窓ガラス
いつもと変わらない朝のホームルーム。七寺がこのクラスに来てから一週間が経とうとしていた。
音楽室に机と椅子を取りに行った時に少しだけ話をしたが、それ以降は一度もコミュニケーションを取っていない。
クラスメイトの女子たちは少しずつ様子を伺いながら、でもまだどこかぎこちないといった感じで七寺との距離を縮めていた。
「相沢〜、俺にもようやく春が来たぜ」
驚いた。岡野に春が来たことにではない、いきなり話しかけられたことに対してである。
「ようやく?この前もネットの人と付き合ってたじゃん。またすぐ別れそー」
岡野はオンラインゲームが趣味であり、インターネット上にゲーム友達がたくさんいるらしい。
高校を入学してからゲームの知り合いと付き合ったという報告を受けるのはこれで三回目であることから、インターネット上で岡野はモテているようだ。
「今回は別れないって〜。で、相沢はどうなんだよ。七寺さんとの進展はあったか?」
「なんでそこで七寺が出てくるんだ」
「だって男子の中で七寺さんと話したの相沢だけじゃん」
だからなんだと言いたいが、そうやって無理やり理由をこじつけないと恋バナが出来ないのは悔しい限りだ。
現に高校生活が始まって以降、まともに女子と会話をしたことなんて一度もなかった。男子の友達も、最初の席替えでたまたま席が前後になった岡野だけである。
「岡野は七寺のことどう思う?」
「まー近寄りがたいかな。変に意識してるって思われても嫌だし」
全く同意である。転校生の女の子というだけでも話しかけづらいのに、あの見た目である。白いワンピースを着て道路脇に立たせるだけで、一つの怪談話が出来上がるだろう。井戸の中から出てきたならば、それはもう伝説になってしまいそうだ。
「近寄りがたいよね。なんていうかさ、ほら、白いワンピースとか似合いそうだよね」
「そりゃ似合うだろうな。あの見た目だし」
「だよなぁ〜」
授業が終わり、部活に行く生徒と下校する生徒が入り乱れる廊下を歩いていると、偶然にも七寺が視線の先にいた。
他クラスの生徒だろうか。いかにも陽気なグループといった女子たちに囲まれていて、七寺が少し気まずそうにもじもじとしている。
「七寺さん可愛い〜!ねぇ、今度遊ぼうよ!」
僕は思わず足を止めてしまった。それは、その言葉に対して強烈な違和感を覚えたからである。
七寺は不気味な容姿で、ホラー映画に出てきそうという無礼な想像をしてしまうくらいには『可愛い』から遠い存在である。
しかし、僕は七寺に対して『小動物系?みたいな。可愛らしい人って印象かな』と言った。傷ついてしまわないように、思ってもないことを口にしてしまったのだ。
「そうかな?えへへへ」
七寺の返事はとても儚く聞こえた。僕はなんて馬鹿なことをしてしまったのだろう。これでは、僕も七寺をおもちゃにして遊んでいる女子生徒と一緒じゃないか。
いじめられているとかそんな大袈裟な場面に遭遇しているわけではない。ただ、七寺を囲んでいる女子生徒の発言で、自分自身がしてしまったことの過ちに気づいてしまったのだ。
僕は勇気を振り絞った——
「七寺!ちょっとこっちに来て!」
僕は迷うことなく、七寺の細くて白い腕をしっかりと掴んだ。あまりの恥ずかしさに消えてしまいたいような気持ちになりながら、全力疾走でその場を後にした。
行く先を決めていたわけではない。でもなぜか、あの時と同じ音楽室の前まで走っていた。
掴んでいた腕をパッと離して七寺を見ると、困惑したようにキョロキョロと周りを見回している。
「あの、何でしょうか?」
「いや、その、七寺に謝りたくて……」
「謝る?」
どうやって伝えればいいのか分からなかった。あの女子生徒たちから七寺を救い出そうなんていうかっこいい理由ではなかったからだ。
ただ単に、あの女子生徒の発言が自分と重なってしまったことによる不快感が僕の体を動かしただけである。
「この前、七寺に『可愛らしい』って言ったの覚えてるかな。あれ、本当は——」
「嘘、だったんですか?」
自分はなんて都合の良いやつなんだろう。またあの時と一緒だ。
『ねぇ、あなたには私がどう見えていますか?もしかして……』
僕は七寺に対していい顔をしたかっただけの愚か者だ。現に今も、本当のことを伝えて七寺に嫌われてしまうリスクに怯えてしまっている。
それならもういっそのこと、七寺は『可愛い』でいいじゃないか。何がそんなに腑に落ちないんだ。
「い、いや、嘘っていうか......」
そう言った時だった。七寺に目線を向けることが出来ず頭をかきむしりながら目を泳がせていると、なんだか奇妙なものを目にした。
廊下の窓ガラスに、僕たち二人の姿が反射して映っている。いや違う、厳密に言えば僕と知らない女の子が反射して映っていたのだ。七寺が映っていない。
「もう一度聞きます。あなたには私がどう見えていますか?やっぱり......」
窓ガラスから目線を離せずにいると、七寺に問いかけられた。ふと視線を戻すと、やはりそこには不気味で怖い七寺がそこにいる。
しかし、また窓ガラスの方に目をやると、そこにはやっぱり知らない女の子が映っていた。僕は何度も、目の前の七寺と窓ガラスに映る女の子を見比べた。
幸いにも、七寺はこのことに気づいていない。長い前髪と猫背で少し俯くような姿勢のおかげである。でも、窓ガラスに映る女の子はどうだ。
少し見えにくいが髪の毛は整っているし背筋もピンと伸びている。そしてなにより、そこに映る女の子は今まで見た女子の中でもトップクラスに顔が整っていた。
まさか、これが本当の七寺なのか......?
「ご、ごめん七寺、小動物系でも井戸系でもなかったよ。七寺は清楚系だ!それが言いたくて!」
「え、はぁ、そうですか。良かったです」
七寺の反応は薄かった。少しばかり安堵しつつ、井戸系(井戸の中から出てくる幽霊)と口走ってしまったことに冷や汗をかきながら、僕は七寺に別れを告げ足早にその場を後にした。




