王都9
「伝わらないのなら、やり方を変えて、私から質問しましょう。そもそも『箱庭に精霊が宿っていると謳った』のは誰? 当家も、もちろん作り手も言った事はないわ。誓えます。陛下ご夫妻も、王弟殿下も、一度たりとおっしゃった事はないと、確約いただいています」
「そ、れは」
返事に詰まる少女を、貴婦人は促しもせず、じっと待つ。その時間が長くなり、苦しくなって、少女は息が上がるのを感じた。
「それは、存じません。——いえ、箱庭を手に入れた人でしょうか。価値を上げたくて。う、噂、ですもの。たくさんの人が、そうお話しされています」
「そうね、困ったわ。お話の要となる登場人物なのに。顔が見えない。どころか、存在すら曖昧ね」
いいわ、とすんなりと小さな顎を少し上げる。先を促されているのだ、と見て取って、少女は嫌な予感に足元がおぼつかなくなった。
「あの……」
「振り回されている人たち、だったかしら。そこに、サリンガー家も入れてもらえるかしらね」
「で、でも」
反駁する少女の気骨にか、貴婦人はわずかに驚いた様子を見せたが、無礼だと咎める気配はない。
少女は、力を振り絞った。
「事実と違う噂を、そのままにされていたのなら、それは言いふらしたも同然ではないですか。野放しにされていたのですから」
「おやめなさいよ」
令嬢が少女の腕を強く引いたが、少女は引かない。いや、自分でもここで大人しくできない勝気さを悔やんでいる。我が身だけではない。商売も家も家族も、目の前の貴婦人にかかれば、どうなるかわからない。
少女は言い返しながらも、恐怖で強張って動けないのだ。それほどであるのに、違和感をそのままにしておけない。
貴婦人の唇が、赤く弧を描いた。
「精霊についてのお話が嘘なのか事実なのか、それについては、当家でだって勝手に判定できないの。あくまでお譲りして手放した以降のお話ばかりですし。けれど噂について当家が野放しにしたと決め付けられるのは、心外ね。
そもそも、どこの誰が言い出したのかわからない噂について、いちいち譲り先全てに問い詰めるなんてできない。それぞれが、由緒正しい御家だしね。それでも、陛下にはお願いして、『精霊』について当家では何も知らない、という事実を共有していただいているし、わざわざ公式に発言もしていただいたことがあるわ。
サリンガー家へ直接問うて来られた方達には『精霊が宿ると主張されている方もいるけど、作り手も当家も把握していない』と返答してきているの。結構積極的にね。……でもねえ、噂と戦うには、それが限界。
——信じ込んじゃっている高貴なおじいさまに、まさか『ボケてるの?』とも言えないでしょう?」
あなた、そんなことできる?と尋ねられて、少女は進退極まった。
「そ、それは」
「悪気のない、日頃の大切なおつきあいのある方たちをむやみに傷つけることなく、かつ効果的に噂を打ち消す方法を、知っているのだったら是非教えてほしいものよ。ほとほと、嫌気がさしているの。噂自体にではないわ。噂だけで箱庭をことさらに目の敵にする人たちや——逆に、声高に噂を広めて回る、善意の『愛好者』の方々には」
貴婦人は気だるげに首をかしげ。
顎を引いてしっかりと立っていた令嬢へと、感情を見せない緑の目を戻した。
「作り手は決して言わないから、代わりに言うけれど。箱庭が好きだと言いながら、見せびらかすように扱うのは、かえって大迷惑ね。味方の顔をして、作り手の意図しない余分な価値を好き勝手に乗せていくことで、こちらの迷惑がいや増しているのに気がつかないのか、見ぬふりをしているのか。
あの子の箱庭は、個人的な贈り物でしかないの。商品ではない。だから、そういうことがしたいのなら、その道で身を立てようとしている芸術家の卵たちに投資をしてやりなさい」
令嬢は水を浴びせかけられたかのように、ブルブルと震え出した。化粧越しにも明らかに色味をなくした唇を喘ぐように動かし、「申しわけ……」と辛うじて絞り出すと、そのまま俯いてしまった。
かろうじて立っている有様の令嬢を横目で見て、少女はもう一度、自分を奮い立たせた。
「そ、その人たちだって、振り回されているだけです」
「好んで、ね。自ら好んで。間違えないで。彼らは選べるの。振り回されないよう距離を置くか、振り回されるか、誰もが選べるの。振り回された方が自分に得があるから、愉しいから、振り回されているのよ」
