2-23 開演
「敵襲ッ!!」
鉄の塊に鳴り響いた叫びに呼応するように赤い装束の兵士たちが一斉に動き出す。
ある者は魔砲台に立ち、ある者は剣を持ち、ある者は敵勢力の数を確認して愕然とし、ある女は間近に迫った戦いの鼓動に耳を傾けながら言った。
「わたくし、あの殿方は好かないわ」
「グラセ様?」
思わず近くで控えていた護衛が聞き返してしまうほど頓珍漢なグラセの一言は、先程のやり取りで起きた異常事態を如実に表していた。
『永続性呪詛』と呼ばれる強力かつ高位な呪術魔法自体は食らうと非常に厄介であることを除けば然したる驚異ではない。
しかしそのカテゴリ中でも『不変の愛』と名付けられた対男性特化型呪詛は"呪い"であると同時に愛の女神の"加護"でもあり、ただの誘惑と違って理性では耐えられないし、人間程度の魔法抵抗力では自我が一分持てば優秀といったレベルの代物だ。
むりやり対抗策を強いて挙げるなら心が女性であればあるいは……いや、誰も試したことはないが。
閑話休題。彼女の中のレオン・ファレルのイメージはあくまでエタンセルから伝え聞いた程度のものだが、それでも「弟のためなら命を捨てて死に物狂いで戦う男」というのが行き着いた結論。
だから絶対に効くという確信を持って念話による接触を受け入れ、狙い通りに成功した──はずだった。
その瞬間、彼女の目が見たのは妖艶な笑みを浮かべ大きな手で魂を捕らえた白髪の女。
誰だお前は──言葉が出る前に本来なら心に絡みつくはずの呪詛の鎖が粉々に砕かれ、気が付けば耐えがたい頭痛に苛まれていた。
レオン・ファレルには本人も知らぬなにかがある。
だって今までなら絶対にあり得なかった。
どんなに愛する人がいても、女を忌み嫌っていたとしても、不変の愛は誰にも等しく彼女への愛を授け、永遠へと導く。
グラセは家族がいなくても、恋したあの人が振り向いてくれなくても、ひたすらに愛に満ちていた。
故にその愛を受け取れない"唯一"が現れた事実は度しがたいという言葉じゃ片付けきれない。
「わたくしの身体は愛そのもの。愛を愛することを、男が受け入れないなんて許さない」
彼女が定義する愛がたとえ支配や服従だとしても、彼女の中では立派に正しく成立している。
この戦いは、それを証明しなくてはならない。
「……グラセ様、奴らの目的は間違いなく薬であります。今のうちに廃棄してしまえば目的を失い、降伏する可能性も」
「いいえ、ちゃんと大事に保管なさい」
「え?」
「余地は最後まで残しておくもの。あの男が私を愛するならOKの返事以外ありえないんだから与えてやってもいいじゃない」
「そ、そうですか……」
兄を陥落させた暁には次は弟だ。そのためには薬を残しておかないと明日にも尽きる命か分からない。
代わりに防衛は確実に。
敗北は彼の顔に泥を塗る行為に他ならないのだ。
◇
「もうすぐだ、飛ぶぞタレイア!」
「ええ! 派手にお願いッ!」
「承知したッ!!」
足下には見たこともないような巨大艦。目視しただけでも考えたくない数の人間がうようよしている。
はためくマントを翼に変えて空を泳ぐレオンと彼に抱えられながらふたつの扇をこれまた大事そうに抱えるタレイアは、今からそんなため息もつきたくなる群れのど真ん中に突撃するのだ。
これまでも命の危険は常に付きまとってきたが今回はまた別格のピンチと言っていい。
まず男であるレオンはこの場で指揮を任されてるであろう赤き騎士団とまともに交戦できず、目的のブツがどこにあるのか詳細な位置が分からない。
エタンセルが不在なのは念話の時点で察しているので、初撃で幻想剣を放てば数はどうにかなるだろうがその後の処理はタレイア一人に任せることになる。
