2-22 永続性呪詛・不変の愛
優雅に星を包む大海の先、巨大な軍艦が一隻。
赤い三旗を掲げる堂々としたそいつらが敵だと知っている彼らの視線は厳しく、ただ事では済まない戦いを予感させる。
臨戦態勢を整えつつあるファレル側としては今すぐにでも仕掛けたいところだが、まずは相手に敵対意思があるか否かを確認しないことには攻め入るのもままならない。
もし今レオンたちが思っている以上に話が穏便が進むとすれば、こちらが先に仕掛けることで向こうはカエルレウムに攻め込むには十分すぎる大義名分を得てしまう。国に入ってからの安全確保のためにもそれだけは避ける必要があった。
……尤も、あちら方からの交渉も内容によっては破棄するのがすでに決まっているので交戦は避けられないが。
「レオン様、先方に念話術式が繋がりました。こちらの呼び掛けに応じる様子です」
「分かった。相手は男か?」
「いえ、女性だと思われます。どうぞ」
「……女か」
女性兵士なんていたか?
以前突入した空中艦で交戦した……というより不意打ちで串刺しにしてきた有象無象は判別できるだけでも女の姿は見当たらなかった。
ただ空にはいなかっただけであって海軍には所属があるのかもしれない。
こちらからの呼び掛けに応答したということは少なからず立場が上の人間には違いないので、警戒する必要は十分だ。
もしエタンセルに並ぶ実力者、あるいは想像を越える搦め手を駆使する人間であるならば難しい戦いになるだろう。
連絡用の念話術式が用意された船の一画には男魔術師が三人いた。
中心に置かれた球状の結晶体を手に取ったレオンは魔術師の助けを借りて魔力を繋ぐ。
こういう時に魔法が使えないのは不便だ。
「……こちらはカエルレウム連合公国、レオン・ファレルだ。そちらは?」
近くに船がないので万が一にも間違えはないだろうが一応名乗らせる。
『──グラセ。ヴェルメリオ帝国軍所属、赤き騎士団のグラセと言えばいい?』
当たりだ。
聞いたことのない声と名前なのは第一声で分かった。これは一から行動を警戒すべきだろう。
「グラセ殿、アルブスでの一件を把握しているだろう」
『はい、もちろん』
「俺達は一度ならず二度三度と帝国軍の襲撃を受けている。いくらここが領海外だとしても、俺としてはそちらの行動を警戒して然るべきだと思う」
『確かにそうかもね』
「よって我々に接近する意図を問いたい。我らに敵意がなく、特に不利益が出ないのであればこちらも攻撃は加えない」
臨戦態勢を整えてあることは向こうも確実に把握している事実だが、それはそれとして穏便に事が進むのは悪いことじゃない。
赤き騎士団は皇帝を信奉しながらも正しい騎士道に身を置くエタンセルが束ねているのだ。
彼女も彼に由来する高潔な魂の在り方をしていることを信じたい。
『……もし、我らに敵意があると言ったら貴君はどうするつもりで』
「貴様らを一人残らず斬り刻んでやる」
まるで威嚇するかのように鳴いた銀の剣にグラセが息を呑んだのが分かる。
これで今レオンが正義の味方だったなら峰打ち程度に終わらせることを考えただろうが、ここにいる自称騎士は今更人殺しになんの抵抗も抱かない反逆者。
もしも分かり合えず、敵対し、今や卑劣な毒薬で動けない弟を付け狙うと言うなら、今度こそ報復という名の剣の下に殺し殺して殺し切る。
それこそ彼が定義する『騎士の誓約』の果たし方だ。
『わたくしたちは初めから敵対意思なんてない、とだけ最初に言っておきましょう』
「……毒を盛っておいて随分偉そうだな」
『それは過程の話でしょ。我らが陛下はあくまで魔光の宝玉をお求めになられているだけであって、カエルレウムに戦争を仕掛けるのが目的ではない』
警告、あるいは実力行使。
要求を受け入れないのであればある程度の報復は覚悟すべきではないか。
彼女の言い分は冗談の類いじゃなく、本気でそう思っているからこそ出た言葉なのはその口調から理解できる……理解"は"できるが、だからといってそんな卑劣な真似に一々屈していては成り立たないのが正しきヒトという生き物だ。
『穏便に事を運びたいのであればこちらの要求を聞いていただきたいの。よろしい?』
「聞くだけ聞いてやる」
グラセが持ちかけたのは当初の予想通り、魔光の宝玉と毒薬の血清を交換するという取引だった。
正確には行方を知らないのであれば魔光の宝玉を探すためにカエルレウムのファレル領内での自由行動権を正式に許可していただきたい、代わりにリオンと当主エルシオンを冒す毒を治癒し後遺症なく正常な状態に戻すための薬を差し上げよう──とかなんとか。
他国の船が入国の許可を得るにはそれに見合う正当な理由がなくてはならない。同盟相手ではあるが、アーテルやアルブスの船も同様の条件を課している。
