第五十七話 後始末
ヘカテイアを神界に見送ってロキはラグナロクの側に移動し、ペタンと地面に座った。
ラグナロクの頭を持ち上げて自身の膝に乗せ、怪我だらけになってしまった顔を撫で、ラグナロクの目にかかった髪を手で払う。
「よく頑張ったわね。今から再封印しなければならないの」
ラグナロクは目を閉じたまま反応しない。
ロキはどこか泣いてしまいそうな、喉の奥が熱くなる感覚を感じていた。
つい、ポロっと言葉が漏れてしまう。
「覚えてる?初めてアンタに会った時のこと。この世界で珍しい黒髪のアンタは育った町でイジメられて、子供ながらに必死に反撃するけど必ず負けてた。子供からだけじゃなく大人からもひどい扱いを受けてたのを未だに覚えてるわ」
ロキは空を見上げて当時を振り返る。
それはラグナロクに向けてなのか、はたまた自身に対してなのかロキ自身もわかっていない。
――――それはハジメが来るずっとずっと前のロキの記憶。
当時のロキは、神界で神々の黄昏を呼ばれる戦争を起こし、その責任追及で世界の一つの管理を監禁された状態でしなければならい身の上だった。
常に平穏無事に流れる時間に辟易しながらも、管理室から出ることは許されず、管理下の世界を見つめ続ける日々が続く中、気になる子供を見つけたのだった。
「やめて!!お父さんとお母さんをイジメないで!!」
長い黒髪が美しい少女が、男数人に殴られる自身の父親と母親の間に割って入って必死に庇っていた。
「っるっせぇ!!クソガキが!気持ち悪りぃ黒髪なんぞ伸ばしやがって!触んじゃねーよ!!」
そういうと男の一人が少女を蹴り飛ばした。
「げっほっ。げほげほっ。うぅぅぅぅ」
それでも少女は大きな目にいっぱいの涙を溜めて必死に両親を庇っていた。
男たちは少女をあしらい、少女の両親から金銭の取り立てを続けていた。
少女の両親は多額の借金をしていたのだろう。
男のうちの一人が、少女の父親の片腕を見せしめに切り落とし、叫ぶ父親のしがみついて必死に泣き叫ぶ少女を見て、ロキはこの世界にもこんなことが起きるのかと思ったがそれだけだった。
このころのロキは、管理下の世界からその存在を認識されておらず、誰も自身に語り掛けるものもいなかったことから、自身の管理下であっても特に大きく心を動かすことも無かった。
その夜、少女の両親は少女を抱きしめて何度も謝っているのをロキは見ていた。
「はぁ。もっとこう盛り上がる展開とか無いのかしら。これじゃどこにでもあるお涙頂戴じゃないの」
ロキはその親子を見てもどかしい気持ちを感じていた。
「そこの小娘。ちょっとはもっとこうなんかないわけ?」
つい言葉が出てしまう。
だからと言って、何かが起きるわけでもないが、それからしばらくはその親子を定期的に見るようになった。
変わらず借金取りに追われ、両親が暴力を受け、少女がそれを庇うという展開が続き少女も大人の女性に成長するほどの歳月が流れた。
「あーそろそろこの娘も潮時ね」
そうロキが言うと、今日も借金取りが来ているところだった。
しかし、これまでと違って今日は少女の手を強引に引き、両親には目もくれていなかった。
「嬢ちゃんがここまでちゃんと金稼げそうな女に成長するとは思ってなかったぜ。黒髪は気持ちわりぃが染めちまえばいいだろ」
借金取りは少女の身柄を借金の型にしようとしているようだった。
少女の両親はどういうわけかそれをみてホッとした表情をしていた。
「なんだか、胸糞悪いわね」
ロキはイライラとする自分に驚いていた。
まさか自分がここまで感情を動かすと思っていなかったのだ。
「小娘!ちょっとはなんか泣き叫ぶとか助け呼ぶとかないの!?」
ロキは声を荒げるが、人々から助けを求められなければ干渉することはできない。
ハジメにコインを渡して自身を呼ばせたのと同じ理屈だ。
少女は自身が連れていかれることにホッとしている両親を見て、自身はこのために育てられたのだと理解してしまった。
