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【Ⅶ】

「明け方、公爵家に使いを出した。おそらく軍が今日にも一斉検挙に乗り出すだろう。よくやってくれた二人とも」





学院長の労いにルードとファウストは直立のまま小さく頭を振った。





「僕たちは何もしてませんよ。むしろもっと早く気が付くべきでした。僕が演習の授業に参加していれば、ナディアが使っているのがドレイクではなく夢魔だとすぐにわかったでしょう」





「かもしれんな。お前のドレイクなら見抜けたやもしれん。だが済んだ事は仕方がない。それよりもルナディア嬢自身が勇気を持って告白してくれた事に意味がある」





それまで終始黙り込んでいたルードが口を開く。





「ナディアは罪に問われますか」





「いや、弱みに付け込まれ夢魔を宿しただけだ。何か悪事を働いた訳でもなし、充分、情状酌量の余地はあるだろう。ましてや今はバエナの宿主だ。敵に取り入ったと見せかけてこちら側に通報した……とでも情報操作すればいい」





ニヤリといたずらっぽく笑う学院長はファウストによく似ている。



やはり親子、血は争えないと言うべきだろう。






二人は、ナディアがセレスを襲った事やその確執までは学院長にも報告していない。





ただ、事情を知ったセレスが自分よりはナディアの方がふさわしいだろうと、バエナを譲り渡した……そんなニュアンスで話してあるだけだ。






「お父さん。セレスはどうなりますか」





ファウストが切り出した質問は、ルードの胸をきしませた。






あれからナディアの話を聞き、ルードは森の隠れ家で夜を明かした。




ファウストに言われた通り部屋には戻らず、一睡もできないまま今に至る。






「うむ。事情はどうあれ、ドレイクを保有しない者を生徒として置く訳にもいかぬ。本来なら即日放校手続きを取る所だが、セレスティナ嬢に関しては後見人との事情もある。それを踏まえ、今度の創立記念祭までは猶予するつもりだ」





デスクの上で指を組む学院長は、もう厳然たる統治する者の顔つきに戻っている。



その決定が覆る事はない、と言わんばかりに。





ルードは思わずデスクに手をついた。





「創立祭……そんな、すぐじゃないですか。仮にもあいつはバエナの宿主だった。もう少しドレイクの事を学んで……」




「学んでどうする。そのドレイクをセレスティナ嬢は自ら手放した。一度は宿主であった身だ。そこまでする意味と覚悟は彼女自身にもあったはず。その覚悟を尊重し、彼女をこれからの生活の場に速やかに戻してやり、見守るべきだと私は考えるが」





理路整然とした学院長の意見に、ルードは言葉もない。






セレスのこれからの生活。




孤児院に戻って、また子供たちの世話をしながら生きていくのだろうか。




ドレイクとは縁の薄い、遠い場所で。



そして自分から離れて……?








