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箱庭と精霊の欠片 すくうひと  作者: 日室千種


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王都14


 この国において「神殿」といえば、王都の東端に聳える巨大な建造物を指し、同時にそこを本拠とする「全」の神を奉じる神官たちの組織を指す。

 かつて、神を敬いわずかなりとその御許に近付くべく、ひたすらに我が心身を鍛え続けた幾人かが、辛苦に弱った時に寄り添い合う場所として結んだ粗末な小屋が始まりだった、と語り伝えられている。それがいまや神官の総数はこの国内に万は下らず。組織の巨大さは、個々の解脱を目的とする教えとは解離するかと見えたが、各時代に現れた強力な指導者が、緩やかでありながら統合された集団を形作った。

 大きな一役を買ったのが、教典である。初めてまとめられた教典は、神殿の奥深く、時止めの間に保管されているという。教典に記された神殿の教義は一種の哲学であり、ゆえに王族や上位貴族は、信仰と切り離した教養として、教典を学ぶ。

 神官たちは、始めと変わらず、神の領域に達するために己を律し、高め、昇華することを使命とする。各地に彼らが修養を行い研鑽を積みまた互いにただ隣に立つ、そのための拠点が数多あり、そのうち、一般の人々に対しても開かれた施設は、規模の大小に関わらずすべて小神殿と呼称され、王都には計十箇所設けられている。

 神官たちは己の修行の傍ら、民には生活の知恵や治癒の施しや、読み書き算術の初歩の教育を行い、対価や寄付を受けて生活の糧と組織の資金源としているのだ。


 神官たちを統括するのは、首座と称される唯一人の指導者であり、神殿の主として君臨している。直属の神殿詰の神官たちすら、滅多に面談の叶うことのない多忙な人物だが、あくまで修行こそが全ての神官の本分。飲食や睡眠の時間がなくなろうとも、首座は毎日、一定の時間を修行の場で過ごす。


「首座が貴方様にお目にかかりたいと申しております。修行場にてのにわかごしらえの面会となりますこと、ご容赦くださいませ。ご案内いたします」


 にわかごしらえというものの、修行の場こそ、他人を招き入れることはないのではないだろうか。案内役の泰然とした様子の神官も、そう疑って見れば、表情がひどく緊張しているようにも見える。

 主君の国王との気安さは、王太子時代に学友として側にいた数年を知っていれば、誇らしくは思えど意外ではなかったが。主君が名を告げてわずか5分で神殿の首魁に面会が叶うなど、セウスは耳を疑った。

 神殿の応接の間から出て、客が普段踏み入ることのないだろう、狭く暗い廊下を進む。繋ぎ目のない黒石の壁床は内に星を抱いているかに、チラチラと煌めきを溢す。何度も中途半端な段数の階を上り下りし、角を曲がり。

 辿り着いたのは、腰をかがめねば通れない小さな穴のような入り口をくぐった先の、広間だった。突然に床が灰色の岩盤になっている。ゴツゴツとした岩肌の床は奥の壁手前で落ち込み、まるで歪に口を開けて笑っているような形で穴が開いていた。壁一面に輝鉱石が嵌められて眩いほどに明るい中、地下への入り口は黒々と切り取られたような闇だ。

 おそらく天然の洞窟だ。床が岩になっているのではない。もともとあった洞窟の上に、神殿が建ったのだ。

 ——とすれば、この洞窟は神殿の歴史よりも古く、やもすれば神殿の成り立ちに関わる聖地というものかもしれない。史書を読むのが趣味のセウスは、その可能性に思い至って、思わずぶるぶると背筋を震わせた。

 断言できる。神官であろうと、ここに入れる人間は一握りだ。国史編纂の長官であっても、入れないに違いない。セウスはつい、目をかっ開き、鼻を膨らませた。いまこの景色と匂いを、脳裏に刻みつけなければならない。

 そしてそんな場所に首座自ら招き入れるとは。いったい自分の主君は、なんという人だろう、と敬意を募らせた。


「今、明かりを点けますので、足元にお気をつけてお進みください」


 案内係が、洞窟入り口にかかっていた紐を軽く二度引いた。連動しているのだろう、穴の奥から、微かに澄んだ音が聞こえた。と、さっと一筆薄く色を掃いたように、あえかな橙色の光が奥に灯ったようだった。

 それだけで、塗り潰されたようだった穴に、奥行きが生まれた。赤みがかった光が岩壁をぬらりと照らし、どこか粘膜のような粘り気を示す。地中からとは思えない、生温い風が、吐息のように吹き出て、顔を嬲られた。

