1-5 紅き来訪者 2
彼曰く、異形は25時を過ぎると例外を除き現れなくなる。その例外も固定で月の終わりだけ。
25時以降は出現しきった異形どもを全て駆逐すればその後は安心安全の時間がやってくる。だから日付変わってから約1時間は耐久戦だ、なんて中々に鬼畜なことを言ってのけた。
一応薄く空が明けるくらいまでは色んな場所を見張っているが実際彼の言う通り、毎日25時以降に敵の出現はない。
今日も同じ、頑張ろう。そう感じながら一颯が家の鍵を閉める。これで防犯は問題ナシだ。
彼女が戸締まりを確認している間、オリオンは眉間にシワを寄せながらボソリとある地域の名前を挙げた。そこは一颯の祖母の家がある方向でもあった。
「笹口?」
「おう、あっちから変な感じするんだよ」
オリオンの直感はよく当たる。いや、彼の場合ただの勘ではなく周囲の魔力を探知しているのかもしれない。異形のいる場所を半径1km以内なら把握している。
自分にもできないかと一颯もやり方を聞いて何度も試したが、どうやらそちらのセンスはなかったらしい。なので異形の位置は全て彼から聞いて駆け回っていた。
そして今日のオリオンは笹口の方向に異形とは違う別の気配を感じ取った。それは人間が放つ魔力の反応だと彼は言う。
ぐだぐだと立ち話をする時間も惜しい二人は早速笹口に向かいたいところだが、その前に一颯にはやることがある。
「ちょっと後ろ向いてなさい」
「まだ慣れねーのかよ」
「慣れないわよ! 女の子なんだから!」
ハイハイわかりましたよーと死ぬほど面倒くさそうな声をあげてオリオンは一颯から距離を取った。
まず一颯がしなければいけないのは追想武装の顕現だ。そのためには八面体の形状をしたあの宝石に陽魔力を注ぎ、元の武装状態に戻す必要がある。当初のオリオンの見解通り、魔力を加えるのに最も効率の良い方法は接吻であると最初の夜に判明した。
自分からこんな恥ずかしい行為に出る必要があることもさることながら、魔力が当たり前に使われる宵世界ではわりと一般的な行いである事実も一颯の頭を痛める原因のひとつである。
悩ましいため息を吐き、それ以外の方法が使えるほど器用に魔力を操れない自分を呪いながら今夜も深紅に輝く宝石に口付ける。
瞬間、一颯の身体は光の帯に包まれその身を守り力を与える真夜中の赤き戦装束へと姿を変えた。
「ほら、早く行きましょ……ってなによ、人のことじろじろと……」
彼は真顔だった。一颯をじーっと見つめ、そして思ってても最初以外絶対に彼女が言わなかった事実を口にした。
「腹が見えてんのは恥ずかしくねえんだな」
さっきまでの真面目な顔はどこ行ったのか、彼はにやけ面で一颯の腹部を見つめていた。
バッ! と風を切る音を立てて一颯の両腕がお腹を隠すように自身を抱き締める。なんとこの間1秒にも満たなかった。
当然ではあるが、彼女は別に好きでこんな露出度の高い格好をしているわけじゃない。以前一颯が聞いた話によれば、追想武装で発現する装備や容姿の変化は相手側の状態に依存するため、むしろ悪いのはオリオンである。彼にもワケが分からないとかは一颯にとって知ったことではない。
「変なとこばっか見ないでよ! ヘンタイ!」
「だ、誰がヘンタイだ!!」
「ふんっほら行くわよ!」
理不尽な変態扱いで多少やる気を削がれたがここからは命のやり取りだ、真剣にならねば。
彼も今着ている現代的な服装を一旦魔力に転換させ、魔装束を身に付ける。四日目の今日は装備が全て発現できるほど魔力が回復していたが、未だに剣は反応なし。
不可視化した剣を可視化させるなど魔法よりよっぽど低燃費なはずだが、なにか別の原因でもあるのかと疑問に首をかしげる。
一方オリオンの内情を知らない一颯はというと、何事もなく一瞬で準備を終え隙のない彼に対し「何故私は同じことができないのか」と半ば逆ギレに近いような恨みがましい目を向けていた。
