王都5
警備兵たちはさすがにセーヴィル辺境伯が王家の忠臣であり、尊重すべき有力貴族であると知っていた様だ。主君に黙礼をしつつ、再び油断なく緑色の煽動者たちを警戒している。
緑の使徒と名乗り集まっていたのは、十二人。一人は血の滴る腕を押さえ、なんとか立ち上がった。
「これは、まさかご本人とは。もちろん、謝罪いたします。申し訳ございません。つい、興奮のために言葉が荒く、無礼と受け取られてもおかしくはない言い回しをしてしまいました」
負傷者を庇ったもう一人が、腹が立つほど素直に謝罪をしてくる。これだけの騒ぎを起こしておきながら、本心であるはずがない。油断ならない相手だと思っていたが。
善良な人間には、誠意ある対応に見えたのだろうか。意表をつかれたとばかり、見物をしていた王都民たちが、ざわざわと気を抜いた。その時。
「うわあ」
「痛い!」
見物人に一番近かった煽動者の一人が、呑気に隣に話しかけていた男の腕を思い切り引っ張った。男はもんどり打って倒れ込み、手に持っていた仕事道具であろう工具をあたりにぶちまけた。工具が当たってよろけた者、倒れ込んだ者、それを避けた者たちが、連鎖の様に騒ぎを大きくする。
その反対側で別の煽動者が、立ち止まっていた荷車の荷を引き倒し、あたりは騒然となった。
「おい、待て!」
警備兵が無駄に叫ぶが、騒ぎに乗じて、緑の布を被った人間たちは瞬きの間に四散した。あたりは怒号と悲鳴に溢れ、痛みを堪える呻きや悪態で、一気に混沌の様相を呈した。
しかし、主君は不動。ゆえにセウスも自分の足をぐっと地面に押し付けた。
やがて警備兵がひとりやってきて報告したことには、群衆を隠れ蓑に逃げた緑の使徒は、紛れるや否や緑の布を脱ぎ、打ち捨てて、道ゆく人に溶け込む様に姿を晦ましたという。いかに王都に精通した警備兵であっても、捕らえられたのはわずかに5名。
ただし、5名とも、今日の集会について声をかけられたのは昨日で、対価を受け取って緑布を被りあの場にいたのだと主張する。そして、腕を怪我した煽動者はいなかった。
「真偽はもう少し聴取を行わねば分かりません。また、本当だったとして、罪に問わないわけではありませんので。五人を王都警備本部へ連行してよろしいでしょうか」
王都内であっても、直接被害を受けた高位貴族が希望すれば、犯人の引き渡しを受けることができる。だが。
主君がちらりと視線をくれたので、セウスは小さく首肯した。
「ご苦労」
主君は、ただ頷いた。連行は不要ということだ。それに、安心した様に警備兵が微笑む。
引き渡しは、特権である。特権が反感を買うことは、よくあることだ。最重要な容疑者は逃してしまったことがわかっているのに、ここであえて引き渡しを求める理由はない。セウスにも、十分予想のつく返答だった。
「横から失礼いたします。実害はなかったとはいえ、あれほど過激な物言い。当家の名誉にも関わります。警備本部での聞き取り結果は、ぜひ速やかに教えていただきたい。いかがでしょう」
付け入るのであれば、相手の気が抜けた今だ。案の定、快諾される。
「しかし、緑の使徒とは、なんなのでしょう。これまでにも、この様なことが?」
「いえ、われわれ西地区では、緑の使徒という名も、このように不敬な集会も、これまで報告はありませんでした」
任務があるのでと立ち去る警備兵を見送り、追いついてきた騎士たちの一部に、広場の怪我人の対応を手伝うように指示した。騒ぎを聞きつけ手当てに参加する王都民も、呼ばれて駆けつけた町医者も見える。それぞれがすべきことをすれば、すぐに落ち着くだろう。
今はその場のことは置いておいて、主君である。
「クラーク様」
人を避けて広場を横切ろうとしている主君に駆け寄る。その青い目が見ているのは、広場から出ていくつめかの、路地だった。
「ここに、逃げ込みましたか?」
「入っていくところまでは目視した」