レオンは互いの信頼がなければこんな戦闘行動は絶対にしたくない。
以前にリオンが明世界の少女──月見一颯を連れて来た時には彼女を助けないとスッパリ言い切ったらしいが、良くも悪くも非道になれる弟と違って兄は彼から言わせればまだまだ甘いのだろう。
だからこそ、彼女にはこう語りかけるのだ。
「……三人で、生きて帰ろう」
「えっ!? ちょっとぉいきなりどうしちゃったの?」
「決意表明だよ」
今はもうたった二人で生きる兄弟だけじゃない。
ここに暖かく手を繋いで守ってくれる人がいて、それを信じることが今返すことができる最高の報酬であるのなら、二人だけで帰ると言わないのは当たり前だ。
「じゃあ、張り切っていくわよぉ!!」
微笑むその人は返事をすることなく空を落ちていく。
そうして戦いは始まった。
まず仕掛けたのは対多数で圧倒的な制圧力を持つレオンの銀剣・クラレント。
握る力を込められた剣はその行為だけで命じられた通りに記憶した魔法を操り、果てない快晴の青空を鮮やかに覆い尽くす幻を形成する。
「宣戦布告だッ!!」
戦いの狼煙を上げんと叫んだ。
それを合図にして、産み出された夢想の無双は墜ちるように落ちる彼の指揮によって留まった空中より降り注ぐ。
重力に従いながら無慈悲に落とされる刃を帝国軍が視認する頃にはもう遅い。
命を刈り取る剣の雨が掲げられた誇りの旗ごと帝国兵を軒並み押し潰し、なんとか助かった少数が体勢を建て直そうと努力を重ね始めれば、間もなく彼らが鋭い音を立てて降り立った。
「レオン・ファレルとタレイア・ルミエール!!」
「本当に二人だけで……ェ゛ッ」
すべてを言わせないタレイアの膝が骨を叩き折る。
俊足で兵士に飛びかかったその足をふらつく首に絡ませ、フランケンシュタイナーのような形で床に叩き伏せた後、すぐさま立ち上がって近くにいた別の兵士の腹に閉じた鉄扇を叩き込む。
「ゲブッ」という汚ならしい鳴き声を上げて胃液を吹いた敵を今度は延髄への正確かつ鋭い蹴りで昏倒させつつ彼女は呆然とするレオンに笑いかけた。
「ここはお姉ちゃんにおまかせぇ! 早く薬を探してー!」
「あ、あぁ……」
見事な体術に目を丸めてしまったが、いつまでも見ているわけにはいかない。
お言葉に甘えて艦内に侵入しようと目視で扉を探しながら果敢に挑んでくる雑兵をバッサバッサと斬り倒す。
意外と刻み損ねていることがショックすぎて大量掃射の操作精度の見直しも考えたくなってきた。少数だとわりと正確にホーミングできるのに数に頼ると何故こうも雑になってしまうのか。
帰ったら改めて自力で修行のし直しだと心に誓うその横から、激しく鳴るコツコツという足音が迫る。
新手の登場に両手で握りしめた剣の輝きも増し、幻影の刃を振り抜いた。
「見つけたッ!!」
女の声はそんな剣の声に呼ばれるようにしてやって来る。
飢えた蛇のごとく素早く大地と空を這い回り、倒れた仲間の死体を穿ちながらレオンの背後に迫るそれは彼女が手繰る愛の鞭。
触れる者を切り裂き、絡め捕らえた獲物を絞め殺す。
その在り方はまさに薔薇のように。
遠くからでも的確に位置を把握し、敵と味方が入り交じる乱戦を掻い潜る。比喩なしの搦め手で縛りつけたレオンの右腕を鞭を引っ張ることで彼の集中力を完全に向けさせた。
これによってグラセのテリトリー内に彼は引きずり込まれたも同然。
もうどこにも逃げ場などない。
「くっ……まさか!?」
「今度は直接刻み込んであげる! 誰にも私を拒ませはしないッ」
身に付けた魔装束をすり抜けて全身に顕れた聖痕が魔力を帯びて発光し出す。つまるところは全力だ。
先程は物体を介した干渉だったが今は顔を合わせての干渉。
二度目はマズイ。