そもそも彼は魔装束を纏うために一颯のように触媒を介しているわけではない。自分の中にある"見えない力"を"見える形"に変えているだけで、別の物から取り出しているのとは全く違う。
もし一颯が彼と同じ土俵に立っていたならあんな手間はいらないのだ。
これ以上お嬢様の機嫌を損ねたら面倒事が増える気がしたオリオンは強引に彼女の手を引いて駆け出し、笹口への道筋が一番分かりやすい尾野川駅前へと向かった。
以前一颯の祖母の家に赴いた時に電車に乗ったのは新しい体験だった。機械仕掛けの箱が走るくらいの知識はあっても実際に乗車する機会は滅多にない。
深夜にも電車が走っていたらさぞ便利だろうなと思ったが、きっとこの時間には動いていないだろう。とても残念だった。
「今更だけどどうやって笹口まで行くのよ。電車でも15分なのに私たちの足じゃどれだけかかるか…」
「大丈夫、電車くらい速いスピードで俺が連れてってやるよ」
「平気なの? 魔力の方は」
「多少抑えめなら……」
深夜の閑散とした街中を抜けて、シャッターが閉じられた駅の前で足を止める。
じゃあお言葉に甘えて、と一颯が笑い、オリオンもそれに応じて彼女を軽く抱き上げ、地上から高く離れた駅のホームまで風のようにひょいと跳ぶ。
自分から要求してくるとは、最初に似たようなことをしたら悲鳴を上げていた人物と同一とは思えない。
昼は決して人が立ち入ってはいけないレールが敷かれた高架橋の上を駆けていく。
強化魔法で常人より遥かに加速しているこのスピードにも慣れたもの。むしろ真っ黒な空を点々とする星を見て楽しんでいた。
命懸けで戦えなどと無茶な要求をしてからすでに四日目だが、星空を眺めて嬉々とする少女らしい彼女に対して申し訳なさは常にある。
これは本来なら彼が成さねばならない使命だ。他人に押し付けて良いわけがない、この事態が王に知れたら今度ばかりは確実に罰せられるだろう。
それ以上に、月見一颯という人間の生き方を変えてしまったことは人々を守護する者として最低最悪の行いだと自覚があった。
どうしてイブキは投げ出さない?
昼も夜も、きっと嫌に違いないのに何故「もうやめる」と言い出さない?
ずっと気になっていた。
本当に彼女は彼女を守った少女のようになりたいだけなのか。
「イブキはさ、"もう戦うのはやめたい"とか思わねえの?」
「え?なんで?」
「言い出しっぺに言われたかないだろうけど、嫌だろ。痛いし、毎日だし」
この深夜の戦場に複雑な思いを抱えてしまっているがゆえにどんな返事をすれば正解なのか。果たして正解自体も存在しているのか。──判らない。
彼が求めている返事が彼女には解らなかった。
「──私は……ッ!?」
なんとか上手く会話を繋ごうとしたが、続く言葉は前方から吹いた荒れ狂う熱風によってかき消された。
夏の熱帯夜だから、では片付けられないほど物凄い熱量の発生源はまだ目視できないほど遠いはずなのに、まるで山火事の現場にいるような感覚すらある。
魔装束に体感温度の一定化が施されてなければこれ以上は近付くことすらままならない。
「なにこれ!?」
「やっぱりな…!! しっかり掴まってろよイブキッ!!」
辺りを融かし落とす気でもあるのか聞きたくなるほどの灼熱に突入し、その爆心地に向けて更に速度を増す。
近付くにつれて暑いというレベルじゃすまないほど周囲の気温が上がっていく。住宅地だったら家電製品が総じて破壊されていてもおかしくない。人が住む地域からは外れた場所で、ということは術者がそれなりに気を使えるようだ。
もしこれが魔法であってもここまでの炎熱を発生させるには相応の手練れでなければ、いや不可能だ。炎系の魔法は自分自身にも影響を及ぼすことがある、オリオンだってたかが強化程度で何度火傷したか覚えていない。
だから異形にはこのような芸当、絶対にできない。
────しかし、彼にはこの燃える世界を成し得る方法を一つだけ知っている。無論、誰でもはできない。当然だ、普通は炎に巻き込まれて死んでしまう。
