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【Ⅵ】

森にポッカリと空いた広場のような空間。




いつもはこんなガランとした場所ではなかった。




ここには緑色の丸いボウルを伏せたような、温かい隠れ処があったはずだ。





いや、いまもきっとそれは存在している。



ただセレスの目にはもう映らないだけ……。







「確かめて……どうするんだろ。バカみたい……」





それでも確かめたかった。



確かめて、目の当たりにしなければ向き合えないと思った。






内臓ごと、魂ごと奪われたかのような喪失感。



胸の中にバエナが居ない、それだけの事がこんなにも重く、叫びだしてしまいそうなほど寂しい。






「変なの……知らなかった時はこんな風にならなかったのにね、バエナ……」





空っぽの胸に呼びかけても、何も答えはない。




悲しみが込み上げて、セレスは崩れそうになる身体を自ら抱く。





その時、背後の木々を掻き分けて誰かがやってくる音が聞こえた。





――足が勝手に震えてしまう。




表には決して出せない慟哭が、セレスの中で荒れ狂わんばかりに吹きすさぶ。






「……一応確かめに来たんだけどね、やっぱり見えないや。もう私には必要ないけど」





背を向けたまま、セレスは先に口を開いた。




彼の言葉を待つ余裕などありはしない。







「……どうしてこんな事を」





予想した通りの声に、セレスは唇を噛み自分を奮い立たせる。



これは最後の大仕事なのだ。







「やっぱりドレイカーなんて私には荷が重いんだもん。だからあげちゃっただけ」





振り返らずにそう答え、震える自分の腕をギュッと掴む。





「それからね、やっぱりバエナの気持ちが私を引っ張ってたみたい。バエナが居なくなったら、嘘みたいにあなたの事なんとも思わなくなっちゃった。ごめんなさい」







「……こっちを向け」





「なんだかスッキリしちゃった。これで怖い幻魔なんかと闘わなくて済むし、何よりあなたとアンフィスから解放されるんだもの。今思うと、一生、国とあなたに縛られて生きるなんてゾッとするわ」




