1章-6
短めです。
クレスウェル将軍はリズとウィルフの様子を尻目に、地に突き刺さったナイフを手に取った。リズの耳環を揺らしたものだった。
「将軍。どういうことでしょう?」
ハインズ大将がクレスウェル将軍に近づいて言った。どこか釈然としない顔をしている。
それもそうだった。リズは気づかなかったが、黒衣の暗殺者は何故か分かりやすい殺気を放って攻撃するのを知らせるし、リズに対してナイフを投げたが、わざと外したとしか思えなかった。
それに──。
「……堂々とナイフに国の紋章を刻むって、どういうことでしょう?」
ナイフに彫られた、複雑な紋様。それは間違いなく、マクリガーテ帝国のものだった。
そしてナイフにはもう一つ、おかしなものがあった。
「さぁな。それを今から確かめるんだ」
そう言って、クレスウェル将軍はナイフに結びつけられていた紙を解く。予想通り、そこには文章が添えられていた。
『リズへ
待ってて。迎えに行くから』
それを見て、クレスウェル将軍は眉間に皺を刻む。こんな短い手紙を届けるにしては、物騒な配達方法だ。
「……王女殿下」
クレスウェル将軍はリズに呼びかけた。
「なに?」
ウィルフとの話が終わっていたリズは返事をして、……眉をしかめた。クレスウェル将軍が厳しい表情を浮かべていたから。
クレスウェル将軍は無言で紙を見せた。たった二行の手紙。差出人名のないものだけれど、リズにはすぐ、誰からのものか分かった。
「……ナイフに付けられておりました」
それで察した。あの黒衣の暗殺者の目的はこの手紙を届けることで、アルヴィンが指示したのだ、と。
そのことが、嬉しかった。まだ忘れられていない。彼の中で私はまだ一番。思わず唇が弧を描く。
だけど、それと同時に申し訳なかった。敵国の皇子に覚えられてて嬉しいなんて、裏切りそのもの。
「……王女殿下、お教えください。この送り主は、誰でしょう?」
……リズはそっと目を伏せた。言いたくない。けれど、言わなかったら後々罪悪感で押しつぶされそうな……。
「王女様?」
ウィルフも、ハインズ大将も、兵士も、リズをじっと見つめていた。不安げな表情。
リズの瞳が揺れる。ハインズ大将と兵士はそれほどだけど、ウィルフとクレスウェル将軍はとても大切な人たち。不安にさせたくない。だけど言いたくない。……裏切り者だと言われたくない。
「わたし、は……」
リズの唇が開いては閉じる。血の気が下がった顔で唇を震わす様は、とても危うい。
クレスウェル将軍は再度開きかけた唇を閉じた。これ以上の質問は、リズの精神衛生上良くない、と判断したのだ。分かりやすくため息をつく。
「……分かりました。また今度にしましょう」
そう、クレスウェル将軍が言うと、リズはあからさまにほっとした表情を見せた。決断を先延ばしにしただけだが、それでも、今決断しなくていいことには安心する。
「では、宿営地に戻りましょう。……ハインズ、後で王女殿下を連れてきた理由を話してもらうからな」
クレスウェル将軍の言葉に、ハインズ大将はへらり、と笑った。どうやら悪いことをした自覚はなさそうで、クレスウェル将軍は再びため息をつく。これは後でこってり絞らなければ。今回は暗殺が目的じゃなかったらしいから良かったものの、下手をすれば王女は死んでいたのだ。
……狼狽えている兵士は巻き込まれただけのようだから、軽めの罰にしてやろう。
一行は森の中を進む。まだらに差し込む月明かりは、来たときよりも煌々としているように思えた。
森を抜けると、すぐに兵士の一人が駆け寄って来た。かなり、慌てた様子。息を切らしていて、どうやら長いこと走り回っていたよう。
「将軍!」
「……なんだ」
兵士は青ざめた顔で、それを告げた。
「ユーベンハル城からの急使で……マクリガーテ帝国が侵攻してきたと!」
開戦の音が、どこからか聞こえたような気がした。
△▼△
あの頃と変わらない夜空の下。アルヴィンは闇を纏うように立っていた。冷たい夜風が、左耳の耳環を揺らす。
「もう、リズは手紙を受け取ったかな?」
「恐らく」
後ろに控えていた男が答えた。フードをすっぽりと被り、その表情は何も窺えない。
アルヴィンは自嘲気味に笑った。「そっかぁ」と呟いた声は、どことなく寂しげ。
「けれど、彼女は待ってはくれない。多分、色んな人の力を借りて、全力で指揮を執る。……俺とは違って」
はぁ、と盛大なため息をつく。これから先に起こることが、憂鬱だった。
戦争の火蓋を切ったのはアルヴィン。だけど、彼だって望んでこんなことしてる訳ではなかった。ただ、リズが欲しいだけ。
視線を上げると、零れ落ちそうなほどの満天の星。けれど、決して落ちてくることはない。
リズも星と同じ。待ってるだけでは、決して手に入らない。そして、正攻法でも不可能だった。
だから、こうするしかない。戦争をするしかない。
「なぁ、どれだけの人が、俺のワガママのために死ぬんだろう」
「……知りません。ただ、これが一番死人が少なく、かつ確実性の高い方法ですよ」
「……だよね」
憂鬱。これからアルヴィンは、大勢の人々の死を乗り越えて行かなけらばならない。たった一つの、願いのために。限りある幸せを手に入れるために。
「……ちゃんと、協力してね。最期は君の望む通りにしてあげるから」
「もちろんです」
アルヴィンは目を伏せて歩き出した。影がとろりと揺らめく。
しゃらん、と耳環が鳴った。多分、リズと会わなかったら捨てていた。リズと繋がっていられるから、これはまだ宝物でいられる。
「リズ」と小さく呟いた。いっつもそう。アルヴィンは不安になると、必ずリズの名を呼んだ。まるで、自らが正しいことを確認するかのように。
「──さぁ、戦の始まりだ」
遠くに輝く松明の光。照らされた顔は、やけに青白かった。
これにて1章完結です。
2章は書き上がり次第投稿します。