だが"その男"には太陽を操ることができた。太陽とは絶対の象徴、その熱を内包した二対の剣を振りかざし戦う彼の好敵手。
「見つけた……!!」
太陽を模造した力。全てを燃やし尽くす日輪の剣。
そしてその持ち主は────。
「キャロル・アクエリアス───ッ!!」
青い装束の男を囲む四体の異形、それら一切を焼き払う恒星の炎はありとあらゆる魔法ですら到達できないほどの温度を放つ。
魔装束でなければ二人もすでに消し炭であろうその蒼い炎が消え去り、顔を見せた赤い髪の少年は、昼間一颯が出会ったあのハンサム男と同じ。唯一違う点があるとすれば、表情は険しく、オリオンを見つめるマゼンダの眼光はとても鋭いところか。
「見つけたぞ、バカ剣士。いいやヘッポコ剣士か」
「あ?」
カチン
爆発しそうだった暑さから一転、凍えるほどの寒さを風が運んできた。
地上に下ろした一颯に「武器を貸してくれ」と要求し、不思議がる彼女が剣を差し出すと無言でそれを受け取り───、
「……随分喧嘩腰だな、貴様の仕事を片付けてやった俺に感謝もないのか」
「冗談じゃねえぞクソ野郎。さっさと帰って雑魚狩りでもしてろ」
互いの首に突きつけられた紅と蒼の剣。一颯から剣を受け取ってからのオリオンの速さは異形を殺していったあの時と同じかそれ以上、そして瞬時に彼の喉元へ刃を宛がったキャロルの反応速度も並々ならぬものであった。
二人のやり取りにきょとんと目を丸くした一颯がようやく正気に戻って間に入って仲裁しようと思ったが、入ってはいけない世界のような気がして足はまるで動かなかった。
「おっお二人とも…とりあえず落ち着きましょ? 危ないから剣は下ろして……ね?」
殺気が満ちた空気に少しずつ穏やかさが戻ってくる。
先に剣を下ろしたのはキャロルだった。
「いいのかよ。その無駄遣いしまくってる頭、ここで落としちまってもいいんだぜ」
「やれるものならやってみればいい。その時は貴様を豚の丸焼きにでも変えてやろう」
「ッつまんねえヤツだな」
瞳の奥に炎が見えた気がして、オリオンも倣うように剣を下ろし一颯に返した。
オリオンとキャロル、色合いも全く正反対な二人の剣士。
一颯から見たらキャロルの悪口にオリオンが乗せられて攻撃したくらいにしか見えなかったが、この二人、実は仲がとても悪い。
ではどれくらい仲が悪いのかを説明しよう。
彼らは互いに黒と白の国が誇る最高レベルの剣士である。同盟国での演習は年に何度かあるのだが、彼らが初対面したのは今から約2年前。剣士同士の仕合を見たいと王が言い出したのがきっかけだった。
激闘だっただろう、目に焼き付く素晴らしい闘いぶりだっただろう、しかしそれらは全て戦う前の二人が台無しにしてしまった。
発端はキャロル。この時すでに180cmに届くほどの成長を見せていた彼は、自分より劣るオリオンを見て言い放った。
"ふざけるな。こんなチビがアーテルの剣士であるものか"
それにキレたオリオンが試合中に大人げなく大技、魔法を連発。更には魔法を使えない彼を散々煽り、試合はどちらかというと喧嘩になってしまったのだ。
両国の王はそんな若い二人を見て満足し、決着が着かず泥仕合と化した場を他の兵士たちが死に物狂いで止めたことでようやく終戦。
彼らの闘いは後に「迷仕合」として語り継がれることとなった。
「イブキ、コイツには近づくなよ?」
「なんで?」
「なんでって、こんなヤツと一緒にいたら頭が凝り固まって動かなくなっちまうからな」
「あのねぇ……」
事を知らない一颯は怒る気にもならず、子供の言い訳みたいに罵詈雑言を繰り出す彼に呆れてものも言えなかった。
母と子のような二人の様子を見ていたキャロルも、多少変化していても一颯の姿に面影を見たのかハッとした顔で彼女に近づき、肩に触れた。
「君、まさか!」
「あっ…えっと、キャロルさん……でいいのかな」
「昼間はどうもありがとう。キャロル・アクエリアスといいます、よろしく」
「私、月見一颯です。よろしくお願いします」