なんとかしてこの場から離れ……。
「やーんっ!!」
ぼよんっ。
緊張した頭にやや柔らかい感触が若干の痛みを伴って飛んできた。
腕に食い込んだ蛇腹剣が少しだけ皮膚を喰った気がするが、それよりも吹っ飛んだ体の方が危な────。
「ちょっウソっ!?」
衝撃で飛んだ体に合わせて巻き付けた武器も一緒に引っ張られる。
しかし武器を手放すなど戦士の名折れ。
結局巻き込まれる形でグラセがド派手に倒れたおかげで『不変の愛』の発動用に束ねた魔力は霧散した。
「大丈夫ね!?」
「……あぁ……危うく別の死因で死ぬところだった」
「お姉ちゃんの胸の中なら本望でしょう」
「ノーコメントで」
見た目としてはタレイアに押し倒される形になったわけだが、彼女に悪びれた様子はなさげである。
まぁ助けられたのは事実なのでありがたく礼をしつつ、刺さったままの鞭の刃から脱して立ち上がり、まだ起き上がっていないグラセから逃れるようにして駆け出した。
言葉にはしなかったが、「あとは任せる」と目で伝えたのはきっと彼女も理解していると信じて。
レオンが十分な距離を取って女騎士はすぐにガバリと顔を上げた。
せっかくの作戦を台無しにした女を前に、すごく困ったような言葉に詰まっているような表情をしている。
気持ちはわかる、なにせ目の前にいるのはどう見ても痴女だ。格好もやってることも見られることを前提にしているとしか思えない。
「なにをするの! このっ……この破廉恥女!!」
やっと出てきた言葉もこれだ。
「あらぁお邪魔だったかしら? でもね、お姉ちゃんとしては見知らぬ女の子に逆ナンされてるのは見過ごせないのよね。ごめんなさい♥」
溢れる笑みに余裕を感じさせる彼女は足元の蛇腹剣を踏み、グラセの動きを制する。
多少遠い場所まで届くロングレンジの強みのある武装はこうして押さえてしまわないと後々有利なフィールドを構成されてしまう。
タレイアのバトルスタイルは魔法を交えた格闘による接近戦。
近付くという点では鞭の性質だと対処しづらいためこちらに分があるが、蛇腹剣ということは剣の性質もあるはず。中々難しい戦いになる。
「グラセ様、援護は」
「結構! それよりも生き残った兵はレオン・ファレルを追いなさい。ただし防御は入念に、盾を用意して」
「か、畏まりました!」
もう数人のみ残された帝国兵が指示を受け、ひとつに纏まってレオンが向かったであろう方向に消えていく。
「もういいかしら」
「ええ? なんのこと?」
「私、そろそろ体を動かしたくてガマンできそうにないのよね」
「勝手に動かせばいいじゃない。ほら、そこに海もあるし」
「……なるほどなるほど」
納得したタレイアの独り言を最後に二人の言葉は途切れた。
会話にならない静寂が一秒。二秒。
三秒。
「じゃあ遠慮なく」
彼女は踏みつけていたグラセの得物を爪先で弾き、宙に浮かせ、手元に手繰り寄せた。
触れれば手を容易に傷つけて切り裂いてしまうそれを平気な顔で掴み取ったタレイアは一瞬苦しげな顔を見せたものの、ガッチリと握り締めて持ち主を自らに引き寄せるように引っ張って自らも駆け出す。
同時に数メートル先にいたグラセも乗せられてむりやり走らされ、ちょうどかち合えば顔から激突するほどの正面に躍り出た。
だが女騎士の狙いはそこだ。
相手取った痴女が格闘を得意としているのは先の戦闘で把握済み。であればそこを生かしてやれば隙ができるとすぐ分かる。
すぐにでも拳を入れてやろうと考えていたか、タレイアは構えてそれを突き出した瞬間に愕然とした。
「なにっ!?」
間もなく衝突──と思っていた矢先に現れた黒い影がグラセを覆うように庇い、突き出された拳はその物体の腹部を命中した。