薄暗く、風通りの悪そうな道を覗き込むと、そこは舗装されておらず、むき出しの土の道だ。その上に、乱れた足跡が付いている。そして、一滴の濡れた血痕も。
あの時、緑の集団の中で口を利いたのは二人だけ。主君はあの騒ぎの中、その二人がどこへ向かうのか、それを目で追っていたという。
「追わせますか」
「……いや」
足跡は、しばらく続いていた。広場の喧騒が、まだ遠ざかるほどでもないところ。
そこで足跡は急に向きを変え。
「ここに逃げ込んだようだ」
主君が、なんの躊躇いもなく、その路地に面した古びた扉を引き開けた。
セウスは咄嗟に息を飲み、主君に飛びつく様にして、前に出た。扉の影から何物が飛び出てきても、一撃目を防げるように。
「ここは安全だ」
大丈夫だ、と肩を叩かれ、瞬間的に恐ろしいほど高まった緊張をゆっくりとほぐし、中を見る。
灰色の木の扉は金属で補強され、重々しい動きをしていたが、その内部はひどく静かで、磨かれた木と蝋の匂いがした。開いた扉から昼の明かりが差し込み、ゆったりと舞う埃を照らし出している。
「ここは」
「小神殿だ」
なるほど、とセウスは頷いた。
神殿では、流血や殺生はご法度だ。王都内ではかなり安全な場所と言える。
その建物の床に、砂まみれの足跡がふたつ。段々と薄くなりながら、奥へと向かっている。主君は、躊躇いもなくその後を辿った。
水廻りや倉庫を過ぎ、薄暗い廊下を折れると、いくつかの閉じられた扉。そして突き当たりに石の壁枠が見え、その向こうから微かに人の声がした。
「神官の衣など下に着ていたのか。見られたらどうする」
「神官が言っているとわかったほうが、信憑性があるだろう」
「ばかもの、他の神官に見られるのが問題なんだ。わかってるのか、俺たちがしたことは、禁じられていることだ」
会話の合間に呻き声。
治療に集中している二人は、覗き見るこちらに気付く様子はまるでない。
二人がいるのは、小神殿に必ずある広間で、修行の場である板の間だ。神官たちは日々、ここで修行を行うが、同時に、時にここを開放して近所の住民に向けて読み書きの教室を開き、あるいは健康や生活の悩み相談に応じたりとしているのだ。民との繋がりは、寄付や神官の生活のためには決して欠かせない。神官にとっては、そうした活動もまた、修行であるという。
二人、若い。兄弟ほどに歳の差はあるが、少年の面影が残るだろう年齢だ。緑布は傍らにぐちゃぐちゃとまとめて置いてあった。
神殿には、ほんの幼い時から修行を志して出家をする者たちもいる。修行は大人と変わらず課せられるため、落伍者は多いが、その中で残る者たちは非常に優秀で、神殿機構の上位に入る者も多いと聞く。
そして得てして、神殿の外の生活を経験することのない彼らは、神殿の中にあってもなお、より純粋でひたむきだ。
「ちゃちゃっと包帯巻いてよ。ここの掃除を終わらせておかないと」
「ちょっと待て。僕は、長いものが苦手なんだ」
「ああ、でもまさか、最初の最初で当のご本人が現れるとはなあ」
「もうやめよう。とてもお怒りだったと思うよ。箱庭の危険性を理解してもらう前に、こちらが投獄されてしまう。だからこそ、禁じられているんだろう」
「ちぇ、やっぱ貴族は、頭が固いよなあ」
そこまで聞いて、主君が肩越しに背後を指さした。
足跡を誤魔化しながら、速やかに退去し、通りに戻る。
「見つからないように監視を。神殿内外の接触もできる限り把握したい。……素性も。探れるか?」
「何人かは繋がっていますが、ここで使える糸かどうか」
「糸が切れても、構わない」
対、神殿。
噂に織り交ぜられた「神」という単語から、神殿の存在がちらちらと主張はしてきていたが、思うよりもがっつりと関わっているのかもしれない。
今回のような形で活きてくるとはまったくの想定外だったが、神殿に関わる、その際の準備は長年かけて手を尽くしてある。
「お任せください」
セウスは唯一の主君のために、誇らしく胸を叩いた。