「……こっちを向けと言ってる」





「しつこいなぁ。もういいでしょ。バエナはナディアに預ければ間違いないし、それに私……今はルード嫌いだし」






「……今のセリフ、俺の顔見てもう一度言ってみろよ」






「…………」







溢れる涙を止めたくて、セレスは暗い夜空を仰いだ。




それでも止まる事を知らない切なさが、後から後から頬を伝い落ちる。





草を踏む足音が、ゆっくりとセレスの背中に近づいてくる。





逃げなくては、と思うのに足が動かない。



掴まえられたら、もう逃れられない……。





地面から引き剥がすように足を前に出した瞬間、セレスは後ろから抱きすくめられた。







「バカ女……! こんな事で俺が楽になるとでも思ったのか。答えろ、セレス……!」





首筋に埋められたルードの唇が絞り出すように言葉を紡ぐ。



きつく回された腕と背中の温かさに、目まいのように世界が揺らぐ。





バエナが消えたとて、甘く痛いような切なさは何一つ変わらない。



心がルードを求めて、嵐のように泣き叫ぶ―ー。






「こっちを向けよ。お前の言葉なんか何一つ聞かない。顔を見りゃお前の事なんて丸わかりだと言っただろう……」





ルードの手がセレスの頬を押さえ、振り向かせようと力を込める。





「い……嫌っ……。やめて……っ!」





頬にかけられた手の甲に、セレスは思い切り爪を立てた。





「…………っ!」





わずかに緩んだ腕からもつれるように逃れる。



だが、小さく聞こえた彼の呻きに思わず振り返ってしまった。



振り返ってはいけないとわかっているのにーー。






手を押さえ静かにこちらを見つめるルードの姿が、水の中のように滲んで見える。







「…………嫌い……だよ。もう……かまわないで……」





溢れる涙が、ルードを、世界を、セレスの全てを滲ませて押し流してしまう。




それでも、もう立ち止まる事はできない。





セレスはよろよろと、森の木々に手を付きながらこの場から離れる為に走り出した。




だが、身体が思うように動いてくれない。



悪心が胸を突き、視界がグニャリと渦を巻く。




「……セレス!」





背後でルードが自分を呼ぶ。



目の前がまだらに暗くなり、セレスは木々の間で前のめりに倒れ込む――。





その瞬間、身体がふわりと抱きとめられた。






「……大丈夫かい。ドレイクを失うと、急激な身体の変化にしばらくは動けなくなるものなんだ。……相変わらず無茶をするね」





「ファウス……」




蒼い瞳を見上げた時、そこでセレスの意識は途切れた。





ぐったりと力の抜けたセレスを抱きかかえ、ファウストは黙ったまま佇むルードを一瞥する。





「僕らの部屋に連れて行って寝かせておくよ。今夜は自分の部屋では辛いだろう。君はこっちに帰ってくるな」





「……気がついていたのか」





「だるいから横になってただけだよ。ナディアの話もだいたい聞いてきた。……明日から忙しくなるぞ」





ルードの返事を待たずにファウストは歩き出した。





幻魔たちの気配はあるものの、襲ってくる様子はない。




どうやらセレスは強力なドレイクを保持する人間として認識されているようだ。



今、そのドレイクが居ない事までは感じ取れないのだろう。






「……全く、この子らしい選択だな。確かにセレスには荷が重いかもしれない……」





ファウストのつぶやきが、夢の中のようにぼんやりと聞こえる。





抜け殻のように、身体が空洞になった寂しさだけがセレスの中をユラユラとたゆたう。






(こんなに寂しいものなの……ドレイクを失うと……。その上ナディアは……。ルード、ごめんね……ごめんなさい……)





怒るわけでもなく、ただ悲しげに自分を見つめたルードが胸に残る。







やがてファウストはセレスを抱いたまま寮を通り抜け、自分たちの部屋へと戻った。



そして、カウチにセレスをそっと横たえる。






「ファウスト……」




その振動で、ぼんやりとしていた意識が現実に戻ってしまう。





「しっ……、何も言わなくていい。今は眠ることだ。カウチはちょっと固いけど、レディを男臭いベッドに押し込む訳にもいかないからね。我慢して」






ベッドから取り上げた毛布をセレスに掛け、目の前で細められる蒼い瞳は優しい色をしている。





「あり……がと……。ファウストが来てくれなかったら私……壊れてたかも……」




その色に甘え、本音が漏れた。



あのままルードに支えられていたら……、自分の選んだ道を後悔してしまったかもしれない。




「もちろん行くさ。前に言っただろう、ルードに見切りをつけたら僕の所においでって。待ってても来そうに無いから迎えに行った」





セレスの額にそっと触れながら、ファウストはそんな風におどけてみせる。



そんな彼の優しさと額に置かれた手の温かさに、ただポロポロと涙がこぼれた。





「そんなに泣くな。セレスのした事は決して間違いなんかじゃない。どんな事情があろうと、一人の男に二人の女……どだい無理な話だった。ましてやあんな事情があったナディアを、ルードはますます見過ごせないだろう……」




大きな手が額から髪を繰り返し優しく撫でる。





「今は辛くても、痛みはいつか薄れる。それに君は一人じゃない。セレスがもう一度笑ってくれるなら……僕は何でもできる」





真っ直ぐに向けられた、怖いくらいの真剣な瞳で視界がいっぱいになる。





「…………」





重ねられた唇は深く優しく、愛おしむように幾度もセレスを包み込んだ。






「こんな時にと思うか……? でも最初からだ。セレスがホールで寝ぼけて目を覚ましたあの時から、君の笑顔は僕を揺らした。こんな時だからこそはっきりさせておく。もう身を引くような事はしない。セレスの傍には僕が居る」




指先でセレスの唇をなぞり、ファウストはそう宣言した。




いつもの飄々としてどこか掴めない彼はどこにもいない。




ここにいるのは、その想いを逸らす事なく溢れさせる、実直な一人の男だった。






「……温度が……」





セレスの囁きにファウストが眉をひそめる。





「ファウストが言ったんだよ……温度が、違う……って。違うよ、ファウスト……温かいけど……違うの……」





胸に渦巻く、ルードのキス。



激しく優しく、時にいたずらに、それでもルードの唇はどんな時でもセレスを熱く焦がした。





忘れなければならないのに、ファウストは手を差し伸べてくれるのに、セレスはルード一色に染まってしまっている。





毛布を顔まで引き上げて泣きじゃくるセレスの胸を、ファウストはトントンと上から優しく叩いた。





「温度はね……変わるものなんだよ。今夜は眠りな。もう何もしないから。ずっと、傍についているから……」





ゆっくりとリズムを刻んで繰り返される振動。




応えられない苦しさは拭い去れないが、それでもセレスはどこか安心していつしか眠りに落ちたのだった。




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