一話 魔王と娘
昔々、あるところに魔王さまがいました。魔王さまは配下の魔物たちと幸せに暮らしていました。しかしそんな平和も長くは続きませんでした。光輝く剣をもった勇者が攻めてきたのです。魔王さまは必死になって戦いましたが、勇者の剣にはかないませんでした。魔王さまは封印され、長い眠りにつくことになったのです。魔王さまの仲間は必死になって……
カーテンが閉められ真っ暗な部屋の中、少女は暗闇も物ともせずに分厚い本を読んでいた。
その本を見る目は眠たげで読む気などないのは明白。そしてその後ろにはわくわくとした表情をした黒髪の男が立っていた。
少女は椅子から立ち上がると本をパタンと閉じた。
「燃えろ」
その一言で本は激しく燃え始めた。暗い部屋の中揺らめく炎が少女のうんざりとした顔を照らしていた。
「あああ!」
悲鳴を上げたのは後ろで本の感想を待っていた哀れな作者。
「雪比ちゃん何しちゃってるの?! まだ一ページめ! コピーも取ってない世界に唯一つのオリジナル小説なのに!?」
男は慌ててかけより手で火を消そうと試みるが、時は既に遅く、本は灰になっていた。
そんな男を心底軽蔑したような表情で見ながら、雪比と呼ばれた少女は窓を開けて、風を部屋の中に入れる。開かれた窓から吹き込んだ風は灰と埃を巻き込みながらまた部屋の外へと出て行った。
太陽の光りを背に背負い、雪比は説教を始める。
「いちいち魔王にさまってつくのがくどい。そしてこれは本当にあったことなの?」
男は灰をかき集めることを諦め、手の埃を払い立ち上がった。
そしてしれっとした顔で答える。
「この物語はフィクションです」
そんな男に雪比は大きなため息をついた。
「お父さん! お父さんは戦争でも起こしたいの?! 新たな特産品を考えたと言われて、読まされたのが自分を称えるようなお伽話。こんなの売りに出したら勇者過激派から反感を買うに決まってるじゃない! ただでさえ人間至上主義の人達を勇者様が抑えてくれてるっていうのに、そんな恩を仇で返すようなこと!」
お父さんと呼ばれた男。
かつて、神を殺した勇者とも対等に渡り合ったと言われる魔族最強の男。『黒の魔王』と呼ばれ恐れられる黒須凪は、その名の通りの黒髪をくしゃくしゃとかいた。
「あー、戦争になんてならないと思うけど? 勇者だってたくさん本あるじゃん」
魔王は反省した様子も見せずに虚空からゆったりとした椅子を二つ取り出しそれに深々と腰かける。
「勇者さんは自分で書いてるんじゃないでしょ! それだけの偉業をしたから皆に讃えられてるのよ。父さんも遊んでばかりいないで少しは人の役に立つことをしたら? 本当に自意識過剰なんだから。信じられない!」
それだけ言い残すと雪比は背中から翼を生やし、開け放たれていた窓から飛んでいった。
「暗くなる前に帰ってくるんだよー……行っちゃったか。それにしてももう飛べるようになったんだな」
魔王は立ち上がり、眩しい日の光に目を細めながら窓を閉めて、ため息をついた。
その姿は雪比とよく似ていた。
「魔王様が超大作と呼んでいた先ほど燃やされたものを執筆されている間にも姫様は成長しているのですよ」
いつの間に現れたのか。魔王の斜め後ろの陰から執事姿の男が、どことなく批難するように魔王にへと言葉を放った。
「さすがは俺の子だ。才色兼備。容姿端麗。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。どんな言葉を使ってでも言い表せない優秀な子だからな。もしかして傾国の美女とは雪比のことを言うのかもしれない」
雲一つない青空を見ながら、魔王は遠い目をしてカーテンを閉めた。また部屋の中は暗闇に包まれる。
「魔王様、親ばかもほどほどにしてください」
執事姿の男は手におえないとばかりにため息を吐いた。
「ため息をすると幸せが逃げるぞ」
「誰がさせたんだと思ってるんですか」
こんな仕事なんて引き受けなければ良かった。執事は心の中で報酬に釣られた自分を戒めた。
今まで事務処理をしていたのだが、お茶を上手く淹れられるというだけの理由で魔王の護衛兼監視兼身の回りの世話兼雑用係へと出世をとげたのだ。
そして配属されたのが、魔王が超大作を書いている時、前任者とも会わず急に魔王との対面となったのだが、魔王は執筆作業に忙しく全く言葉をかわすことはなかった。
今回が初めての交流。
予想外に変人だ。執事はそう思った。
「それにしても今日は気持ちのよい日だ。外に出ないのは勿体無いぐらいだな」
そうは言うが、魔王は椅子に腰をおろしたままであり、部屋の中も真っ暗なままだ。
「お出かけになりますか?」
執事は魔王の意図を理解した。自分を追い払いたいのだ。しかしこれは仕事だ。そう言われて出て行くわけにはいかない。
「いやいや、俺は紫外線に弱いから部屋にいるよ。君だよ。こんな魔王に貴重な日を潰されるなんて嫌だろう?」
