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ツインテイル§ドレイカー  作者: 花凛兎
マリオネット
49/56

【Ⅲ】

ナディアは笑いさざめく人波の陰から、ずっとルードを目で追っていた。



彼がこのホールにやって来た時から……そして、ダンスの途中でここを出て行ったセレスの残像を見つめたままの今まで、ずっと。




焦る必要はない、と自分に何度も言い聞かせた。



今日が終われば、名実共にルードは自分だけの居場所になるのだから。




あと少しの間、傍に駆け寄りたいのを堪えて、彼に現実を受け入れる時間をあげた方がいい。





(私が引き裂いた訳じゃない……頼んだ訳じゃない。セレスは自分からドレイカーである事を捨てたのよ……あなたと、私の為に。とても優しくて、とても弱い子……)




遠いルードの背中に、心の中で祈るように囁きかける。




すると、その視線を感じたのか、ふいにルードが振り返った。




逸らす間もなく目が合い、立ちすくんでいると、ルードがまっすぐにナディアに向かって歩いて来る。





「……どうした。壁の花か」





ルードが微笑む。



黒い瞳は、虚ろなままなのに。





「来いよ。ナディアと踊るのは何年ぶりかな」




差し出された片手とその漆黒の瞳を、ナディアは交互にじっと見つめた。










――セレスに意識はあった。





ぼんやりとではあるが、周りの景色も見えているし自分の状況も理解ができる。




ただ、身体が痺れたように全く力が入らない。



自分の意志が及ばない身体、そしてそれが誰かの(はかりごと)である事は明白。



本来なら恐怖や不安を感じるはずなのに、セレスの意識は身体と同じく、麻痺してしまったようにぼんやりと凪いでいる。




ウサギに校舎の陰に連れ込まれたセレスは、そこで見知らぬ若い男に引き渡された。




青白い顔をした、人形のように表情を変えない男。



白いシャツにシンプルな黒いベストとスラックスといういでたちは、後見人の秘書であるクロセルを思い出させる。





今、その男になす術もなく抱き上げられ、セレスは幻魔の森を進んでいた。





前を行くウサギは、道案内でもするかのような迷いのない足取りで先へ先へと草木を分け入って行く。




(このウサギ、森を知ってる……? 誰なの。どうして私を……)





男もウサギも、出会った時から一言も話さない。




加えて、風も鳥の声もない森。




バエナの消えた身になっても、その異質な静けさの違和感だけは感じ取れる。






やがて道なき道の奥に、セレスにも覚えのある場所が見えてきた。



あの、ファウストが秘密裏に幻魔の補充に利用していた森の最深部――。




そそり立つ大樹と小さな泉、その前に以前と変わらず鎮座する大きな平岩。


そこに誰かが座っている。






(あれは……、男の人……?)





だんだんと近づいてくる光景に、セレスは霞む目を凝らし……身震いを覚えた。






平岩に腰を下ろし、木々の枝葉で遮られた空を仰ぐ横顔。




彫りの深い、整った目鼻立ちは確かに目を引くかもしれない。



加えてガッチリとした広い肩、濃いブロンズ色の髪と瞳は男性的な魅力にも溢れている。





だが身震いと共に燃えるような怒りの炎が、麻痺したセレスの心に広がっていった。





(この人……ライアンだ……!)





初対面なのにその男がそうなのだと、なぜか確信できる。





するとセレスを抱えていた男が彼の前に立ち、初めて口を開いた。






「……お待たせしました、ライアン様」



 


「やっぱり……、あっ……!」





やっと掠れた声を漏らしたセレスを、男がライアンの座る平岩の上に荷物のように投げ下ろす。



まだ力のない身体は、下ろされた仰向けの状態のまま死体のように転がった。




「乱暴に扱うな、ネイ。エフェクトが飛んでくるかも知れん」




笑いを含んだ口調でライアンがたしなめる。



ネイと呼ばれた男は黙って頭を垂れただけだった。





「ネイ……、それが、名前……?」




目だけを動かしてつぶやいたセレスを見下ろし、ライアンがニタリと口角を上げる。





「そうだ……こいつはネイ。[何も無い]という意味の古語。こいつが自分で付けた名だ」





「何も……?」





「亜麻色の髪に碧の瞳……お前がセレスティナで間違いないな。アンフィスのつがいの片割れ、バエナドレイクの主……」





セレスを見下ろす瞳は、暖かい色の薄いブラウン。



だがその視線は背筋が凍るように冷たい。





(バエナ……、そうか、この人は私がミグレイトした事を知らないんだ……)





