レストランと、その帰り道
赤茶色の机と2人掛けのソファー。
適当に入った店内はディナーの用意を始めているのか照明をおとしていて、案内以外の店員も見えなかった。
結構混乱していた私は、男2人を壁側のソファーに座らせて向かい側の椅子に陣取る。
もちろんこの配置は相手に逃げられないようにだ。
「……そっか。そういえばキリちゃんには言ってなかったっけ」
説明を求めたところ、少し眉を寄せつつ佐川君が言った。
どうやら私が遅刻して聞けなかった自己紹介の時に、藤田君のことはみんなに言っていたらしい。
なるほど。知っててお酒飲ませたのね。
そして意地張って飲んじゃったのね。
思わず額を押さえた。
簡単にその構図が浮かんでくる。
「……何か色々ごめん藤田君」
意図的に隠していた訳ではないからタイミングが悪かったんだと思ってうだうだ言うのは止めるけど、出来ることならあの時に戻ってやり直したい。
知ってたら、まず絶対に2人で抜け出さなかっただろう。
何がなんでも佐川君に連絡を取ったし
ホテルに1人で残したりなんてしなかった。
「佐川君もあの時止めてよ。こんな見ず知らずの女と出て行って何か有ったらどうすんの」
もし私がろくでもない女だったらどうなっていたか、想像するのも恐ろしい。
未成年と一緒に遊ぶ時は、最後まで責任を持つのが鉄則だと思う。
「んー……でもこいつ男だよ?」
「甘い。佐川君、佐藤に改名したら?」
まんま砂糖でも良いけど。
なんて言葉に頭をひねっている佐川君から藤田君に視線を投げると、しっかりと目が合った。
数日前と変わらない真っ直ぐ過ぎるくらいの視線を受け取る。
「今日は、何も食わないのか?」
渦中の人物の堂々とした態度に目を奪われて、掛けられた言葉への反応が遅れてしまった。
その間に彼の手が机上で開いたままのメニューへと伸びる。
「これとか……これ。好きだろ」
めくって示されたのは鉄板に乗った
カレーオムライスなるものと
チーズインハンバーグだ。
大きな写真が輝かんばかりの破壊力を持って視覚に訴えてくる。
うわ……美味しそう。
ちょうどさっき今日の夕飯はハンバーグと決めていただけに
頭の中のスイッチが音を立てて入った。
「2人とも、今日のご飯は?」
メニューに視線を縫い留めたまま聞いてみる。
「うん、ここでも大丈夫だよ」
「俺はどこでも」
色好い返事が貰えたので、素早く時計を確認する。
佐川君云々言っていて、私自身がそれを破ったらあまりにも説得力が無い。
「藤田君、門限とか無いの?」
「日を跨ぐまでに帰れば、何も言われないな」
結構長いな。
今が少し早めの夕御飯という時間帯だから想像より大分余裕が有った。
一通りメニューを見たけど、結局最後に残ったのは藤田君が最初に言っていた2つだ。
彼はエスパーか何かだろうか。
しかし、2つに絞りこんだ先が長くて。
今はオムカレーに気持ちが移っているが注文した瞬間にハンバーグが食べたくなる気がする。
我ながら非常に面倒くさい。
頭を悩ませていると、藤田君が同じように
メニューを覗きこんで来た。
「どっちも頼めよ。俺と半分に分ければ良いだろ」
あまりにも当然のように言うからその横顔を見つめる。
彼はこちらに一切視線を遣らずにメニューを畳んだ。
佐川君が注文してくれたので、その間に硝子製の水差しでグラスに水を注ぐ。
太くスライスしたレモンが水差しの底に沈んでいて綺麗だった。
「やっぱりお前、キリちゃんの前だとよく喋るよな」
注文を終えた佐川君が藤田君を見て言えば
彼は水を入れたばかりのグラスに口をつけた。
「……だろうな」
多分今笑ったと思う。
答える声が微かに明るい。
「へー、普段喋らないんだ」
「全っ然。でもたまに天然入ってて、喋ってると面白いんだよ」
ああ、なるほど。
想像出来るなぁ。
「そういえば、あの後大丈夫だったか?」
そのちょっと天然らしい彼は、飲み会の後のことを聞いてくれているらしい。
「大丈夫だよ。そんなに飲んだ訳じゃないし、アパートが駅から近いから」