握手を求めて差し出された手を握ろうと自身も手を伸ばしたが、割って入ってきたジト目のオリオンに遮られた。
どうにも彼には気に食わないらしい。別に男女関係の嫉妬ではなく、キャロルが、というのが。
「つーかどうしてこんなトコにいやがる。テメェじゃここに来るどころか扉も開けられねえだろ」
「はぁ…これだから単細胞は……」
「あ!?今なんつっ…」
───いいや落ち着け、クールになるんだ俺。こういう時こそ知恵を働かせろ。
キャロルの執拗な口撃より今気になるのは何故彼がここにいるか、だ。
考えてみればきっと理由は分かるはず。そう、いつも彼の隣でニヤニヤとしているなにを考えてるか分からないあの白の女の姿がおぼろ気に見えて───納得した。
シキの魔力パスを通す能力ならキャロルがここにいるのはとても自然だと。ついでにあんな炎をぼうぼうと燃やせるのもシキのおかげだ、間違いない。
オリオンが問題を解決できたところで次はキャロルのターンだ。
「それより貴様、彼女の武装はなんだ。一般の民間人に一体なにをしている?」
一颯の姿は昼間の制服やショートヘアとはかけ離れた魔法装備とロングヘア。半日にしてここまで変貌しているのになにもないわけがないのだから、これは尤もな疑問だろう。
ここで言い訳をしても仕方ない。嘘や誇張なしで素直に全て話すべきだと感じ、オリオンは一から経緯を説明した。
異形との交戦中に運悪く一颯が居合わせ、彼女を守ろうとして負傷。立ち向かおうとした彼女に戦う力──追想武装を託した。結果、負傷と魔力譲渡がきっかけで自身の魔力を生死の狭間をさ迷うほど失い、宵世界に戻れなくなってしまった。
一颯には魔力が完全に回復するまでの間、住む場所や食事を提供してもらい、代わりに戦ってもらっている、と。
「貴様、自分が一体なにをしたか分かっているんだろうな!?」
「ちょっ!」
「民草を巻き込むどころか代わりに戦わせるなどとこの外道がッ! 貴様など今すぐ灰に変えてくれる!!」
一度は下ろした左の剣からバチバチと音が鳴り、相応の熱を含んだ火花が迸る。彼は本気でオリオンを剣の錆にするつもりだ。
話の聞けないライバルが振り下ろした剣をオリオンは彼の左腕を握ることで受け止める。
魔法が使えないはずなのにこの怪力は一体どこから湧いているのか。いいや、今は考える余裕などない。彼を説得し今のこの場は収める必要がある。
「わかってる!! わかってるから、今は見逃せ!! 王サマに変異体討伐の報告もあるしここではまだ首は渡せねえんだよ!!」
「変異体、だと」
変異体、そのワードに反応したキャロルが手に込めた力を弱めた。
オリオンと一颯が倒した……とは言い難い超巨大な異形。
とんでもない剛力、脚力、生命力に苦しめられた二人は絶体絶命のピンチに陥るも、空から降ってきた光の矢に救われ、同時に攻撃を受けた変異体も消滅した。この部分はキャロルには伝えなかった、子供っぽいプライド的な問題だ。
だがキャロルが重要視したのは倒せたか、ではなかった。その変異体がどんな姿で、どんな能力を持っていたかだ。
「俺が聞いている変異体の特徴と違うな」
「えっ?」
「キャロルさん、今なんて…」
やっと話に割り込めた一颯をちらりと見たキャロルは大層なため息を漏らし、彼が知る変異体の情報を話してくれた。
シキを介してアーテル王国から伝えられたその怪物の特徴は一つ、高速移動。光を越えた速さで動き回るのはもちろん、人語を理解し、獲物を選ぶ程度の知能はとっくに身に付けているらしい。
速さなら例の変異体もそれなりだったが、"光速"だったかと聞かれるとそうとは言えない。導き出される答え、キャロルから伝えられたソイツはこの前とは完全な別物だということ。
しかしおかしい、聞いていた話と違う。
「三体目の変異体なんて聞いてねえ」
最初にオリオンと交戦した皮膚が超硬化した変異体。
それもまた人の言葉を話すことができ、死に際に直接聞いているのだ。あと一体だということを。