「ルナディアは失敗したそうだな。惨めな女だ。自分の無価値を受け入れられず、あがいてあがいて……、くだらんプライドの高い女だからな、もう死んだか?」





「……! ナディアは……!」




その瞬間、ライアンがセレスの右目を片手できつく押さえつけた。





「……興奮するな。二度もエフェクトの的になるのはごめんだ。もっとも、こちらも何の切り札も持たずに、お前のような危険な女を連れ出した訳じゃないがな」





「切り、札……?」




力任せに押さえられた右目が痛い。




残った左目で見上げたライアンが自分の背後に手を伸ばし、その人物を引き寄せた。







「…………ドナ?!」





背後の大樹にでも隠されていたのか、虚ろな目をしたドナが何の抵抗もなくライアンの腕に捕らえられる。




失踪した時と同じ、ナイトガウンのままで。





「セレス……。セレ、ス…………」





「ドナ……どうして……」




焦点の定まらない目でただセレスの名を呼ぶドナの首筋に、ライアンは細身のナイフを突きつけた。





「三日前、いきなり研究所にやって来て俺に軍に出頭しろと。夢魔を使って丁重に断ったんだが……、いきなりドレイクを仕掛けてきた。俺の夢魔の方が上だったがな。今は少し薬でおとなしくさせてる」





喉で笑って、ナイフの腹をドナの首に押し付ける。




「やめて……お願い! 私をどうしたいの。何が目的なの……?」





「目的……?」





セレスの右目から手を放し、ライアンがしばし遠くを見つめる。






「壊したいだけだ。ドレイクも、ドレイクに振り回されるこの国も。オルグも幻魔も、ドレイクに関わる全てを粉々に壊してやりたい……」





「狂ってる……」





その一言に、ライアンはどこかに馳せていた心と視線をゆっくりとセレスに戻した。





「……それは、誰の事だ」





ライアンが、セレスの額からそっと髪に指を差し入れる。




そしておもむろに髪をわしづかみ、そのままセレスを引き上げた。





「きゃあああぁぁっ……!」





「よく聞け……。俺の父親はかつて名のあるドレイカーだった。だが戦いで負傷し、下半身不随となりドレイクまでも失い、さらに子供の望めない身体になった。ドレイカーを至上のものと考えていた奴は、どうしたと思う……?」





目の前に迫る狂気に満ちた瞳と、頭の皮を剥ぎ取られてしまうかと思うほどの痛みに苦悶する。



だがライアンに容赦などない。





「奴は金を積んで、自分の妻をオルグに引渡した……。彼女はドレイク保有の血筋を持つ何人もの男達に、毎日、朝から晩まで陵辱され種を植え付けられ……身ごもってやっと屋敷に戻された。そして生まれたのが、俺だ」





「…………!」





ドナとナイフを手放し、ライアンはセレスの髪をさらに両手で掴む。





「半分正気を失い、屋敷に幽閉されながらも、彼女は俺にドレイクが覚醒する日を待った。もしドレイクを保有してなければ、また父の為にオルグに行くつもりだったんだろう……そして俺にドレイクが目覚めた日、彼女は屋敷のテラスから身を投げた。役目は終わったと……そう言って」





「ライアン……離……して……!」





「ネイも俺と同じだ。ただ、ネイにドレイクは宿らなかった……だから親はネイをオルグに返品した。どうだ……ん? こんな風にドレイクを巡って人は狂気のさたを繰り返す。そいつらと俺達、どっちが狂っている?! ああ? 言ってみろ!!」




猛り狂うライアンからほとばしる怒りと憎悪。



そして、それ以上に強い哀しい愛がセレスにのしかかる。





その苦しさに目を背けた先に、あのネイが佇む。



眉ひとつ動かさない人形のような彼からも、同じような深い思いが沸き立った。






「……それでも……」





ネイを見つめたままのセレスから、うわごとのように言葉が漏れる。






「それでも……ドレイクは人を愛する。人がどんなに愚かでもどんなに弱くても……。ドレイクに罪はない……」





「ドレイクの存在、そのものが人を堕落させる! 幻魔よりよほど質が悪い寄生獣だ!」





「違う……! ドレイクは……」





ライアンは岩に落ちたナイフを拾い上げ、セレスの右目に突き付けた。





「…………!!」





「無駄なおしゃべりは終わりだ。最期にお前のドレイクを具現化してみせろ。寄生獣の長たる者を見てみたい」





「最……期……?」





「お前のドレイクは消す。国の象徴、アンフィスドレイクもおそらく正気を失う。ルドセブも、お前の右目が潰されればどうなるかな……? ドナに聞いたよ……あいつ、お前に入れ込んでるそうだな。まず最初に壊れるのはあの次期公爵だ!」