だからこそ、先達が守り続けた領地を邪な悪意の下に踏み荒らされるわけにはいかない。ましてや、大切な人の生きる尊厳を平気で奪うような輩に与えるものなどひとつもない。
「俺は、貴様らの交渉に応えるつもりはない。たとえ一時の安全が約束されようと、それで民が、愛すべき人が守られるとは限らない……そうだろ?」
エルシオンしか知らない魔光の宝玉の在処を探し、奴らは領地を踏み荒し、結局は自由や平穏が奪われるのが目に見えている。
それがグラセの言う「過程」だとしても、レオンにとっては行き着く「結末」と同じだ。
『なるほど。それなら仕方ない』
ガッカリ、と分かる口振りのグラセはこの場に一度の沈黙を置いた。
『──じゃあ、実力行使を開始しましょうか』
その後に出た言葉がこれだ。
交渉を破棄されるのは想定済み。であれば直接攻め入り、無理矢理にでもこちらを瓦解させるつもりだったのだろう。
この場は念話をブチ切ってでも甲板に上がり砲撃指示を出す必要がある。
…………が、しかし──思わぬところから敵の攻撃は始まった。
「ウ、ゥ……」
突如呻き声を上げた隣の魔術師に目を向ける。
顔を苦痛に歪ませ、涎を垂らしながらフラフラと徐々にレオンに近付くその男は彼が見つめる数秒の内に目をぎょろりと不気味につり上げ、次の瞬間猛スピードで駆け出した。
「ウ゛ア゛ァァアアッ!!」
「なんッ……!」
己の魔法で強化したのであろう拳が振り下ろされた時、咄嗟に抜いた銀剣が居合い斬りのごとき速さでその腕を切断する。
今の加速とパンチによほど力を込めたのか、不意打ちに失敗した魔術師はよろめき膝をついて、大量の血を迸らせながらまた奇妙な呻き声を上げた。
「レオンくん!! その人は、一体……!?」
「分からない……突然襲いかかってきた」
おかしい。
彼はファレルの一族に仕える魔術師の一人で、先程までは至極まともな好青年であった。
それがこんな、まるで獣のように。
スパイであるならもっとスマートに事を進めるはずだ。ここは密室であり、レオンは念話に集中しタレイアもその様子を伺っていた今なら暗殺も難しくはなかっただろうに。
『私の身体には聖痕が刻まれている。それは、あらゆる男を魔法抵抗力に関係なく縛り付け、魂を蹂躙し、屈服させる永続の呪詛──忠誠という不変の"愛"をもたらす女神の力。この呪いを人はこう呼ぶの』
────永続性呪詛・不変の愛。
「永続……だと」
永続性呪詛、とは二つの意味合いを持つ。
ひとつは魂が産まれ持ち、輪廻の果てまでその縛りから逃れられないという意味。
もうひとつは──その呪詛の影響を受けて魂を囚われた者が呪いから解き放たれることは死を迎えるまで永遠にないという意味だ。
グラセの場合、彼女に宿ると自称する聖痕に付随した女神の呪い『不変の愛』に彼女自身の魂が呪われているのと同時に、男性を限定して服従させると語るその呪縛を解除する術がないという両方の意味合いが込められているのだろう。
この理屈からいくと最初に影響を受けて奇襲をかけた魔術師の彼はすでにグラセの傀儡と化したため、もう元には戻れないようだ。
『私がこうして繋がっている限り、我々が攻め込む必要なんてないの。だって貴方たちは私のために勝手に殺し合ってくれるから、ね?』
そんな言葉にレオンが反論しようと口を開いた矢先、響いた声が脳を貫き透き通って侵食していく感覚が全身を捉えた。
音は波となり、身体の隅々にまで広がる。
優しく、恐ろしく、美しく、おぞましく……意味不明な感情が思考の全てを包むように駆け抜けた。
そこにいるのは誰だ。
あぁ、そこにいるのは"はは"だ。
うっすらと微笑むハハの誘いに心は体から切り離され、見えざる世界へと遠ざかる。
本当なら信じがたく恐ろしいその感覚が、何故か今はとても心地よくて安らかに思えて仕方がない。
こんなにも穏やかなら魂を奪われても構わないと思ってしまうほどに暖かく、柔らかなハhaの手が心を握ろうと伸びてくる。
さぁ捧げてしまえその魂。
不変の愛を誓い、楽になってしまえば全ては終わる。
なにも見えずに世界は終わ──────。
ノイズが走った。
なんてことだ。ありえない。
今なら無限の寵愛を得ることが──のに、この身体は────に支配されている。
────ない。そんなバカなこと──たまるかと醜く歪むdaれかが脳裏に過り、手を伸ばしながら──いく。
遠ざかる。遠ざかる。遠ざかる。
いなくなる。
まって、いかないで。地団駄を踏む子供のように言葉は宙に溢れていく。
それでも呪詛は世界から消えて、忌々しきその存在は体を支配する別の何者かによってかき消される。
代わりに見えたものがあった。
