近づく嵐
「やぁ、おまわりさん。ちょっといいかな?」
その男は、護岸の方から近づいてくる警官を見つけると、こう呼び止めた。
「あ、あなたは?」
「ちょっと調べ物しててね。梅木って人物の居場所探してんだけど、知らないかな?」
「さぁ・・・」
「おまわりさん、そこの倉庫は知ってんだろ? 梅木って名前、聞かないか?」
「本官、パトロール中なんで。ん?」
「どうかしたかい?」
「いえ、どこかで似た人に会ったもので」
辛うじて顔形がわかる程度だったので、はっきりとはわからない。警官は首を傾げながら、ペダルに足をかけた。
「そういうこともあるさ。ま、梅木はいいや。安売りっていうか、何か中古品の店がこの辺にあるよね。わかる?」
警官は大まかな道順だけ伝えると、逃げるように去って行った。
『何かあるな。とりあえず見に行くとしよう』
これまでは不思議なくらい雨に降られることもなく、せいぜい通り雨の後とか、蒸し蒸しした夜風が強めに吹くとかそんな程度で済んでいた。それがこの日の夜はどうしたことか、突如として台風が近海に発生したことで、さっきから空が不気味なことになっている。検閲は終わった。扉がやたら強く閉まったのは風に煽られたためだろう。だが、久志にはそれ以上の何か、不吉な原動力とでも呼ぶべきものが発した音のように感じた。
雨が降り出したら厄介だ。だが、早く着き過ぎてもいけない。ひとまず携帯電話はいつでも取れるようにはしておいて、至って低速で倉庫へと向かう。
清水はいつものように待っていた。待ちぼうけを食ったような顔もせず、
「おぅ、今日はさっさと終えようや」
と至って快活だった。
今回はいわゆる新古品のエアコンが中心だが、箱には作為的な凹みが見てとれた。それでも清水はさして気にする風なく、淡々と搬入を続ける。
「あ、電話だ。すみません、室外機、あとで手伝います」
「あいよ」
久志は運転席に戻り、通話ボタンを押す。
「森下です。何かね、ディスカウントショップに着いたわ」
「早かったですね。てことは近く?」
「こないだ自転車で通った近くね。豊島のどこか」
「店の名前ってわかります?」
「暗くてハッキリしないなぁ。馬のマークみたいなのは見えるけど」
「馬?」
「ま、手がかりとしてはいい方ね。念のため、GPSで位置を知らせましょう。やり方・・・ えっ、何? キャー!」
話の途中で悲鳴が聞こえた。
「あれ、もしもし? 大丈夫ですか!」
耳を押し当てると、ドアを開け閉めする音が響いた。さては検閲人に見つかったか?
居ても立ってもいられなくなるが、今は動けない。そうこうするうちに清水がやって来てノックする。
「何だよ、彼女か?」
「あ、いえ・・・」
「そろそろ頼むわ」
手も足も覚束なくなっているが、早く終えようとするほどさらなる狂いが生じる。事務室手前で久志は思わずよろけてしまった。だが、ボードに手がかかったことで、あることを思い出すのだった。
清水は豊川に買い付けてもらうために用意した例の一角に今はいる。久志は隙をつくように携帯電話でその盤面を写す。この際、いちいち文字を確認している暇はない。ただ、その脇にアルファベットと一桁の数字の組み合わせが並んでいることは見逃さなかった。配達記録のようにも見えるが、どうなのだろう。
先を急ぎたい久志は閉扉を清水に任せ、ガチャ!が聞こえると同時にアクセルを踏んだ。バックミラーに手を振る清水の姿が見える。好人物ではあるのだが、引っかかるものはある。何につけ今夜の動画次第だ。
豊島にあるディスカウントショップというだけでは探しようがない。とにかく一旦停止しよう。電話してみるか、いや誰が応答するかわからない、下手に電話して発信者が知れたら・・・久志の自問自答が続く。
時間が無為に過ぎようとしている。嵐が近づきつつあるのが街路樹の揺れ具合でわかる。と、そんな揺れを倍加させるような勢いで着信音が鳴る。
「さっきはごめんなさい。探偵さんみたいな人が声をかけてきて」
「探偵?ですか」
「貴方にちょっと似てたから余計ビックリしちゃって。で、その人の話でね、この界隈は昔、馬場って言ったそうよ。大字は豊島、字が馬場。だから馬のマーク?」
「てことは、動物と地名とに関係が?」
「さぁ。あ、またクルマが動いたわ。いったん切りますね」
「探偵さんも一緒なんですか?」
と久志が訊いた時には通話は途切れていた。若葉の無事がわかったのはいいとして、その探偵と称する人物が気になる。自分に似ているとなれば、尚更である。
様々な想いが交錯するも、とにかく息を整え、携帯電話を操作する。動物に限ったことではないかも知れないが、その関係性の片鱗はつかめた。久志は先の画像を若葉に宛てメールする。そしてゆっくりと車庫に向けて出発するのだった。
「探偵さん、この画像見てもらっていいですか?」
「これは?」
「今はちょっと匿名ですけど、その倉庫に出入りしてる運転手さんからです。何かヒントになれば」
「上から、栗、梅、松・・・下が貝。馬? 馬もありますね」
「馬ってさっきの?」
「もしチェーン店なら、ですね。でもな」
探偵はよれよれになった古地図を取り出すと、部分的に広げて凝視し始めた。
「貝が貝塚だと田端の辺。鷹が鷹番だと上中里。鴻ノ巣、鴻ノ台ってのは滝野川あたり。確かに字の名前と重なる・・・」
「栗は栗原?」
「栗原・・・あ、大字赤羽だ」
検閲の車を追いながら問答が交わされる。今のところ事件は起きていないが、何かが起きようとしていることは刑事にも探偵にもわかっていた。風が強まるにつれ、その意も強くなる。日付はとうに変わった。