「やめ……!」





鈍く光る刃の切っ先が目の前に迫る。



わずかに動けるようになった身体も、ライアンを撥ね退けるまでには至らない。





「早くしろ。ドレイクは基本的には人を攻撃など出来ない。ゆっくり姿を拝んでから、優しくこの右目はえぐり出してやる」






「でき……ない……」






「そうか。……残念だ!」






ライアンがセレスの後頭部を掴みなおし、手にしたナイフに力を込める――。












「……セレス!!」






突然視界が、白くふわふわしたもので遮られた。



そしてそのまま引きずられるように、セレスがライアンから遠ざけられる。





首に回されたフカフカと柔らかい腕。



思わず振り返って、背後から自分を抱きしめる者にセレスは息を飲んだ。






「ウサギ……?」






「ライアン、約束が違う……! セレスは傷つけないって言ったじゃない……」






ウサギが、覚えのある声でつぶやく。




「それはお前も同じだろう。お前は俺に協力するそぶりで一緒にやって来て、隙を見てそのセレスティナのドレイクに俺の夢魔を殺らせるつもりだった……違うか、ドナ」





ライアンの後ろに控えている虚ろな目をしたドナが、徐々に霧となっていく。



そしてその霧が次にかたどったのは、真っ黒な闇色のドレイクの姿。






「夢魔だったの……? じゃあこっちのウサギが……」






ウサギが自分の腕に刺さったナイフを引き抜き、後ろに放り投げる。




そして長い耳を付けた頭の部分を脱ぎ捨てた。





「……ドナ!」





ふっくらとした頬に栗色の巻き毛、凛と澄んだ瞳。




着ぐるみを脱いだ中から現れたのは、紛れもなくセレスの大事な親友、ドナだった。






「セレス、あんたちょっとおかしいわ。あんたならあの夢魔があたしじゃないって事くらいわかるはず。それに……」





再会の喜びも束の間、ドナがセレスの腕を掴みじっと覗き込む。






「バエナの気配がない……。あんたまさか……」





「…………!」





何も答えられず、ギュッと噛み締めた唇が震える。





その様子に、固い表情だったドナの顔も見る間に歪み、セレスの頬にそっと手を伸ばした。






「あんたって子は……本当にバカね……。それで身を引いたつもり? それで全部が円く収まるとでも思ったの……」





「わからない……、もうわからないよドナ……!」





セレスの頭をかき抱いて、ドナが耳元で小さく囁く。






「もういい、わかったから。とにかく今はあんたを逃がすわ。よく聞いてセレス。この前はあたしに覚悟が足りなくて……負けてしまった。でも今度こそ、刺し違えてでもあの夢魔を止める。隙を見て逃げて。ルードとファウストに知らせて……いいわね」





 

