第六十二話 旧リューデン観測所
出発当日の朝。
辺境ギルド前には、調査隊の面々が集まっていた。
荷馬車は二台。
一台には補給物資。
もう一台には、ユリオンが持ち込んだ大量の測定機材が積み込まれている。
金属筒。
魔力測定盤。
古代術式解析器。
用途不明の器具も多い。
それを見たマックスが、露骨に顔をしかめた。
「……なんか、荷物増えてないか?」
「増えた」
ユリオンが平然と答える。
「昨夜、追加で必要になった」
「嫌な予感しかしねえ……」
マックスがぼやく。
「心配するな。我々が運ぶ」
ユリオンが荷台へ視線を向けたまま言う。
「そりゃ殊勝だな」
「ああ。雑に扱って壊されるよりマシだからな」
「なんだと!? 誰が壊すか!」
「前衛職に精密機器を預ける方が間違っている」
「偏見がすげえ!」
グレンが吹き出しそうになる。
「――そう言えば紹介がまだだったな」
ユリオンが思い出したように言った。
「こちらは助手のイリス君だ」
「ぶっきらぼうだが、腕は確かだ」
「よろしく頼む」
銀灰色の長髪を揺らし、女性が軽く一礼した。
「……イリスです」
感情をあまり表に出さない声だった。
無駄のない黒装束。
切れ長の目。
近寄りがたい雰囲気だが、朝日に照らされた横顔は妙に目を引いた。
「……おい」
マックスが小声でグレンをつつく。
「なんだ」
「すげえ美人だぞ」
「今気づいたのかよ」
グレンが呆れたように返す。
だが、マックスの視線はイリスに釘付けだった。
イリスは気づいているのかいないのか、表情一つ変えず、自分の仕事を淡々とこなしていた。
その横で、カイは荷台の積載状態を確認していた。
「後輪側に寄せすぎです」
「重量配分を調整してください」
即座にオスカーと職員が動く。
ユリオンが、その様子を横目で見た。
「……本当に統制されているな」
「最低限だ」
カイは淡々と答える。
「移動中の事故は、無駄な消耗になります」
「合理的だ」
ユリオンは短く頷いた。
その時だった。
「おーい!」
通りの向こうから、聞き覚えのある声が響く。
振り向くと、ハンス・ヴォルフが荷車を引きながら走ってきていた。
「間に合った……!」
「ハンスさん?」
セリーヌが目を丸くする。
ハンスは息を整えながら、荷台を指差した。
「追加の保存食です」
「北西山岳方面、最近流通が不安定でして」
「念のため持ってきました」
カイがわずかに目を細める。
「助かります」
「いやいや、こちらこそ」
ハンスは苦笑した。
「辺境ギルドが止まると、うちも困るんですよ」
冗談めかしてはいるが、本音でもある。
今の辺境は、以前より遥かに物流が安定している。
それはヴォルフ商会にとっても利益だった。
「あと」
ハンスが声を落とす。
「北西方面ですが、最近妙な噂があります」
「妙な?」
「青白い光を見たとか」
「山で魔物が急に凶暴化したとか」
「商人連中、かなり警戒してます」
その言葉に、ユリオンが視線を向けた。
「……やはり、発光現象が出ているということか」
「知ってるんですか?」
「知らん方が幸せな類だ」
そう言って、ユリオンは荷台へ視線を戻した。
だが、その横顔にはわずかな緊張が浮かんでいる。
「出発する」
カイが言った。
「移動中にも状況整理を進めます」
◇
北西山岳地帯へ向かう街道は、徐々に人気が少なくなっていった。
舗装状態も悪い。
道幅も狭い。
以前なら、こうした街道の整備優先度は低かった。
だが現在は、辺境ギルド主導で最低限の補修が行われている。
「前より進みやすくなってるな」
マックスが周囲を見回した。
「荷馬車が揺れにくい」
「交易路ですから」
カイが答える。
「維持した方が全体利益が大きい」
ユリオンが横で小さく笑う。
「本当に徹底しているな」
「数字で考える癖でもあるのか?」
「現場向きですよ」
カイは即答した。
「現場ほど、余剰がありませんから」
一瞬。
ユリオンが黙る。
そして、少しだけ苦笑した。
「……違いない」
その返答は、これまでよりわずかに柔らかかった。
昼過ぎ。
一行は山岳地帯入口へ到着した。
空気が変わる。
冷たい。
妙に静かだ。
鳥の声が少ない。
マックスが眉を寄せた。
「嫌な感じだな」
「ああ」
ヴァレリアも短く同意する。
イリスが周囲へ視線を巡らせていた。
その手には、小型の魔力測定器。
「……数値上昇を確認」
静かな声。
「周辺魔力濃度、通常値を超えています」
「どの程度だ」
ユリオンが問う。
「観測所接近に伴い、さらに上昇傾向」
「やはり始まっているか」
ユリオンは低く呟いた。
その時だった。
グレンが足を止める。
「待て」
全員の視線が向く。
グレンは地面へしゃがみ込んだ。
「足跡がある」
「魔物か?」
「……いや」
グレンが険しい顔をした。
「人型だ」
空気が張る。
カイが近づき、地面を確認する。
確かに足跡。
しかも新しい。
「辺境軍では?」
セリーヌが言う。
だが、グレンは首を振った。
「違う」
「軍靴じゃない」
イリスも静かに足跡を観察していた。
「複数人」
「移動速度が速い」
「統率されています」
そこで、イリスがわずかに眉を寄せた。
「……妙です」
「何がだ?」
マックスが問う。
「足跡が浅い」
静かな声だった。
「人間なら、もう少し沈むはずです」
一瞬、空気が止まる。
ユリオンの表情が険しくなった。
「……先行調査隊か?」
「予定は?」
カイが問う。
「ない」
短い返答。
その瞬間。
山の奥から、低い振動音が響いた。
ゴォン――と。
腹の底へ響くような重低音。
そして。
遠く、山肌の向こう。
青白い光が、一瞬だけ空へ走った。
全員が動きを止める。
ユリオンが、険しい顔で呟いた。
「……早すぎる」
「観測所が起動しかけている」