その瞬間に全てがどうでもよくなり、全身から力が抜けてしまった。
「あぁぁぁ。ちょっとちょっと待ちなさいって!いいからアタシを呼びなさいよ!って、こっちの声は聞こえないかぁ、ったく」
ロキはさらに憤りを表に出していた。
すると、少女は空を見て感情の抜けた表情でボソボソと声を発した。
「神様は私が嫌いですか?名前を知らなければ、助けてはくれないのですか?」
少女が前日に呼んだ本に出てくるセリフだった。
しかしその声は確かにロキに届いていた。
「遅いわよ!ちょっとこっち来なさい!!」
ロキはその声に呼応するように、少女の体を神界に引っ張り込んだ。
――――これがロキの遠い昔の記憶。
――――時間は現代に戻り意識を失ったラグナロクに声をかけるロキの言葉に戻る。
「結局呼び出すだけ呼び出したけど、どうしていいかわからなくて、結局こうなっちゃったわね。まぁ記憶ごと封印されたんだから覚えてないでしょうけどね」
ロキは少し寂しそうにそういった。
「ロキ、お姉さま。覚えていますよ。あの時お姉さまが助けてくれたこと。そのおかげでハジメと出会えたこと。感謝しています」
「アンタ起きてたの!?やだ、こっ恥ずかしいこと言ってるんだから起きたなら起きたって言いなさいよ!!」
ロキはアワアワと慌てている。
「ロキお姉さまの声が大きいので、死人でも目が覚めますよ」
封印が完全開放されたラグナロクは普段よりもずっと感情を持った言葉を発した。
「この子はほんと」
そういってロキは膝を枕にしているラグナロクの頭を数回撫でると一粒の涙を流した。
「ごめんなさいね。アンタをこのまま開放したままにはできないの。後始末が残っているわ」
ロキは言いにくそうに言葉を続ける。
「……再封印が必要になるわ。私にもわからない部分があるけれど、アンタがヴェルと戦って神格の一部を得ていれば記憶も残るかもしれないけれど、もし得ることができていなければ……」
「構いません。ハジメの敵を追い返せただけで私は満足です。ハジメには玉藻もアリスもいます。きっと私になにかあっても守ってくれる」
封印が解けている今のラグナロクは、魔剣になる前の口調に戻っている。
「そう、ね。まずは封印をかけなおす。そのうえで人型を保てて第一段階。記憶を引き継いで第二段階。神格の一部を得ることができていなければただの魔剣に戻る。拒否させてあげられないアタシを許してね」
そういうロキの手は震えていた。
「大丈夫です。神様はあの時も私をちゃんと助けてくれましたから」
表情は見えないがラグナロクも少し震えているようだった。
ラグナロクはロキの手に自分の手を重ねる。
「あ、でも。もし私がただの魔剣になってしまったら、ハジメに謝っておいてください。ハジメのことを守るという約束を破ることになってしまうので」
少しおどけていうラグナロクであったが、ロキの手に重ねられたラグナロクの手はぎゅっとロキの手を握っていた。
「わか、ったわ。必ず守るわその約束。でも、失敗すると決まったわけじゃない。アンタは成功することだけ考えていないさい」
「はい。神様。よろしくお願いします」
ラグナロクの手から握る力がゆっくりと、名残惜しそうに抜けていった。
「始めるわよ……」
ロキは二、三度深呼吸をすると、静かに、それでいてはっきりと詠唱を開始する。
「ロキの名のもとに、彼の者、エレーナ・ルゥ・アルテナに封印を施す……」
「正しき姿は偽りの姿に。仮初の姿は正しき姿に。自身を害するすべての障害を打ち滅ぼす一振りの光となせ」
「心身全てを犠牲とし、新たな時間を歩ませることをここに定義する」
ロキが詠唱すると、ロキとラグナロクがいる地面に巨大な魔法陣が現れる。
魔法陣全体が光始めラグナロクの身体もその光に飲み込まれていく。
「アンタの真名、ほんと派手よね。アルテナなんて月の女神の名前そのものじゃない。……ごめんね。絶対大丈夫って約束してあげられなくて」
そういうロキの目には涙が流れ続けていた。




