たつひと 6
すっかり紅茶を飲み干してしまったマーズが、次はうつくしい紋様の描かれた銀の酒杯を傾け始めた。
「アメリが、貴女を拒否する理由、ね。本気で、剣を扱い軍を率いて戦うことができる女しか認めない、というのかしら。そこまで、頑なな印象は持っていなかったのだけどね。
といって別に、クラークを慕っていた、というわけでもないと思うのよ。そこまで関わりは多くなかったようだわ。むしろ、ジェイとは年齢の逆転した姉弟のようだったのが、そのまま、夫婦になっても変わらないみたいね。
アメリの影響を受けてはいるけれど、ロジエンヌは、お兄ちゃん大好きな子だし、お嫁さんにとられちゃう、っていう寂しさの裏返しだと思うの。良くも悪くも、あの子はそこまで悪いことは考えられない子よ。
ジェイもいつもあの通りだけど、少しは我が身を省みて、広い視野を持つべきことに気づいてくれると期待するしかないわね。ただ、あの子自身は陰湿な性質じゃないから、わかりやすくて、本当の意味で脅威にはならないないでしょう。
当家の使用人たちも、アジーナの指示が解ければ、きちんと支えてくれるはず。——それでも上手くいかない部分は、今後は女主人として、ミリアンネと新しい侍女頭に管理していってもらうことになるわね」
ひどく面白そうに、ミリアンネに向けて杯を掲げてみせたマーズは、常よりも明るく若々しく、まるで屈託のない娘のような顔をしていた。そうしていると、普段身につけている重厚な灰色と緑の衣装が、とたんに似合わなくなった。
ふふふ、と笑った、と思えば、少し夢見るように目を細めて、杯に口付けた。
「びっくりしたのよ。貴女が屋敷に到着早々にあんなに苦しそうに熱を出したから。何はともあれ、まずはこの土地と気候に慣れて、体力をつけて、心穏やかにクラークを待っててもらおうと、そう思ったのよ」
「その節は、ご心配をおかけしました。でも、本当に、たまにしか、寝込むことなどないのですよ」
「そう、聞いたけれど」
何かをかき抱くように腕を体の前で交差させて、マーズは眉を顰めた。
「貴女、あまりに小さいし」
「……お義母様が、背が高くていらっしゃるんです」
ミリアンネの精一杯の反論にも首を振り。小さくて細くて、壊れてしまいそうに思ったのよ、と言葉を重ねてきた。
「侯爵家でも、部屋に籠りがちで寝食を忘れてしまうこともよくあると、使者の執事の方、ウェイといったかしら、彼が言っていたから。クラークが戻って正式に披露目をするまでは、と思って、貴女の工房も、案内をしばらく我慢してもらおうと……」
「おっ、おかあさま!?」
ガタリ、とミリアンネは立ち上がった。まるで椅子の下から短槍で突かれたかのように、跳ね上がった形になった。
きょとりとしたマーズが、不思議そうな目を向けてくる。
「こう、ぼう? 工房とおっしゃいました?」
なんのことか、いやそんなこと、決まっている。十中八九、テラリウムの工房のことだ。ことだが。あるのか、あるの? どこにあるのか、いったい、どこに!