目を上げると、悲しげにライアンを見つめるドナの瞳がある。



その真後ろで、いつのまに近づいていたのかネイがピッタリと寄り添い……そして笑った。






「ドナ! だめ、ネイ……!」






ドン!とドナの背中にネイが体当たりのようにぶつかる。




その衝撃で目を見開いたままのドナが前に傾き、それを支えようとしたセレスも一緒に草地に倒れこんだ。







「……ドナ……!」






セレスの上に覆いかぶさったままドナはピクリとも動かない。



彼女を抱き起こそうと背中に回した手がヌルリと滑った。





「……ネイ。誰がそんな事をしろと言った」




草地を踏みながらこちらにやってくるライアンが冷ややかにつぶやく。





「邪魔かと思いましたので。いけませんでしたか。一応心臓は外しておきました」





一歩下がって軽く頭を下げるネイの手には、真っ赤に染まったダガーが握られていた。





「ドナ……? ドナ! いやああぁぁっ!」





セレスがどんなに傷口を押さえても、溢れる赤は指の間からこぼれ落ちるばかりで留まる事を知らない。




それでもまだドナの背中に両手を回すセレスの腕を、ライアンが強引に引き剥がした。





「どけ、邪魔だ。……ドナにはドレイクが居る。今頃身体の中で治癒をしているはずだ。心臓を外しているなら死ぬ事はない。騒ぐな」





うつ伏せに倒れこむドナをライアンが見下ろす。





「でも、こんな……!」






「死にはしないかもしれませんが、血の匂いがキツイ。……ほら、ライアン様のも、森の奴らも……」






薄笑いを浮かべ、ネイが辺りをグルリと見渡す。




そこかしこにアガレスや夢魔の気配が沸き立ち、セレスたちを取り巻き始めた。






「これ……みんなドナを狙って……?」






「……だろうな。だが奴らは俺の夢魔の力の大きさに警戒している。おそらく近づいては来ないだろう。おい、舐めるだけにしておけよ」






ライアンが前に乗り出してきている黒いドレイクに言い渡す。




そして彼はセレスの腕を引きながら踵を返し、その場から下がっていった。






「まさか……ドナの血を夢魔に与えるつもり?! やめてよ、あなたがそんなことをしたらドナは……」




自分を引きずっていくライアンを見上げて、セレスが必死で懇願する。






ドナはライアンの事実を知ってもなお、学院を抜け出してまで出頭を勧めに行ったのだ。



それは今でもその想いに変わりはない証だろう。



そんなドナが、彼の差し向ける夢魔の糧となるのはあまりに酷だ。






「黙れ。肉まで食いちぎるよりはましだろう。あれぐらいは与えておかなければおさまりがつかなくなる」






闇色のドレイクが翼を広げドナの傍に降り立った。




そして恍惚と頭をもたげ、赤く濡れた背中に鼻先を近づける――。






「やめて――! ドナに触らないで……!」







次の瞬間、ドナの背中から黄み掛かった一体のドレイクが飛び出し、闇のドレイクの喉笛に食らいついた。





「え……っ?」





「あれは……ドナのドレイク! 治癒はどうした?!」





ライアンの叫びに、セレスもハッと我に返った。






(そうだ……! あんなひどい怪我なのに、ドナのドレイクは治癒に専念しないで何をしてるの?!)





だがドナのドレイクは、くわえた敵の喉笛を離そうとしない。




すると、元々夢魔である闇色のドレイクが呻き声を上げ、霧のように白み始めた。





「くそっ……! お前の指示かドナ!!」





ライアンがセレスを放り出し拳を奮わせる。




うつ伏せたままのドナが、わずかに顔を上げた。






「……刺し違えてでも……って、言ったでしょ……。この夢魔は……あたしが、止める……。行って、セレス」






「そんな……、こんなドナを置いて行けって……?」






ライアンが一瞬、後ずさるセレスを止めるか、ドナのドレイクを止めるか逡巡する。






「あたしは傍に居ながら、ライアンを何も知らなかった……こんな事になるまで止められなかった……。夢魔さえ消せばこの人はもう闘えない。お願い、行ってセレス!」






ドナの渾身の叫びと同時に、夢魔のドレイクが弾け飛んで霧散した。






「…………!」






セレスが踵を返し、駆け出す。




多少足はもつれるが、どうやら薬の影響はもう薄い。






(待っててドナ。すぐにみんなを連れてくるから……だから、それまで無事でいて!)








――が、突然セレスの目の前に、黒い影が両手を広げて立ちふさがった。






「……! ネイ」




「私が居る事をお忘れですか。あなたは次期公爵側の動きを封じる切り札。逃しはしません」






ネイはセレスの腕を掴んだかと思うと、いきなり腹に拳を叩き込んだ。






「……っ!」






痛みよりも一瞬、気が遠くなったところを抱き上げられ、連れ戻されてしまう。






「は……なして……! ネイ……」






いくら暴れても細身に見えるネイは意外にも屈強で、セレスの抵抗などものともしない。







情けなさにまた涙が滲む。





バエナが居なくなった今、何もできない自分。




ただ、ルードに対する弱みという余計な存在となり、身を守るために闘う事すら出来ない。










その時だった。





セレスの耳に、キンと尾を引くかすかな音が響いた。



それに続けて、ネイの足元に一つ、二つと、地面をえぐるエフェクトが突き刺さる。





「え……、これ……!」 





ネイはセレスを抱えたまま脇目も振らず走り出した。




その足を狙って、なおも次々とエフェクトが追ってくる。






目の前に迫ってくるライアンの顔色も変わり、最後にネイは足をもつれさせセレスと共に草地に投げ出された。







「……ほう、ずいぶん自在になったものだな……」





ライアンが一点を見つめ冷ややかにつぶやく。





草地に転がったまま、セレスはライアンの視線を追った。







目にした途端、また泣きそうになる。


不機嫌そうな顔で、大股にこちらにやってくる人影。




黒の髪、漆黒の瞳、今その左目は赤く燃えている。





「ウサギにさらわれたとナディアに聞いたが……訳がわからん。どこまでお前はトロ臭いんだ?」






「ルード……」





起き上がろうとするセレスの目の前に、ネイが必死の形相でダガーを突きつける。





「……おいライアン。そこの阿呆はお前の部下か? 俺はドレイクと違って、たとえ人間でもくだらねえ事をするとエフェクトをぶち込む奴だと教えてやれ」





「そういえばそうだったな……懐かしい話だ」





ライアンが抑揚のない声でルードに応える。





「懐かしいと言うなら、すぐにナディアとファウストも追いつく。パーティでもするか」





ルードの左右の手が、エフェクトを集め光り出した。




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