 きっとこの穴は深い。地の底まで続きそうだ。

 案内係は洞窟には入らぬらしい。紐を引いたあとは深く腰を折って、そのまま、見送る体制だ。

 セウスは躊躇った。

 こちらから訪ったとは言え、この勝手のわからない暗闇の中に主君とともに降りていくのには、危険を感じる。いざという時、二人で切り抜けられるだろうか。

 しかしクラークは、形ばかり頷くと、さっさと洞窟に踏み込んでいった。

 こうなれば、セウスはもう悩むことはない。主君が行くと言えば、行くのだ。背中がぎりりと強張ったのがわかって、あえて肩を揺すって緊張をほぐした。何があっても対応できるように。

 あとは、出たところ勝負だ。


 灯りが灯っているとは言え、頼りない。物の輪郭も見えない暗がりで、吹き付けてくる風に向かって進むように歩くと、やがて前方に夏の光虫ほどの明かりを手にした小柄な人間が立っていた。


「こちらです」


 まだ幼さが残る声で案内される。すると意外なほどすぐに、ちょっとした部屋ほどの空間に出た。

 暗がりの奥では水のさざめく気配があり、大きな水滴が湿った岩に落ちる高い音が、延々と、延々と、耳に忍び入ってくる。

 空洞の全てが一体となり、まるで生ける者の体腔に迷い込んだような、奇妙な場所だった。絡みつくような生温い風に、血のような体液のような臭いを感じるのは、果たして実際の匂いだろうか。

 淀む、湿度の高い空気。吐く息も吸う息も体温と変わらない。そして、粘る塊を呼吸しているようだ。息苦しい。皮膚を押す見えない力が、自分たちを小さく小さく圧し固めようとしている。

 自分たちが異物として認識され敵意を向けられているかの気配に、セウスは思わずその場で立ち止まった。案内してきた者は、暗がりに紛れるように姿を隠し、そしてセウスが思わず向けた視線の先では。

 クラークが気負う様子もなく、凪いだ視線を暗がりに投じているのが感じられた。


「これは、珍しいお客様だ」


 囁くような声質であるのに、不思議とよく透る。

 さきほどの案内の少年か、ひとつ、ふたつと小さく絞られた灯りがともった。橙の明かりが、まるでまとわり付くように首座の姿を浮かび上がらせる。薄い布一枚を纏い、湿った地に直に座り込んでいた重厚な男が、ゆったりとその顔を上げた。

 ぼんやりと照らし出される淡い目。そして、神官という響きには不似合いなほどの、巨躯。だが、体の片側の輪郭は薄暗がりに沈んだままだ。まるで闇に満ちたこの空間と、溶け合っているかのように。あるいは。野生の獣が、そっと夜の闇からこちらを覗いているような。限りなく自然であり、限りなく峻厳な気配だ。


「久しいな。壮健なようでなによりだ」


 クラークの声は、セウスの耳には、いつもと何も変わらないように聞こえた。ほんとうにこの主君は、慌てるということなどあるのだろうか。

 ひとり戦慄して、それから、はっと息を呑む。クラークは、首座と面識があるらしい。それゆえに今、ここに招かれたのだと、ようやく思い至った。

 ゆらり、と闇が動いて、首座が笑う気配がした。


「……かつて一言もなく去った私のことなど、忘れ去られたかと思っておりましたが。これは、なかなかに嬉しいことだ。あなたも、結婚されたと聞きました。お祝い申し上げます」

「ありがとう。国王陛下には許可を得てきた。迷惑かとも思ったが、こうして会えて、私も嬉しい。……今日は、その結婚相手に関係して、尋ねたいことがあって来たのだが。

 精霊について、と言うべきか」


 単刀直入は変わらぬご様子、と首座は益々笑った。


「縁があるのでしょうね、あなたと私は。……私も、そのことについて動いてくれる伝手を求めていたところです」


 灯火が一瞬炎を膨らませて、首座を覆う闇を払ったかと思えば、一転、膨張させた。自然に紛れて忍び寄る猛獣が、一瞬でも目を離せば喉元に飛びかかって来そうな、圧迫感。

 けれどクラークは、ふっと口元を緩ませ、その圧を散じて見せた。


「それは好都合。さっさと片をつけたい。話を聞こう」


 迷いもなく言い放つのに、首座はにっと、唇を引き上げた。


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