008 そうさ、あたしは竜銘……竜銘刀(りゅうめいとう)だよ
蒼界では珍しい畳敷きの部屋、襖の仕切りや窓の障子……。
沙門には懐かしい設えの、六畳程の広さがある部屋を照らすのは、障子を思わせる外観の置行灯が放つ、優しくも弱い光だけ。
その中央辺りに置かれた赤い膳の上には、空になった皿と猪口。
膳の周囲には、空になった白い陶製の徳利が、十本は転がっている。
酒壺や酒杯という、蒼界の酒器ではなく、扶桑界の日本風の酒器が揃えられている。
沙門は酒の区別がつかないのだが、出される酒も扶桑酒とも呼ばれる、日本酒なのだろうなと沙門は思う。
膳の向こう側には、藍色の浴衣をだらしなく着崩した、褐色肌で隻眼の大女が、座布団も敷かずに胡坐をかいていて、徳利に口をつけて酒をかっくらっている。
大女が着ている浴衣は、扶桑界の温泉宿で使用される、簡素な衣服であり、扶桑界の温泉文化を真似た蒼岱の温泉宿でも、広く普及していた。
「飲み過ぎだろ……っていうか、毎度の事ながら、良くこんなに飲めるな」
かなりの大酒飲みでも、四本が限界だろう大きさの徳利を、十本も空けてしまった大女に、沙門は呆れ顔で話しかける。
「支払うの俺なんだから、少しは遠慮して飲めよ。ここの酒は高いんだ」
形式上は主人である沙門と、事実上は相棒なのだが、一応は従えられている形になっている大女が同行する場合、支払いは全て沙門が持つ事になっている。
同行する従者の分を支払うのは、主人の義務というのが、蒼界では常識であるが故に。
口をつけていた徳利を飲み干した大女は、大きく息を吐き、宿の部屋の酒臭さを強めてから、苛ついた風な口調で、沙門に食って掛かり始める。
「――女連れで、あたしの前に現れるとは、良い度胸だな……沙門!」
(うわ、完全に目が座ってる)
沙門はげんなりとしながら、心の中で呟く。
温泉宿の沙門が借りている部屋に、沙門が槐花を連れて戻って来た所、部屋の中は大酒飲みの大女のせいで、この有様だったのだ。
「浮気相手への土産物を、物色していたかと思ったら、別の女を連れて来るとは……」
この整ってはいるが、派手過ぎる顔立ちの沙門の相棒は、値踏みする様な目で槐花を睨む。
隻眼であり、右目を黒い眼帯で隠している女が、琥珀色の左目だけで睨み付ける姿には、威嚇する猛獣の如き威圧感がある。
当然、睨み付けられた槐花は怯えてしまい、沙門の後ろに身を隠す。
「しかも、今度の浮気相手は……子供か!」
蒼界では珍しい、銀色の長髪を揺らしながら、浴衣姿の女は身を乗り出し、沙門の襟首を右手で掴むと、強引に引き寄せる。
浴衣の襟元が開き、褐色の豊かな胸の谷間が露になる。
「おまけに、その子供……何か妙な臭いが……」
大女が不愉快そうに口にした言葉は、言い終わる前に沙門の声に掻き消される。
「勘違いするな! この子は殭屍に襲われてたのを、保護しただけだって! 殭屍を操れる術者に、命を狙われてるみたいなんだ!」
弁解しながら、沙門は襟首を掴む女の右手を外そうとする。
しかし、女の方が二回り以上身体が大きく、力も遥かに強いので、女の手を解く事は、沙門には不可能だった。
「それに、そもそも俺と政宗は付き合ってる訳じゃ無いんだから、俺が誰とどうなろうが、浮気になんかならないだろうが!」
沙門の言葉は、女……政宗の怒りの炎に、油を注ぐ結果となった。
「付き合ってる訳じゃ無いだと?」
政宗は、沙門の頭を右脇で抱え込む様に締め付けながら、怒鳴り続ける。
「竜銘主と竜銘は、恋人や夫婦以上に深く結びついた、運命を共にする、付き合ってる以上の間柄なんだ! そんな基本的な事が、まだ分かって無いのか!」
「いや、そんな事言われても……竜銘主と竜銘って、同性同士の組み合わせの方が多いじゃん!」
沙門は苦しげに顔を歪めながら、抗議を続ける。
「同性同士の方が多いのに、恋人や夫婦以上とか、付き合ってる以上とか言い出したら、変な話になるだろ! 相棒程度の関係の方が、色んな意味で良いんじゃないの?」
「同性同士の場合でも、恋人や夫婦以上の間柄である事に変わりは無い! 竜銘主と竜銘の関係は、相棒程度の軽い関係じゃないって、何回言えば分かるんだお前は?」
政宗は、沙門の抗議を一蹴する。
「竜銘主と竜銘……」
前髪で目元を隠しているせいで分かり難いが、「竜銘主」と「竜銘」という言葉を耳にした槐花は、驚きの表情を浮かべながら、沙門と政宗を見比べる。
「沙門さんは扶桑人だから、竜銘じゃなくて人間……って事は、お姉さんは竜銘なの?」
「そうさ、あたしは竜銘……竜銘刀だよ」
政宗は不機嫌そうに、槐花の問いに答える。
「竜としての名は、滅絶竜姫。この浮気者の竜銘主に貰った契名は、政宗。この二つの名を合わせた、滅絶竜姫政宗というのが、あたしの正式な名前だ」