「どちらかは新たに誕生した存在なのだろう。増殖ペースが早いな」
「あいつらまだ増えそうってか。あークソめんどくせえ」
「……あんなのが他にも」
通常体にすら人間は非力だった。おもちゃのように振り回され、家畜のように食われていた。意思がないその瞳を今際の際に見た彼らはどれほどの恐怖を感じたか、なんらかの感情を持つ殺人鬼に殺されるよりも恐ろしい絶望の中で死んでいったに違いない。
それが変異体なら尚更だ。人一人を平気で投げ飛ばす怪力に潰されて圧死するのを、巨大な爪に身体を引き裂かれるのを想像したら一颯は今でも眠れない。
怯える一颯を見かねたキャロルは彼女の両手を優しく包みこむ。
「安心してくださいイブキさん、奴らを駆逐しこの世界を守護するのが僕らの役目。貴方をはじめとした皆さんは必ずや護ってみせます」
「あ、ありがとう……」
オリオンに対する態度と違いすぎる親切丁寧な対応に若干尻込みする。
最初に思った通りたしかに顔は良いのだが、昼間は紳士的だと感じた性格はこう見たら結構オリオンの乱暴さに似ていることが分かり、見方が変わった。別に彼は悪くないはずだが、もう異性を意識してのドキドキは感じられなかった。
それに、キャロルの言う「安心」とはなんだ?家に引き込もり、外の世界から目を背けて彼らに全てを委ねることか?本来存在しないはずの彼らがこの世界で奮闘することか?
「この件を報告すれば、貴方がこの夜に踏み出す必要はない。もう貴方は戦わなくていい。どうか、ご理解いただけますか?」
「えっと…」
「イブキ……」
「あのね、キャロルさん…」
そこから語られた一颯の返答は意外なものだった。最初にオリオンにYESと返した時に思っていた感情と今では考え方がすこし変わった、と。
ここ三日間、戦う中でふと気付いたことがあった。それはオリオンのことだ。彼は今戦えないから休んでいるだけだが、それまで毎日ほとんど休む間もなく戦い続けていたんじゃないか。
人間は辛くなったらいつでも音を上げることはできる生き物だ、オリオンにもこの日々を苦痛に感じたことがあっただろう。それなのに逃げ出さずに毎晩この町にいる。関係ないはずの世界で戦っているのに、元々この世界で暮らしている自分が見ているだけでいいはずがない。
彼の姿を思い描き、一颯は"誰かを死から守るため"以外にもう一つ信念に付け加えた。投げ出さない、自分にやれることを最後までやりきる、と。
「オリオンがちゃんと戦えるようになるまで、戦うって私は決めました」
今すぐ逃げ出すのは簡単だ。しかしやめてから後悔すれば、思いは一生消えることがないだろう。
もし彼を突き放し、その先で彼が死んだとしたら、それこそ自分自身を赦せない。
「ねえオリオン、さっき聞いてくれたでしょ? なんでやめないのかって、これが私の答えだから」
「……いいのか?」
「うん! 貴方が復帰するかすごく速い変異体を倒すまでは頑張るから、安心して!」
どちらもいつになるかが明確に定められた訳じゃない、曖昧なゴールラインだ。
だが一颯の明確かつ強い想いはオリオンの心に強く響いた。申し訳なさや偽善なんかでこんな綺麗な答えが出せようか。
「イブキさん、命は惜しくないんですか」
「死にたくはないけど…それより大事なモノはいっぱいありますから」
「────そうですか」
予想以上に覚悟が伴っていた彼女に対し、それ以上の問答は無駄だと悟った。
「イブキさん、一つお願いが」
「なんですか?」
「……敬語はこそばゆいのでやめてください。俺、多分年下ですから」
「あ…」
オリオンから聞いていた彼の年齢、今年で16歳。貫禄と大人っぽさですっかり忘れていたが、一颯より一つ下だ。
力強い覚悟の籠った挑発的な表情から一転し、わたわたと慌てる一颯を見て彼はクスリと笑った。それは昼間に見た優しげな彼と同じだったかもしれない。
キャロルは未だに自身を睨みつけているオリオンの方を向き、一颯には見せない冷たい目線を送りつける。
