第五十八話 穴
「おとーちゃん。調子はどうや?」
玉藻は目を覚ましたハジメの顔を覗き込んでいた。
ラグナロクがヴェルダンディに深いダメージを与え、それに合わせてハジメへの治癒も効果を見せた後、ハジメはそれまでの体力消費が一気に押し寄せ眠ってしまっていた。
「悪くはないな。まだ視界がはっきりしない気もするし、なんとなく俺の右腕が熱い気もするけど、ひとまず体調は戻った気がする」
「ならよかったわぁ。あの後丸一日眠ってたんやで?」
「そんなにだったのか。ラグちゃんはどうした?」
「ハジメ様、ラグちゃんさんは……。まだ戻っていません」
ハジメの胸に重い感情が湧き出てくるのを感じた。
「そう、か。何か食べないとだな。体力戻さないと」
少しうつむいたハジメがベッドからフラフラと起き上がると、先ほど話かけてきたアリスがドアを入ったところに食事をお盆に載せて立っているのが見えた。
「いつ目が覚められてもいいように、定期的にお食事を運んでいたんです。夜中は私たちで食べてしまいましたが、今回は無駄にならずに済みました」
ニコッと微笑むアリスもどこか力なさそうな表情だった。
ハジメはベッドの反対側に目を向けると、ドリトンが椅子に座ったまま眠っているのが見えた。
「みんなで看病してくれてたのか」
ハジメはベッドに腰掛けると、アリスから食事を受け取った。
少し甘い匂いのする、スープと堅そうなパンが載せられていた。
一口パンを口にしてみるが、それ以上食べすすめることができずに、満腹だと言ってお盆ごと玉藻に預けてハジメは横になった。
「じゃあうちがもらってまうで」
玉藻が受け取ったお盆から食べかけのパンを口にしながら、横に置いてある椅子に腰かけた。
「……うち?」
ハジメが玉藻の一人称に気づいて改めて玉藻を見ると、姿が元の幼女に戻っていた。
尻尾も九本から一本に戻り、言葉も少したどたどしくなっている。
玉藻もハジメの視線に気づき、照れながら教えてくれた。
「おとーちゃんの治療したやろ?今回結構無理したから、反動で大人の姿がたもてなくなってもてな。回復するまでこのぷりちーなうちの姿楽しんでや~」
椅子に座った玉藻は、足が床についておらず、プラプラと足を揺らしながら残りのパンとスープを口にした。
「そっちの方が娘感あるな」
「せやろ?正直うちもこっちの方が大人受けはいいと思うねん」
「それを言っちゃダメな気がするけどな」
「あざと可愛いぐらいがちょうどいいんや」
玉藻は明るく答えた。
それでも、誰もラグナロクのことを話そうとはしなかった。
重い空気だから、気を遣ったからというわけではない。
誰もラグナロクの状況を知らず、答えようも、話題に上げようもなかったのだ。
ハジメもそのことを十二分に理解していた。
コンコンコンコン。
「四回ってことは、結構礼儀に詳しい人か」
部屋のドアがノックされた。
しばらく黙っていると次はドンドンドンというドアを叩く音に変わった。
「ど、どうぞ」
ハジメはそういうと、部屋に息を切らしたアルマが飛び込んできた。
「ギルドマスターいます!?」
アルマは慌てた様子で部屋を見回すと、ハジメやアリスが答える間もなくドリトンを見つけ部屋をズンズン進み、ドリトンを揺さぶった。
「マスター!!起きてください!!変態が暴れておさまりがつかないんです!!!マスター!!」
ん?変態?
「あんだよ。人がせっかく気持ちよく寝てるところを、って、アルマお前、なんだその恰好は!?」
ハジメたちもよく見ると、アルマの服は乱れに乱れ、引きちぎれている部分もあった。
もしや、アルマもあのトンボの攻撃で?
「それどころじゃないんです!主を出せと暴れる変態を止められるのはマスターしかいないんです!!!!」
「なんだそりゃ!?お前俺を変態処理の専門家とでも思ってるのか!?」
ドリトンはやめてくれよという動作でアルマを押しのけると、前髪を持ち上げてハジメを見た。
「ハジメ、やっとお目覚めか。よく寝てた割にはまだ本調子って感じじゃなさそうだな。薬膳でも食って回復してこいや。俺は、あー面倒だがその変態とやらを片付けてくるわ」
そういうとアルマに引っ張られてドリトンは部屋を後にした。
「薬膳って、もしかしてあの薬膳か……?」
「その薬膳です。あの時はラグちゃんさんが口から流血して、……あっ」
すぐにアリスは口を閉じると少し気まずそうな表情をした。
「気を遣うなって。きっとラグちゃんもまだなんか事情があるんだろうよ。もし何かあればロキが伝えに来るだろうさ」
「そう、ですよね?わ、私、ドリトン様のお手伝いに行ってきます」
「おいおい、多分話題の変態ってあの……」
「多分そうです……。ですが、ドリトン様やこのギルドの方々にお世話になったのも事実ですので」
そういってアリスも部屋を後にした。
「さぁて。ラグちゃんが帰ってくるまでどうするかなぁ」
ハジメは努めて明るい声で背伸びをした。
努めて明るくしたとしても、気持ちの重さはぬぐえなかった。
「おとーちゃん。そういうのはあんまり無理したらあかんのやで」
「娘に気遣われるほど俺は弱くねーよ」
「そんなんいうても、累計でいったらうちの方が年上やねんで~」
ケタケタと笑いながら、トテトテとハジメに近づき、ハジメの右腕に抱き着いた。
「お、おい」
「おかーちゃん帰ってきて、こんなとこ見られたら殺されてまうからなぁ。鬼の居ぬ間にってやつや。せや、その薬膳ってのにうちつきあったるわ。うちもまだ食べ足りひん」
「鬼って……。それに、玉藻いいのか?あの薬膳って……」
「なんや?うちと一緒じゃおとーちゃんは嫌なんか?ん?」
玉藻は上目遣いでハジメを見つめる。
「いや、そうじゃなくて、って、まぁいいか。じゃぁ玉藻がたくさん食べれることを祈るわ」
「祈る!?なんやねん。薬膳って地球で言う薬膳とは違うんかいな!?」
「……みたらわかる」
「なんやねん今の間は。なんか隠しとるんとちゃうか?玉藻ちゃんに隠し事は出来へんで?」
「……ダイジョウブダヨ」
「なんで棒読みやねん。怖いわ!そんなんいうならうちついてったらんで!」
そういうと玉藻はハジメからパッと離れ、ドアまで走っていくと口の両端を引っ張って、いーっと言った後に笑い出した。
「それだけ話せるなら大丈夫そうやな。したら、うち、おねーちゃんについてるようにするわ。なんや変態がどうこう言うてたし、なんかった時に人が多い方がええやろ」
玉藻はひらひらと手を振ると、またトテトテと部屋を出て行ってしまった。
「怪我人放っていくなって。……ふふふ。あははは」
不思議と自然に笑いがこぼれた。
改めてベッドに腰掛けると、これまでを少し振り返るハジメだった。
ヴェルダンディが攻めてきたこと。
ロキに助けを求めたこと。
ラグナロクが戦いに行ってしまったこと。
ドリトンが言っていた、神には勝てないという事実。
あれほど気持ち悪がったラグナロクがいないという事実で、その空間に穴が開いたような感覚を自覚していること。
寄る辺の無い不安と、あのラグナロクが負けるはずないという気持ちが渦を作っていた。
――――カシャーーンッ。
通りから、何か金属が落ちた音がした。
ハジメはそっと立ち上がり、心をざわつかせて窓の外を見た。