「――生徒としてでなければ、どうでしょうかね」





突然のファウストの言葉に学院長は片眉を上げ、ルードもまた後ろを振り返った。






「例えば、ここの食堂の手伝いとか書庫の管理とか。仕事は山ほどあるはずでしょう。そういう名目ならこのままここに置いても構わないですよね」





「ファウスト……?」





「……名目を立ててまで、セレスティナ嬢をここに置く理由は?」





心底わからないといった顔つきで学院長が問う。






「深い理由などありませんよ。僕が彼女を離したくないだけです」






「…………!」





おっとりと笑うファウストを、ルードが食い入るように見つめる。






「そんな怖い顔するなよ。もうセレスに制約はない。後は彼女の気持ちひとつだろ」






「何を考えてる……」





ルードの押し殺したようなつぶやきに、ファウストは肩をすくめるだけだ。





「気まぐれもたいがいにせんと、今に痛い目にあうぞ。これは父としての意見だ。……失礼、ルドセブ君の前だったな」





ひとつ咳払いをして、学院長はまばたきでルードに詫びた。





「一応確認したかっただけです。それに僕は根は真面目な性質でしてね。ご安心を」





「ふん。誰かの為に、無茶をせぬよう心がけるならばなによりだがな……」





学院長からポツリとこぼれた台詞。



それこそが、父としての真の意見かもしれない。





「心に留め置きましょう。では、オルグ壊滅の知らせが入ったら教えてください。行こうルード」





ファウストがルードの肩を叩き、先に出口に向かう。





「ああ、セレスティナ嬢には、創立記念祭までに身辺整理をと伝えておくように。いいな」





二人の背中に学院長が声をかける。




それを無視して、ルードとファウストは学院長室を後にした。






学院長室から談話ホールに続く長い廊下を、ルードとファウストはしばらく無言で歩いた。




やがて緩やかな音楽が風に乗って聞こえてくる。




今日の午後は、三日後に控えた創立記念祭の準備に充てられ授業は全て休講。




創立祭のメインは幻魔の森の結界を張りなおす事ではあるが、その他にダンスパーティや生徒による余興なども催される。



この音楽はおそらく、談話ホールで生徒がダンスの練習をしているのだろう。






「三日後か……本当にすぐだな」





だんだん大きく聞こえてくる音楽に耳を傾けながら、ファウストが口を開いた。






「…………」





「また昔のだんまりに逆戻りか。聞きたい事があるなら聞けばいいだろう」





呆れたような口ぶりでファウストがルードを覗き込む。





「別に聞きたい事なんかない。聞かなくてもわかる」





「……だろうね。伊達に付き合いが長いわけじゃないし」






ファウストが談話ホールの扉を開けると、賑やかな音楽と生徒たちのさざめきが溢れ出した。




案の定、ホールはダンスの練習や余興の準備に追われる生徒達で賑わっている。





二人を見つけて嬌声を上げる女性徒たちに目もくれず、ルードとファウストは足早にホールを突っ切って行く。





中庭に出ると、防音効果の高いホールの扉は音楽とざわめきを完全に遮断した。





詰めていた息を吐き出して、ルードがファウストに視線を投げる。




「……やけにあいつの肩を持つとは思ってた。他人の事なんか興味ないあんたが」





「ひどい言われようだな。……でも、なかなか手ごわくてね。寂しさに付け込むってのは無理みたいだ」





そう言いながらも、ファウストに憂いは見えない。





「当たり前だ。あいつはそんな……」





「そうか?そんな付け込むなんて真似しなくても、自信はあるよ」




風が、笑みを浮かべるファウストと無表情なルードの間を渡っていく。





ファウストは、ドレイクの彫像がある噴水の前で足を止めた。





「僕には抑止力が必要なんだ」





「抑止力……?」





「僕のドレイクは様々な特殊能力があるが、それは宿主の痛覚だけでなく生命力も糧にしている。あまり無茶な力の使い方をしていると、かなり早く寿命が尽きてしまうんだ」





「…………」





「さっき学院長も言ってただろう。誰かの為にも無茶をしないようにと考えろと。この前、森でセレスに見つかった時、ああ、こういう事かと思ったよ」





ファウストが寮の上の窓を仰ぐ。




そこは自分たちの部屋の窓。




今はセレスがひとり、眠っているはずの場所。





「ナディアを抱えるルードはセレスを幸せにはできない。だが以前は国の制約もあった。だから、何か違う方法であの子を見守っていくつもりだったが……もう遠慮はしない」





「そう簡単にいくか」





「確かに。ただ、創立祭まで時間がないからね。多少、強引なやり方もいとわない。後はゆっくり傍で温度が変わるのを待つさ」





「温度……」





ギリっと奥歯を噛んで、ルードは踵を返した。




そして寮の入口へと向かう。





「おい、どこに行くつもりだ」





「自分の部屋に帰って何が悪い」





