第二話 辺境ギルドーかつての最強の砦
辺境行きが決まってからの数日は、驚くほど静かだった。
中央総務局課長代理――だった席は、すでに引き継ぎのために整理され、机の上には最低限の書類しか残っていない。レオンハルトは忙しそうに走り回っているが、カイに何かを尋ねてくることはなかった。
公式な送別の席はなかった。
それを不思議に思う者もいなかった。
ただ、カイを慕う部下や仲間たちは、安酒場であったが別れを惜しんでくれた。
カイにとっては、堅苦しい送別会よりも、その方が何倍も嬉しかった。
そして、あっと言う間に異動の日の朝を迎えた。
「荷物は、これだけでいいか」
小さな鞄一つ。
私物らしい私物はほとんどない。仕事が終われば安酒場で酒と飯を食って帰って寝る。
それだけの生活だった。
中央を発つ朝、見送りの姿はなかった。
――いや、来られなかったのだろう。
用意された馬車に乗り込むと、隣には若い商人が座っていた。
落ち着かない様子で、何度も外を確認している。
「あの……辺境まで行かれるですか?」
「ええ。あなたは?」
「私は途中の街までです。なにしろ遠征は初めてで……」
声に不安が滲んでいる。
のどかな田園風景が広がる中、馬車はゆっくりと進んで行く。
道中、馬車は検問所で止められた。
通行証を確認する役人の表情が、途中で曇る。
「この荷、申請と量が合わないな」
若い商人の顔色が変わった。
「そ、そんなはずは……」
役人は首を振る。
「書類上は護衛一名だが、実際は二名の護衛を雇っているじゃないか。追加税が必要だ」
商人は言葉を失った。そんな話は聞いていない。
カイは、そっと口を挟んだ。
「失礼。ちょっと書類を拝見できますか?」
役人が眉を上げるが、しぶしぶ書類を差し出す。
「護衛は途中で交代していますよね?」
「……そうだが」
「最初の護衛契約は、中央区間まで。ここから先は別契約です。ですから、申請は合っています」
商人が驚いたようにカイを見る。
「え……?」
役人は書類を見直し、舌打ちを一つ。
「……チッ、もういい、行け!」
検問は、すんなり通った。
馬車が動き出してから、商人は深々と頭を下げた。
「あ、ありがとうございました! 本当に……」
「いえ。書類を見れば分かることですから」
カイは困ったように笑う。
「ああやって、もっともらしく金を巻き上げるんです。
小ズルい役人が良く使う手です」
「そうなんですか!あの野郎…」
「まあ、揉めるとかえって嫌がらせをされるので、このまま行きましょう」
「損はしなかったので、良かったですね」
「はい!ありがとうございました」
商人は、途中の街で馬車を降りて行った。
「もし……もし、またお会いできたら」
「そうですね。機会があれば、辺境ギルドを訪ねて来てください。
歓迎しますよ。」
「必ず行きます!私は、駆け出し商人のハンス・ヴォルフと言います!」
そう言って、商人は荷物を抱えて去って行った。
「まだ若いけど、気持ちのいい奴だったな。」
――これが、後に大商人と呼ばれるハンス・ヴォルフと、カイとの最初の出会いだった。
夕方、町が見えてきた。
辺境の町。ギルドの建物は、町の端にあった。
中央とは比べものにならない、古びた外観。
――なるほど、栄転ね。
カイは、局長の言葉を思い出した。
中に入ると、受付は無人。
広間では、冒険者同士が口論している。
止める者はいない。慣れた光景のようだった。
奥から現れた職員が、疲れ切った声で言う。
「……あんた、誰だ?」
「今日付で着任したギルド長です。カイといいます」
職員は一瞬だけ固まり、やがて目を逸らした。
「……ああ、あんたが」
歓迎はなかった。
「前のギルド長は?」
「三週間で辞めた。体調不良だってよ」
三週間…。
案内された執務室は埃っぽく、書類は乱雑だった。
だが量は少ない。放置されたままのものが多い。
「引き継ぎは?」
「ほとんどない。どうせ、長くは――」
言葉は途中で切られた。
カイは机に手を置いた。
「まず、状況を把握します。今日の依頼一覧と、未処理案件を見せてください」
職員は、わずかに目を見開いた。
「……いきなり、それか」
「明日に回すと、困る人が出そうなので」
中央でも、よく口にした言葉だった。
書類に目を落とした瞬間、カイの感覚が動く。
配置が悪い。
役割が噛み合っていない。
才能の向きが、ことごとく間違っている。
加えて、ここ三年は赤字続き。
予算は、ほとんど残っていない。
冒険者の生命線とも言える回復用ポーションも、残りはたった三本。
書類を一枚めくるごとに、課題が浮かび上がる。
「……なるほど」
「これが、昔は中央に匹敵すると言われた辺境の現状か…」
誰も聞いていない、小さな呟き。
――まだ、何もしていない。
それでも。
このギルドは、きっと立て直せる。
いや、立て直さねばならない。
カイは、ひそかに決意を固めた。