「誰もがそんなわけじゃあないでしょう!?」
「そう、例外が一人だけ、いる」
貴婦人のたおやかな体が、そっとかがめられ、少女の顔を覗き込んだ。ふわりと甘い香りがして、滑らかな肌が匂うようだった。
けれど可憐な唇からこぼれたのは、殺気すら篭った一言だった。
「箱庭の作り手よ」
白く冷たい顔が遠ざかる。
それに合わせて、夢から覚めたように、頭が冴える。
「作り手だけは、選べない。振り回される。どこまでも。だからサリンガー侯爵家は、この舞台から降りない。作り手を害する可能性がある者には、徹底して戦うことを決めています。徹底して、ね」
なにしろ、と続く。
「ようやく、少し安心できるようになったの。作り手は、王都を離れた。
善意からだろうが悪意からだろうが、むやみに人の口の端に上るようになって、サリンガー家が得をしているですって? 妹が宝の作り手として、誘拐されたり力づくで抱え込まれたり、脅されたり害されたり、そんな危険性が高まるのに。何がよいことなものか。
あの子は、妹は、好きで作った作品を、好意で贈った作品を、勝手に売られ、勝手に祭り上げられ、勝手に敵視されてきた。さらには勝手に——神殿の名を借りて、冒涜などと」
恐ろしがる声や、義憤に駆られた声、様々な声が、あちこちで沸き起こる。思い当たる発言があった少女は、思わず息を詰めた。
「わ、私はそんなつもりは」
「そう? 『神殿は精霊を認めていません』『箱庭など、神への冒涜だわ』そう、言っていたのを聞いたけれど。
——でもね、おかしいの」
ホールは異様なほどに静まっていた。
誰もが、彼女の言葉の続きを聞きたい気持ちになっていたのだ。
「実は、神殿の首座様には、一度箱庭をお譲りしているの。不思議な魅力があると、喜んでいただいた。精霊という噂にも、笑っていらっしゃった。そう感じる人もいるのだね、と。——神殿には、神の概念はあっても精霊の概念はない。かといって存在しないとは決め付けられない。神が否定も肯定もされていないものを、人がどうこうは言えないよ、とね。
ねえ、では。
首座という、神殿の教えの髄を理解していらっしゃる方が『精霊』を問題視なさっていないのに、声高に『精霊』が神殿の教えに反すると叫ぶのは、いったい、どなた?
本当に、異端なのは?」
見つめられ。
三つを数えて、ようやく、少女の首がわずかに動いた。右に。そして、左に。それから、ぶんぶんと左右に振られる。
それをしばらく眺めて、貴婦人は興味を失ったかのように、すっと姿勢を戻した。
細く柔らかそうな手が、扇を開いた。
少年少女の意識が、絞られるようにそこに集中する。
「あなたたちは、まだ成人前。騒ぎは不問としましょう。けれど、覚えておきなさい。
噂は、人を害します。
むやみに噂を信じ込み、善意であれ悪意であれ、みだりに吹聴することは、その後押しをすること。自分の発言の及ぼす効果を賢く見定め、きちんと責任を持ちなさい。ええ、害される側が、反撃することだって、あるのよ。
——では、よいお茶会を。皆様の後見人には、それぞれご挨拶を贈りましょう」
花が咲くように微笑むと、貴婦人は伯爵夫人を伴って退室して行った。
残された少年少女は、しばらく呆然とし、すぐにそわそわと帰り支度を始めた。皆が素性を特定されていることは間違いない。なんと連絡が来るものか恐ろしくてならず、その前に家に帰ってどう話をするか、と、誰もがいてもたってもいられなくなったのだ。
貴婦人の去った方を眺め、力が入りにくい膝をなんとか叱咤して立っていた令嬢と少女は、やがて、どうにか振り向いた。
がらんとした室内を見やり、誰もに置いていかれたことに、二人とも仕方ない、と諦め。
それから、お互いを見て、緊張気味に微笑み合った。まったく儀礼的で、苦しみの滲んだ笑みだ。互いにそれがわかるから、もう一度、今度はもう少しだけ、口元を緩めた。
「よければ、機会を改めてお話ししません? 個室のあるパティスリーがよろしいかしら」
「ええ、私もそう思っていました。そうですね、お互いの家より、気にしないでお話しできます」
そうして二人、そっと寄り添って、ゆっくりゆっくり歩いて退室した。
支え合わなければ、今日の衝撃を受け止めきれないのかもしれない。