「あのまま泊まれば良かったのに」
止めてくれ。
それについてはさっきから
絶賛反省中なんだ。
「今はそうするべきだったと心底思ってる」
もちろん同じ部屋じゃなくて同じホテルに、という意味だけど。
お金とか大丈夫だったのかなと心配になって口を開くと横から言葉が被さってきた。
「キリちゃん、恭也と何も無かったって言ってなかったっけ……?」
あ。
「や、何も無いよ。本当に」
一瞬焦りそうになったものの努めて冷静に佐川君に向き直る。
「でも泊まるって……、あー……うん、理解した。やっぱり何でもない」
何でそこで顔を背けんの。
何で照れてるの。
あなたが理解した内容を今すぐここで話してみて欲しいんだけど。
しかし、誤解を解くために何でホテルに行ったのか説明すると
酔い潰れてたことも言わなきゃいけないからそれは困る。
よって私が出来るのは否定することだけだ。
「やだなー絶対誤解してるでしょ。違うよねぇ、藤田君」
「あんたがそういう事にしたいなら、良いんじゃないか?」
あれ。何で今裏切られたんだろ。
誰のために誤魔化してるのか考えると
イラッとして彼の肩にチョップする。
もういい。もう口を開かない。
ここに味方は居ない。
絶対この状況を楽しんでいる目の前の彼を思いきり睨み付けた。
「俺、帰った方が良いよなぁ」
静かになった空間に、佐川君のため息だけが響いている。
それから頼んでいたご飯が来て
すっかり満足した私たちは店を出た。
見上げた空は僅かな赤みを残して
ほとんど暗くなっている。
佐川君はこの後用事が有るみたいで
店を出た時点で別れたんだけど、問題は私の横を歩く彼だ。
「送ってくれなくて良いよ。本当に近いから」
何度言っても黙々と歩き続ける彼に苦笑する。
私がうっかり家の場所を言ったせいで
心配させてしまったのだ。
駅から比較的近い私のアパートはその割りには家賃が安い。
家具つきで内装の綺麗な2LDKにも関わらずだ。
その理由は引っ越し業者も通れないほど細い路地の先に有ることと、あまり治安が良くないと地元で有名な場所だから。
2年もここに住んでいる身としては駅に直通する道さえ通らなければ大丈夫なんだけど
それを言っても彼の表情は険しいままだった。
何だかんだで家の近くまで送って貰って
アパートの手前の曲がり角で足を止める。
さすがに家まで送って貰うつもりは無い。
「もうすぐだからここまでで良いよ。送ってくれてありがとう」
彼が純粋に心配してくれているのは分かるがそれとこれとは別だ。
堅いとは思うけど、出会ったばかりの人に家は教えない。
線引きはちゃんとしないと。
「本当に近いのか?」
私の心境に気付いているだろうにそのことを問い掛けるでもなく、気遣いだけが込められた声を贈られる。
年上とばかりと付き合っているからか
この人は、大人より大人だと感じる瞬間が有って
意識してないと本当に忘れてしまいそうだ。
「うん大丈夫。1分もかからないよ」
今だってそれを聞いて安心したように笑うから胸が痛い。
子供らしい苛立ちでも見せてくれた方がいっそ安心するのに。
「分かった、家入るまで気を抜くなよ。おやすみ」
その時彼が体を引こうとして、ふと私の方を見る。
「……どうした?」
「え?」
言葉の意味が分からなくて眉を潜めると、その瞬間私の手に彼が触れる感覚がしてびっくりする。
そちらに視線を落とせば、なんと私の手がしっかりと彼の服を掴んでいた。
死ぬほど驚いて弾けるように服を離す。
っていやいや!!この反応は逆に怪しい。思わず引き留めてしまったと言わんばかりだ。
「あ、いや……!せっかく送って貰ったし、やっぱり、ただ帰すのも悪いかなって」
言ってしまってから、このセリフは妙だと気付いた。
大体何で焦ってるんだ、落ち着け私。
「……へえ。何してくれるんだ?」
見られれば見られるほど、思考の波が1箇所に留まってくれない。
自分の言動がゆっくりと喉を圧迫していくような心地がした。