チッと舌打ちして、ファウストはその後を追った。





「やめろ。今のセレスに構うな。バエナが消えて、ただでさえ心身共にバランスを失っているんだ。あまり精神に負担をかけると本当に壊れかねない」





「俺があいつの負担になる訳がない」





階段を上りながらルードはそう断言する。





「は……たいした自信家だな」





「あんたほどじゃないさ」





やがて二人は自室の前にたどり着き、静かに睨み合った。





「好きにしろ。ただし、セレスの様子によっては叩き出すからな」





真剣な眼差しで言い渡したファウストを一瞥し、ルードは部屋のドアを開け放った。






カウチに起き上がって毛布に包まれたセレスが、大きな碧色の目でこちらを凝視する。





「……! お前……」





怯えたような目をしたセレスは、たった一晩見ない間に憔悴しきっていた。




ふっくらと艶やかだった頬は青白くこけ、泣き腫らした目は真っ赤に充血している。




こんな風になってまでセレスが守ろうとしているものは何なのか。




それがこの自分なのだとしたら、こんな見当違いは全く笑えない。





佇むルードの脇をすり抜け、ファウストがカウチに腰を下ろしセレスの肩を抱いた。





「目が覚めても横になってろと言っただろう。身体が元通りに機能するにはまだ時間がかかる。もう、普通の身体なんだからな……」




セレスの頬に掛かった髪を指先で払うファウストは、ルードが今まで見た事がないほど優しい目をしている。





「俺は……」





込み上げる嗚咽をこらえ、ルードは真っ直ぐにセレスを見つめた。






「俺は、たとえバエナが居なくてもお前を手放す気は一切ない。何があろうと誓いは永遠に変わらない。そう言ったはずだ」





「…………!」





セレスから目を離さずに、ルードがつかつかとカウチに近づく。





「いい加減にしろルード。ナディアはどうする。そんな歪んだ関係が現実的にまかり通るはずもない。誰もが苦しいだけだ」





「だったらこいつを連れて今すぐ逃げる! ……来い」





セレスの腕を掴むルードの手を、ファウストがきつく押さえる。





「気でもふれたか! そんな事をして公爵家は、国はどうする。お前はアンフィスドレイクの後継者……」





「公爵家も国も要らない。こいつが消えるくらいならそんなもの」





「いい加減にしろルード! 自分が何を言ってるかわかってるのか! 目を覚ま……」






パン! と弾けるような音が部屋の空気を震わせた。






「やめて……どうかしてる……!」





セレスに頬を張られたまま、ルードは動きを止めた。





「家も国も、何もかも捨てて逃避行? そんなの私はごめんだわ。迷惑な話……」





蚊の鳴くようなセレスのつぶやき。




そして、隣で絶句するファウストに向かって目を上げる。





「私、今すぐにでもここを出て孤児院に帰ります。だからファウスト……卒業したら私を迎えに来て」





「セレス……?」





惑うファウストにセレスが両腕を差し出す。




それを引き寄せ、ファウストは頼りないやつれた身体を静かに抱きしめた。





「わかった……。すぐ迎えに行く。待っていてくれ」





抱き合う二人を置いて、ユラリとルードが出口へと向かう。





もう戻れないのか。


呼び合う心は間違いないのに、求めて生まれるのは虚しい傷付け合いだけ。






「……驚いたな。本当に見えなくなりやがって。こんなやり方、逆効果に決まってるだろ……なあセレス」





ファウストの胸に顔を押し付けて、声を殺して泣くセレス。





その髪を梳きながらルードの後ろ姿を見遣る。





すると突然、ドアが外から勢いよく開かれた。





「ルード! ファウスト……!」





「ナディア……?」





息を切らして走り込んできたナディアがルードの腕を掴む。




「ごめんなさい。こんな押しかけて来て……でも」





「いったいどうした? 何が……」





ファウストが眉をひそめ、その腕の中からセレスも肩越しに振り返る。





「大変なの。ドナが……いないの」





「…………!」





三人が息を飲んだ。




ナディアが胸の動悸を押さえながら続ける。





「ずっとベッドで寝たままだったけど、そっとしておくつもりだったの。でも何か変な気がして、さっき起こそうと……そうしたら、ベッドの中はクッションで人型が作ってあって」





「まさか……」





セレスから血の気が引いていく。




「ずっと居なかったのよ。探したけどどこにも見当たらない。多分、ゆうべ私達が森にいる間にはもう……!」











――その頃、学院長室に密書が届けられた。




そこには極、簡潔に事の仔細が綴られている。





『オルグ所在不明。軍が赴いた、首謀者と思われる者の研究所、及び拠点と見られる施設、建物、全て無人。現在、鋭意調査続行中。続報を待て』





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