たつひと 4
グレオールが人を呼び、錯乱したように何かを呟くアジーナを、二人掛かりで支えていった。食堂はしんと静まり返り、ロジエンヌなどは、唇まで蒼白で、かろうじて椅子の背にもたれて座っているような有様だ。
「ミリアンネさん、貴方に、この屋敷の中で、不遇な思いをさせました。私の管理不行き届きです。申し訳ありませんでした。謝罪を受けてくれると、嬉しいわ」
「はい、謝罪はもちろん、お受けいたします。そして私からも、謝罪を。状況の改善は望みましたが、このように問題を一気に晒すつもりはなかったのです」
「わかっています。けれどむしろ、問題は機があれば一気に片をつけるべきでしょう。しかたのないことです。
私もあなたへの風当たりは予想外で、ましてそれを真に受けて愚かな行動をする者が屋敷内にいるとは、思いませんでした。クラークが戻れば済むことと思い、放置していたのも、後手に回ることになりました。
——そう、それに、私も、貴方を見誤っていたようですしね、ミリアンネ」
マーズがにっと笑んだ。ミリアンネを呼び捨てにして、まっすぐに向けてくるその笑みが、今までの義母の顔とは違う。冷たい覇気のようなものを含んだ、領主としての笑みのようで、ミリアンネは思わず背を伸ばした。
「嬉しい誤算だわ。本当に、お腹の底から笑いそう!
さて、ミリアンネ。知っているかもしれないけれど、アジーナは、アメリの母親なの。アジーナは、領主代理となって忙殺されていた私に代わって、ロジアンヌの母代わりのようなことをしてくれていてね。それでアメリはロジエンヌにとって姉のようなものなの。
実を言えば、私は、アジーナが私の引退とともに隠居について来てくれたなら、クラークとミリアンネの代にはアメリを侍女頭として来てもらおうかとも思っていたのよ。けれどそれは、さきほど白紙に戻すと宣言しました」
アジーナが、あの言葉にあれほど取り乱した理由が、わかった気がした。
当のアメリは、会話を聞いているのかいないのか、仮にも母親が崩れ落ちた時すら立ち上がるそぶりすらないまま、時折酒杯で口を湿しながら、視線だけはマーズとミリアンネにひたと向けている。
それが、肌に刺さるようだ。
「当家の侍女頭は慣習として重臣の妻が勤め、女主人が屋敷を空けるときは、その代理すら勤める。女主人の腹心のような存在よ。こうなったからには、ミリアンネが、もっとも信頼の置ける者を心のまま任じてもらうのがいいでしょうね。……レーヌ、とおっしゃったわね。その方は?」
レーヌはただ控えめに、視線を降ろすだけだ。
そしてこのレーヌへの注目こそが、ミリアンネが待っていたものだった。
「お義母さま、改めてご紹介いたします。彼女は、レーヌ・ダルカ嬢です。レーヌ様は、実は私の侍女ではありません。彼女はダルカ子爵家の令嬢であり、王宮女官を勤めていらした優秀な方で、縁あって私の話し相手として同行してもらっただけなのです。彼女は、私に仕える者ではなく、私の大切な相談役であり、友人です」
その言葉に、食堂に居合わせた全員が、おおいに動揺した。侍女だと思い込み、侍女頭に言われるがままミリアンネの世話を押し付け、毎日のように侍女頭に呼び出されているのを違和感なく見ていたのが。
グレオールは倒れそうな顔をし、ロジエンヌは涙目だ。ジェイも、さすがに口を引き結んだまま、何度か坐り直したりしている。辺境伯領の一家臣であるジェイからすると、子爵令嬢のレーヌの方が、貴族としては位が上になるのだ。
ざわめく場の中で、アメリだけが、泰然としている。
レーヌは、帳面を小脇に抱えながら、優雅に礼をとった。
「ご紹介にあずかりました、レーヌ・ダルカと申します。大奥様、当初から素性を明かさずにいたことは、お詫び申し上げます。妹御のお出迎えの状況からかような事態も念のため想定して、私の自由がきくほうがよいと判断し、しばらく私のことは侍女として扱うよう、ミリアンネ様に進言申し上げたのです。実際、侍女が足りておりませんでしたし。ミリアンネ様のためとはいえ、お屋敷において出過ぎたことをいたしましたこと、お許しください。
改めて、どうぞよろしくお願いいたします」
言葉の端々に、レーヌが未だに許し難いと思っていることがぷんぷんと匂い立っている。こんなに好戦的で、王宮で大丈夫だったのだろうか、などと余計な心配をしてしまった。
マーズはわざわざ立ち上がり、その礼を受けた。
まるで、レーヌのトゲには、気づかぬ風な穏やかな眼差しだ。
「どうぞよろしく、レーヌさん。父君とは、一度王宮でお会いしたことがあります。貴女のお話も、風の噂に伺ったことがあってよ。お若いのに、大変優秀だと。——ええ、ミリアンネに味方してくださるなら、この上ない力となっていただけるでしょう。歓迎いたします。貴女にふさわしいお部屋を用意させましょう。いつまでも滞在なさって。
私としては、貴女が当家に侍女頭という立場を得ても、まったく問題ないと感じるわ」
「ありがとうございます。お世話になります。
ええ、ミリアンネ様のことは、大切に思っております。ただ、残念ながら、その立場をいただくには、未婚では少々問題があるかと。こちらへの滞在中にもし、よいご縁があったら、とだけ、申し上げておきたく存じます」
単なる挨拶の言葉の裏側に、とんでもない隠れたやりとりがなされているような雰囲気ではあるが、今のところ、この二人に険悪になる要素が見当たらない。おそらく、刺激的な会話を楽しんでいるのだろう、と判断して、にこにこと見守ってしまった。
それよりなにより、ミリアンネとしては、ようやくレーヌがあるべき扱いになることにおおいに安堵していたのだ。本人は面白がっていたようだが、侍女といっても扱いが低く部屋が用意されず、ミリアンネの部屋の控えにある長椅子で連日寝てもらうのは、ひどく気になっていたのだ。
ふたりはふと、緩んだミリアンネの顔を見て、一息つくことにしたらしい。
今日が終わるまでは、侍女として控えさせていただきます、とレーヌが退室した。
訪れる静けさ。
ことり、とかすかな音をたてて、アメリが酒杯を食卓に戻した。
皆が、その挙動に注意を払っている。
硬質な顔立ちには温度がない。それでも笑みを刷いたままの口をそっと開けて。
「今日は楽しかったですわ。申し訳ないのですが、少し疲れたようです。先に失礼させていただきます」
とだけ、変わらず艶めいた声で告げると、席を立った。ジェイが躊躇った末、失礼、と断って、アメリをエスコートする。
「アメリ……」
ロジエンヌもまた、背後を通るアメリに小さな声をかけたのだが。
アメリはピクリとも反応せず、そのまま食堂を去った。




