない。
華恋と別れてから5分も経っていないのに一颯は限界を迎えそうになっている。
世界的に温暖化が問題視されるご時世、これは確かに異常気象だ。一颯が小学生の頃は暑くてもまだ30℃くらいではなかったか。
「参った……」
どうせ今夜も両親は帰らないので、晩御飯を用意するのは一颯の役目。オリオンも待っているだろうから早く具材とお菓子類を買い揃えて帰宅したい。
昼間はずっと尾野川町を闊歩する報道陣のインタビューを掻い潜るのがめんどくさいが適当にあしらって帰るしかない。
水分不足になる前に黙って足を前に動かす。スーパーでミネラルウォーターでも買おう。
「そこのお嬢さん、尋ねたいことがあるのですが」
背後から爽やかな男性の声がする。
お嬢さん呼びなんてマスコミがするか?いや、盛大な釣りかもしれないなどと振り向くか否かを心の中で葛藤しつつも、最終的には困っている人なら無下にはできないというどうでもいいお人好しが炸裂し、後ろの彼に「どうかしましたか?」と聞いた────はずだった。
「今、人を探しているんです」
夏の暑さもダルさも吹き飛ぶまさかのイケメン外国人が立っていたことで、「どうかしまし」で口の動きは停止し、おまけに思考も停止した。
似たような長い髪で青い外国人もどきなら今自宅にいるが、彼の燃える炎のような赤毛は趣が全く異なる。こっちの方が断然かっこいい、初見の態度とか含めて。
「ど、どんな人ですか?」
海外の俳優さんですかと聞きたくなるほどの謎のハンサム男を前に完全に一人の少女と化した一颯の声はがっつり上擦る。
「僕と同じ長い髪で、背が低く年上の人なんですが……この辺りで見ませんでしたか?」
「年上…かぁ」
日本に慣れているのか、不自然なほど流暢な日本語はとても聞き取りやすい。
見たところ彼の年齢は20歳前後だろうか。顔はまだ幼さが残っているが、フォーマルなジャケットの着こなし方からは少年らしさより大人っぽさを感じる上、一颯と同い年くらいの子とも思えない礼儀正しさもある。
長い髪で背が低い外人なら覚えはあったが、少なくとも彼は年上ではなさそうだ。
「もっと特徴とかありますか?」
「そうですね……彼はとても騒がしい人です。あと、酷い怪我をしているかもしれません」
「怪我…騒がしい……」
オリオンが騒がしいことは合致するが、怪我はすでに治りかけている。つまり覚えはない。
しかし怪我が重傷となれば、病院に担ぎ込まれている可能性がある。怪我をしたのがいつ頃の話かは分からないが、とりあえず彼に近くの病院までの道のりを教えた方が良さそうだ。
「ごめんなさい、やっぱり分からないです」
「そうですか……」
「でも怪我人なら病院かもしれませんし、案内しますよ?」
「お気遣いありがとうございます。でも結構、他を当たってみます」
丁寧にお辞儀までした彼は「それじゃあ」と心底かっこいい挨拶まで放ち、一颯の前から姿を消した。
台詞はキザなのにウザく感じないのはイケメンパワーというやつか、不細工には許されない仕草の数々はそらもう女の子には効果大だ。一颯も例外ではない。
一目惚れとまではいかないがキュンとなった心が有名人かもしれない彼についてちょっと調べてみようと言っている。
帰ったらPCを開いて検索だ。
暑さも忘れて浮かれたまま一颯はスーパーへ向かった。
そして、事件は帰宅後に起きた。
ただいまの声に反応して階段を下りてきたオリオンに、一颯はさっきのことを嬉々として話した。
赤髪で長身で俳優さんっぽくで、人探ししてたみたいなの!とかなり嬉しそうな彼女を見ながら、オリオンはすごく嫌な顔で言い放つ。
「赤い外国人?」
「うん!とにかくかっこよかったの! 名前聞けばよかったなぁ!」
「………へー…マジか、よかったな……」
一颯の乙女まっしぐらな反応に彼は酷く狼狽えている。土曜日の昼間に魔法が使えないとかで焦っていた時に近いほどだ。
なにかおかしなことを言っただろうか?疑問符が浮かび、リビングで涼しい風を浴びながら話の続きを開始した。
何故そんなビクビクしているのかを聞き出すために。
だが、なにを聞いても本人は「別に」「なんにも」「関係ない」の一点張り。こんなの余計怪しいに決まっている。
なので少し捻ってみることにした。
「宵世界にはいないの? かっこいい人」
「かっこいい…ね。いるっちゃいるけど……どっちも性格に難ありだからなぁ」
「どんな人?」
一人目は一颯が言った赤髪長身と同じ特徴の人らしい。名前はキャロル。オリオンとは違う国に属する同業者だが、彼は宵世界から出てこられないので一颯には会うこともまずないそうだ。
話を聞く限り、明世界に現れないはずのキャロルだと思い込んでいるらしい。ただ16歳だという年齢を聞いて一颯も彼とは別人だと感じ取り、互いに"別人説"に落ち着いた。
それでも"どっち"という言葉が引っ掛かる。もう一人いるならついでに聞いておきたい。
もう一人について、彼は宵世界の島国の王子様。女性が皆惹かれる美しい容姿に加え、その一族に代々伝わる神秘の眼と異能力、誰も見たことがない最上級魔法を駆使し最強と謳われるまでになった青年。
「銀弓の魔術師」の異名で世界に知れ渡り、その名で呼ばれることを恥ずかしそうにしていたのをオリオンは知っている。
ところが彼は約3年ほど前に突如行方を眩まし、そのまま国には帰っていないとのことだ。
「ま、二人目は俺のダチなんだけど」
「そうなの?」
「うん。なにがあったかは詮索しねえけど…元気にしてっかなアイツ」
そう言ってどこか遠くを見つめる彼の目は、あの日命を救った光の矢が放たれた方向を見ている気がした。
一颯の知らないオリオンの世界事情。もっと知りたい、もっと話したい。その気持ちが彼女がずっと思っていたことを口にするきっかけとなった。
「ねぇ、オリオン」
「なに」
「あなた……」
耳が尖ってるわよね。
沈黙。彼はなにも言わず、自分の両耳に手を当てた。
まさか明世界はそうじゃないと知らなかったのか。聞き方が悪かったのかもしれないと思い、「宵世界の人ってみんなそうなの?」とすぐに付け足す。
「さ、さぁ……分からない」
「分からないって、そんなわけないでしょ」
「他のヤツがどうかなんざ知らねえよ」
様子がおかしい。その狼狽ぶりはキャロルと赤髪の男性を勘違いした時と明らかに違っている。
彼にとって耳が周りと違う形状なのはコンプレックスだった、とも違う。一颯にも……いいや人なら必ずあっただろう、他人に嫌われることを怖がるようなあの怯え方だ。
これ以上聞くのは互いのためにならない。
「ごめん、人の特徴をどうこう言っちゃダメだよね」
「別にいい。昔は色々言われたから」
「そう? じゃあ、お詫びにアイス持ってきてあげるから」
空気を変えたい一心で席を立つ。アイスと聞いて、彼の様子も戻りつつあった。
オリオン・ヴィンセントは何者なのか。一颯がそれを知るのはもう少し先のことだ。
そして───今日も夜は訪れる。
静かに、狂気的に、人を食らう怪物が現れ町をさ迷う世界が曖昧な関係を保つ二人を誘っていた。