「オリオン・ヴィンセントは変異体との戦闘中に負傷、なにも知らない民間人に匿われ傷を癒している。動くことができないため、連れて帰還することができなかった」
「おい、どういうことだよ」
「アーテル国王への報告だ。そういうことにしておいてやる」
負傷に伴い魔力も不足。損傷も甚大であるため、無理に身体を動かせば生死に関わる。しかし本人は変異体ともう一度戦う意思があり回復も順調。応援も必要としていないので今後も問題はない。
そして───、
「キャロル、一つ付け足せ」
「なんだ」
「次の新月の日に決着つけて帰ってやる」
「新月……?」
月が黒く染まる夜。今日からその新月は約5日先だ。
それまで魔力を高め、光の速さで移動する変異体を倒す。しかもオリオンには新月なら絶対に勝てるという確信がある。
彼の人格はともかく実力は分かっているキャロルも"新月の戦い"には納得がいった。オリオンなら新月の夜が最も実力を発揮できるからだ。
いいだろう、と心底嫌悪感の籠った声を発した彼にニヤリと笑う。
だがキャロルのこれらの報告はオリオンのためではない。
自分の信念を見せた一颯に対する精一杯の誠意だ。あそこまで言われて拒絶するほど彼は理解のない男ではないことを示している。
「イブキさん、今日は休んで任せてください。明日からはまたお願いします」
「え、だって貴方も…」
「気にすんな! コイツが気を回すなんて珍しいからな、お言葉に甘えとけよ」
「そういうものかしら…」
「そういうものです。どうかお気になさらずに」
いや…、と難色を示す一颯を強引に抱えてオリオンがその場を離れる。後ろを振り向くと、キャロルもすでにそこにはいなかった。
不承不承ながら了承させられた一颯がまず彼に聞いたのは、"彼は何者なのか"。結局キャロル自身から誰であってどんな存在なのか聞けていなかったのだから当然の疑問だ。
キャロル・アクエリアスはオリオンとは違う国に属する剣士、同時にその才能を遺憾なく発揮する頭脳を持つ軍師。実力は本物だが他人を見下す癖はどうも昔から抜けず、それがオリオンとの不仲を最たるものにしている。
二つ目は彼の放った炎獄にも似た灼熱についてだ。
「キャロルの剣は遺装っていう特別な剣なんだよ」
「遺装?」
「伝説上の武器とか、そんな感じ」
遺装のほとんどは明世界から宵世界に流れ着いたものばかりだ。
本来の所有者が死に、世界から存在している事実を忘れられたことで持ち合わせた魔力は風化して別世界へ運ばれる。そうして宵世界に出現した遺装は一部の例外を除き、誰かの手に渡ることになる。キャロルもその誰かの一人だったのだ。
彼の持つ遺装の名は蒼剣・ガラティン。
伝説と同じく太陽の力を宿した二振りの剣は、所有者は日輪の加護とその烈火を思いのままに操る力を与える。
ただし無限の熱と炎は相当量の魔力を必要とするので、今日のように他人から魔力を借りているわけじゃない普段のキャロルではガラティンが戦いの際に自らの魔力で発する火焔以外は引き出せないとか。
「じゃあオリオンはなにか遺装を持ってるの?」
「多分」
「どういうこと?」
オリオンは自分が持つあの紅い剣の正体を知らない。
その強大な力は遺装である可能性が極めて高いと思われるが、どんな名前や性質であるかは判らない。ガラティンのように炎をガンガンに燃やすようならある程度は判りやすかったが、なにせただ強いだけの魔法の剣だ。
特徴があるとすれば、決して折れたり傷がつかないことと月明かりに照らすととても美しいことくらいか。
「そうなんだ……」
「イブキが使ってるのはそれの偽物。本物と若干違うけど、使う分に遜色ないだろ」
「もう、わかんないわよそんなの」
だろうな。彼はにこやかに微笑み、抱えあげた彼女と共に夜の町を駆けていく。
彼女といる日々は近い内に終わることは解っている。
だが、今はこうして強い意志を持つ彼女と在りたい。──何故だか、そう思えた。