一瞬、ほんの一瞬だけ心臓を鷲掴まえて嗤う女の姿が瞳の奥で見えた気がする。
そして同時に、────が優しく微笑む声がした。
『痛ッ──!?』
完全に覚醒したのはグラセの悲鳴に近い叫びを聞いてからだった。
金の瞳に宿った自我の光が周囲を捉えれば、そこにはすでにグラセによって洗脳された魔術師たちが支配から抗おうと呻き、苦しんでいるのが分かる。
なにか、とんでもない片鱗を見た気がするが……なにも思い出せない。
「……よし」
鞘から抜かれ血を浴びたままのクラレントを両手で持ち、大きく振りかぶり──。
『そんな……っわたくしの呪詛が通用しない殿方がいるなんてあり』
みなまで言わせず、念話用の結晶体を粉々に叩き砕いた。
「大丈夫ね?」
「あ、あぁ……多分」
「部屋を出てちょうだい、一時的に封印を施すわ」
「わかった……」
先程の一瞬で酷く疲弊した様子のレオンは壁伝いに部屋を後にし、次いで出てきたタレイアが扉に固定の魔法をかけて呪詛の影響を受けた魔術師たちが部屋から出ないように細工を施した。
にしても今のはなんだったのか。
魔法抵抗力すら無効化して精神を支配する不変の愛をなんなく弾き返してしまったレオンの身体には異常は特に見当たらない。
自意識として洗脳されたと思っていないだけの可能性もあるが、干渉手段が失われた今であれば少なくともこれ以上影響を受けることもないはず。
もしもの話、その策略に乗せられこの手で守るべきモノを傷付けようとしたならば、自分の腕を切り落とし命を断つことも構いやしないのだが。
まぁ今のところは助かったと思っておくべきか。
なんにせよ残された時間は少ない。
閉じ込めたと簡単に言ったが、彼らはファレルが掲げる魔術的思想に則った手練れの魔術師。いくら正気を失っていても扉の封を解呪するのにそう時間はかけないはずだ。
例えばグラセの呪いが伝染するパターンの場合、乗組員の大半が男性であるこちらが圧倒的な不利なのは考察するまでもない。
アガートラームから正常な恩恵を受けられていないのも手伝って、下手をすればリオンも敵に回ることになる。
いくら本人が不調だとしても精神操作されては別問題。
あの高火力を無遠慮に叩き込まれたら乗組員の命はないし、そもそも要たるレオンが真っ先に足止めされるのは目に見えている。
であれば直接乗り込んで敵を一掃し、血清を奪い取ってさっさと退散するのが賢い選択だ。
しかしどうする。
一度は呪詛を無効化したが、レオンも意識していないところでのことなので二度目も上手くいくとは限らない。しかも次は間接的にではなく直接的な交戦時になる以上は危険性が増すのは確実。
ならば、グラセだけを意図的に避けるか──もしくは……。
「……あのグラセって子の相手は私がするわ」
女が相手取るか、だ。
◇
甲板には二人。
白い装束に身を包む騎士と妖艶な衣装の踊り子が青の向こう側を臨む。
せっかくの魔砲撃はすべて下げさせ、魔術師たちには待機と船員たちには操縦に専念せよと言い聞かせた。勢力は圧倒的に不利になるがグラセの術中に嵌まらないためには致し方ない。
ある意味最大のジョーカーにして最強の駒が名乗り出た今、余計な動きさえ交えないと約束できるなら作戦を短くまとめれば二人だけで突撃するのが手っ取り早いだろう。
「じゃあ頼む」
「任せてちょうだい、足止めくらいかるーくこなしてみせるわぁ!」
相手は一応赤き騎士団の指揮官クラス。永続性呪詛以外にもそれなりの搦め手をどんなタイミングでねじ込んでくるかも分からない。
さっきは恥ずかしい台詞を言ってまで頼み込んだ手前、彼はタレイアを信じている……それは無論のことだが、本職が占い師という時点で心配が勝る。
彼女にしてもらうのはレオンが敵艦に文字通り乗り込んで血清を奪ってくる間、グラセと交戦し足止めすること。
少しだけでもいい。とにかくレオンとグラセが対面しないよう戦ってもらいたいのだ。
船に突撃すればどうせ連中がわんさか溢れてくるに違いない。騒ぎに乗じて彼は一人で艦内に突入し、女騎士との接触はすべて任せる形になる。
では敵陣に降り立つ方法だが…………。
レオンには銀剣の変化魔法を用いた多少の浮遊能力がある。多少の距離であっても水面を走り宙を舞うくらいなら容易だ。
女性一人を抱えてもちょっと重いくらいでなんとかなる……と思う。
「じゃ、よろしくぅ!」
「任されたッ!」
「ひゅー! やっほぉーう!」
やたらとテンションの高い声を上げるタレイアを抱えたレオンは純白のマントを光の翼に変化させブーツに羽根を纏わせながら、遥かな大海原へと飛び出す。
まるで雪原を滑走するソリのように、水飛沫を上げて敵の手中へと乗り込んだ。