これは……そう、兵士だ。
レオンの斬撃によってあちこちを切り落とされて死んだ兵士が立ち上がり動いているではないか。
しかし目はあらぬ方向を向いて最早白目、口は開きっぱなしで呼吸も感じられない。
これではまるでゾンビ……死霊と同じ。
魂をこの世に縛られ、白命界に渡れずにさ迷う常世の迷い子であり、「神に見放されて邪悪と化す」という経緯と在り方は地上で最も恐ろしい"呪い"であろう。
「ザンネン」
突然の出来事に焦ったタレイアは背後から聞こえた声でようやく現実へと帰ってきた。
それでも時すでに遅し。
迫る凶刃が宙を穿って白い肌を捉える。守ろうにも避けようにも間に合わない。
「削ぎ落とすッ!」
目に飛び込んできた銀色の牙。
的中することを確信した女の勝利を見抜く瞳が爛々と煌めき、そして…………。
◇
侵入した船の内部は雑然とした様子で、鳴る足音も煙を吹き出す音や配管の蠢きにかき消されていく。
天井も横幅も狭い廊下で長い剣を振り回すのはナンセンスだが、レオンが操る銀剣・クラレントは記録された変化魔法による形状改造も持ち味にしている。その性能は女性体で活動していた時も刀の形に変えていた通りだ。
ダウンサイジングで短剣状に変え、逆手に持ち変えながらいつでも対応できるようもう片手には預かってきた秘密兵器を握り締める。
もちろんだがこの広くて大きな敵陣の中で闇雲に走るつもりはない。
もしも敵が、というより自分が、この戦艦内に血清を保存するとしたらどこにするかを想像し、脳内マップを作り上げてその場所を割り出す。
まぁクソ真面目に目に見えるような案内をしてくれる帝国軍のことだ。位置が分かればそこ一点に守りを固めるに違いない。
「来たか」
正面と背後から鉄を叩くような足音が相当数聞こえてくる。
追ってくるまで若干のタイムラグがあったということはそれなりの対策を用意してきたと見ていいはずだ。
少なくともエタンセルが出てこなければ詰むこともなかろう。彼に出張られたらさすがに退避せざるを得ないが。
……いいや、どうせ妨害に遭うのは分かっていたのだ。
ここはお手並み拝見といこうじゃないか。
「……盾か。なんて原始的な対策だ」
そう、現れた集団は廊下の縦幅と同じくらい巨大な盾を持っていた。
作りや詳しい材質は不明だが、レオンが集団を視認できるほど透明感のあるそれはなんらかの宝石を削り魔術的に加工したと思われる。
そりゃあただの盾で遺装の魔法から身を守れるとは敵も思っていないだろう。
「魔法に特化した水晶の盾……これなら突き抜けまい……!」
確かに。
水晶には浄化、または魔を払う力があるとされている。
盾に触れた魔法の魔力を若干拡散させ、あわよくば無力化させて身を守るくらいはできるかもしれない。
だとしても払われるのは魔に限る。光剣・デュランダルと同じく悪性そのものを軽く消し飛ばされる心配はしなくてもいい。
「このまま両側から押し潰してくれるッ!」
で、あればなんの問題もない。
微妙なスピードで前後より迫る壁の厚さを突破する? そんな労力を費やす必要は最初から存在ない。
何故なら戦う必要すらないのだから。
出現した幻想剣がぐるりとレオンの周囲に円を描く。
そして──彼の合図と同時に床に大量の剣が突き刺さり、固く分厚い鉄をぶち抜いた。
支えのない足場はあっという間に崩壊し、彼の姿がずっと下の階に消えていくのを何人の兵士たちが見ていただろう。
大した速さではなかったため誰も巻き込まれはしなかったが、完全に取り逃がしてしまった。
それでも。
「くっ……だが、最後の防衛ラインはあの方だ。あのような若造に突破できるものか」
不穏な影をひとつ残し、彼らは再び侵入者の捜索へと散らばっていった。