思わず、手が、両手が上に向いて、握ったり開いたりしてしまう。
目の周りが熱く、重たくなって、キーン、と耳鳴りがしそうだった。
「私の、テラリウム、どこかにあるんですか?」
驚いた顔をしたマーズが、マーズしか、見えない。
答えが待ちきれなくて、食卓に手をついて乗り出した。
マーズが、体を引いた。
「屋敷のどこかに、あるんですか?」
「ミ、ミリアンネさん」
泣かないで。
マーズが顔を歪めて、そんなことを言う。
泣いているつもりはない。むしろ至極冷静だ。テラリウムがきちんとあって、工房とやらがどこかにあるなら、泣いている場合ではない。今すぐ、今すぐに。
「わかったわ、わかった。今から! 今すぐに行きましょう。案内するわ」
すっかり赤みの失せた顔でマーズがミリアンネの席まで回り込んできて、腕を取ってきた。白いハンカチを顔に当てられる。何度も。
それでようやく、瞬きを思い出して、瞼を閉じた。
ぼとぼとと、温かな何かが、驚くほどたくさん溢れでた。
それを、マーズがゆっくりと拭ってくれる。
「……本当に、私は勘違いしていたわね。貴女のことも、貴女に必要なもののことも」
ごめんなさいね。
そう言って、手を引いてくれるのに、ミリアンネは未だにぼんやりとしたまま、従った。
案内されたのは、家族の部屋が存在する、三階、マーズやロジエンヌの部屋がある翼とは反対側に進み、最奥の扉の手前。グレオールが鍵を開けてくれて、ミリアンネの鼻に、嗅ぎ慣れた資材の匂いがそっと潜り込んできた。
グレオールが燭台に灯りを入れた。
広い部屋だ。両端まで、光が届かない。そのあちこちに木箱が重なり、壁面は全て作り付けの真新しい棚が打ち付けられている。
中心には、大きな作業台。けれど、きっと特注だろう。彫り物が側面と脚に隙間なく施され、美しく艶出しをされている。
ああ、いや、もっといろいろとありそうだ。見慣れた道具たち、細々とした材料、木ノ実や端材や美しい硝子の容器。そのほかに、見たことのない小箪笥や筆などがあちらこちらに置いてある、気がする。
「大きなものや屋外での作業が必要なものは、地階に置いてあるそうよ。使ってみてから、使い勝手の良いように変えてもらう予定と聞いているわ。温室も、専用のものができているわ。あと……」
マーズが説明してくれているのに申し訳ないのだが、ミリアンネはもう、言葉の意味まで認識できない。
今やすっかり涙は渇いたが、かわって鼻息が荒くなってきたのを自分で止められない。どくどくと血が駆け巡り、頭が冴え渡ってくる。
ああ、今、今、生きていてよかったーー。
「ミリアンネ様」
突如としてかけられた至極落ち着いた声が、ミリアンネの首根っこを捕らえた。
「今からは、ダメです。燭台の灯りでは、作業の効率も落ちます。明日、明るくなってからになさいませ」
「レ、レーヌ」
食堂からは下がったものの、おそらく近くで話を聞いていたのだろう。今日までは侍女、と宣言した彼女は、きっちりとミリアンネに付き従って、この部屋まで一緒に来ていたらしい。まるで覚えていないが。
「あの、でも、あの、箱を数えてみるだけ」
「ダメです」
「でも、ほら、早く開けたほうがいいものもあるし」
「植物など生きたものは、温室や庭の準備が整ってから、侯爵家から送り出されると聞いていますけれど」
「レーヌ、私、私、いま、嬉しすぎて」
嬉しさも程度が過ぎると苦しい。ひどい顔になったミリアンネに、レーヌが珍しく、苦笑した。
「はい、そうですね。大変ようございました。ーーけれど私、姉君アリアルネ様に厳しくお願いされたことがありまして」
「姉様」
「はい、奥様がテラリウムのことを考えておかしくなったら」
「なったら」
「剥がして風呂に放り込め、と」
「はがして」
「風呂に」
「ほうりこめ」
さあ、どうぞ。
いつの間にか、レーヌの後ろには三人の侍女がいて。
ミリアンネは再び滂沱の涙を流しながら、連行された。
マーズとグレオールは、それを唖然と見送り。そして顔を見合わせて、燭台の火を消し、扉を閉めて鍵をかけた。
「さてさて気の毒だけれど、この部屋に入り浸らせてあげるわけには、いかないのよね」
そう言うマーズの口元は、にやりと笑っている。
「大奥様、楽しそうでいらっしゃいますね」
「ええ、素敵な嫁が来て、楽しいわ。ーーさて、アジーナと話をする気力も湧いて来たわ。行きましょうか、グレオール。立ち会ってちょうだい」
「はい、仰せのままに。……クラーク様を待たず、よろしいのですか?」
「いつ帰るかわからない、不良息子で不良夫よ。いいのよ」
マーズは、すっと背筋を伸ばして、廊下を歩き出した。
「いいのよ。きっと、私の最後の仕事よ」
今回の更新で、アルファポリスと同じところまで来ました。以降、更新は不定期になり、アルファポリスと(ほぼ)同時掲載にします。よろしくお願いします。