魔王は両手を広げ、にやりと笑った。しかしそう言われてもこれは仕事なので執事にはどうにもできないのだ。
仕方なく執事はこう言った。
「私は魔王様の護衛としてここにいますので」
途端に魔王の機嫌が悪くなる。
「俺に護衛? 我は魔王ぞ、魔王。そんなものが必要だと?」
立ち上がり部屋の中をグルグルと回り始める魔王。
何をされるかと執事は冷や汗を流しながらも直立不動の体勢で答える。
「私には判断しかねます」
「よし、じゃあ魔王の護衛という役割をなくそう。君は人型だ。城下の警備隊とかどうかな? 警備隊長とか皆の憧れだろう」
魔王はよほど監視が嫌なのか、強権を使うことさえほのめかしてくる。
しかし魔王の護衛の収入は警備隊の隊長の収入を遥かに上回る。
それに執事本人だけの問題ではないのだ。
「次の定例議会でおっしゃってください」
この国は魔王が作った国だが政治を動かしているのは、議会だ。魔王は君臨せずとも統治せずを通し、一議員としての地位を保っている。
「ああ? 魔王の言うことが聞けないってのか?」
魔王が殺気を発しながら近づいてくる。魔王と勇者が激突した時、戦いの余波で国が一つ消えたという。そんな魔王に迫られて、執事は内心で両親に別れを告げた。そして前任者がいないわけと、収入の高さの理由を知った。そしてこの仕事に就く前にやたら上司が優しかった理由も。
魔王としての特別な権力はない。しかし国民の多数が魔王を支持し、議員の中でも魔王の信奉者はたくさんいる。魔王が何をしても魔王城内ではもみ消される。
魔王の暴走を止められているのは四天王だけだと言われている。
「こ、これは仕事ですので。私に言われても……」
執事は震えながら魔王へと言葉を返す。
すると魔王は気の抜けたように椅子に座り、殺気も収まった。
「近年珍しい真面目なやつだな。それにある程度実力もあると見える。生半可なやつじゃないな」
「お、恐れいります……」
執事は心の中で安堵のため息をついた。変な演技なんてやめてくれよ、と。
執事は今日だけで寿命が少し縮まったように感じた。
「君を責めるのはやめておくよ。ここまで仕事に忠実なやつを魔王城から排斥するのは勿体無い。上のやつらに君の異動を命じとくから、名前と所属を教えてよ」
フレンドリーな調子を取り戻した魔王と、そしてもう少ししたらここから異動できることを知った執事はホッとした表情で魔王の問いに答えた。
「グエルリーノと申します。所属は悪魔族。インキュバスです」
さきほどまでの殺気とは段違いの殺気。もはや振動となって魔王の体から発せられ、魔王の部屋の窓を全て叩き割った。
グエルリーノは失神しそうにもなりながらも、反射的に自分の前に結界を張る。
先ほど軽口を叩いていた人物とは全く違う。
これが大陸全土の恐怖をもたらしたと言われる魔王の本気なのか。
「インキュバスがぁ、よくもまあ、俺の、娘の、前に来れたもんだなぁ」
その言葉一つ一つが発せられる度にプレッシャーが強くなっていく。
グエルリーノの変身は解け、肌色の肌は茶褐色となり、青色の目は赤くなっていた。
インキュバスはサキュバスと同じ、人の精を食べる下級悪魔だ。相手の望む姿を取り、夜に標的の寝床に現れるという。
グエルリーノにとっては青天の霹靂だった。全くそんな気はないし、姫も何も反応はしていない。そもそも魔王の血を引く魔王の娘に魅了が効くのか。
だが、グエルリーノはそれを言うことが出来なかった。
「貴様の度胸だけは認めてやる。お前をここへやった奴を吐いて死ね」
結界が魔王の手の一振りで簡単に破壊されたのを見て、グエルリーノは命からがら逃げ出すしか無かった。
自らがインキュバスに生まれたことをこれほどまでに後悔した日もなかっただろう。
そして逃げ切れたのは魔王が激昂していたことと、インキュバスの特性、転移魔法があったからだが。
「グエルリーノォォオオオ!! 貴様の魔力、覚えたぞぉぉ!!」
魔王の咆哮は城へと響き渡り、城下町の人間達を怯えさせ、眠りについていた夜行性の魔物を叩きおこし、四天王達の足を魔王の部屋へと向けさせた。
朝のうちに予約をしていた女の元へグエルリーノは転移をし、魔王の索敵範囲から逃げようと空を飛んでいた。
魔王の暴走が抑えられた時に、国境付近で疲れ果てたグエルリーノは保護された。
一ヶ月の休み、補償金、給与の引き上げ、魔王から逃げるための魔道具の数々。しかしグエルリーノは全てを蹴って田舎へと帰ったという。魔王の前で平静さを保つ自信がない、と。
こうしてまた議会は魔王の監視に誰をつけるかに悩むこととなった。
後に魔王は『悪い芽は予め摘み取っておいたほうが良いだろう。あんな危険物を娘の側には置いておけない』と全く反省していないように語ったという。
次回
魔王の娘
魔王の娘は城を飛び出し、自らの父親に関する重大な情報を手に入れることになる。
その情報は彼女に何を思わせるのだろうか。




