070 思い付きでも、試して見るもんだ
「端の方とはいえ、確実に捉えた! これで仕留められた筈!」
岩同様に沙門の身体も、打ち砕いた筈だという確信の元に、艶鬼は胡蝶熒惑の目を通し、沙門がいた方向の様子を確認する。
太極奔破から逃れ損ない、屍気の奔流を食らってしまった沙門の姿を、艶鬼は有効射程の範囲内に、視認する事が出来ない。
だが、有効射程の先……胡蝶熒惑から七十歩程離れた先に、沙門の姿はあった。
右膝を地につき、先程よりも身体の傷が増えてはいたが、身体は打ち砕かれてはおらず、立ち上がろうとしていた沙門の姿を。
「馬鹿な? 耐え切ったのかい?」
まだ倒れていない沙門の姿を視界に捉え、驚きと焦りの入り混じった声を、艶鬼は上げてしまう。
自分からだけでなく、感覚を同調している、胡蝶熒惑の口からも。
「――何とか、防げたか」
立ち上がり、呼吸を整えながら、沙門は苦しげに言葉を続ける。
「思い付きでも、試して見るもんだ」
沙門は右手を開き、二つの滑輪巻筒に目をやる。
一つは縄の……一つは血糸の滑輪巻筒であり、地裂海嘯による破壊の跡に、罠を仕掛けるのに使っていた物だ。
太極奔破の回避が不可能だと察した沙門は、内功を硬功に切り替えただけでなく、伸ばしっ放しにしていた血糸と縄を、自分の元に引き寄せた。
迫り来る屍気の奔流と沙門との間に、二十歩程の長さの血糸と縄が、絡みそうな程に乱雑な、毛玉の様な状態となり、割り込む形となった。
その血糸と縄に、沙門は硬気を流したのである。
血糸はともかく縄であれば、硬気を流した上で、自分と敵の攻撃の間に割り込ませれば、硬気を流した飛錘による、花錘程では無いにしろ、ある程度は硬気の盾として使えるのではないかと、沙門は考えたのだ。
予め用意していた防御法ではないので、当然の様に試した事など無い。
飛錘を失った状態で、自分の身に硬気を満たすだけの硬功では、防ぎ切れそうにない攻撃を、避けそこなった状態に追い込まれた沙門が、咄嗟に思い付いた策に過ぎない。
沙門は即座に、思い付きの策を実行に移し、血糸と縄に硬気を流して、即席の硬気の盾を作り出した。
盾というには、余りにも乱雑で穴だらけではあったのだが、無駄では無く、ある程度は屍気を防ぐ事が出来た。
だが、即席の硬気の盾は、屍気の奔流をある程度防げただけでなく、屍気の流れを乱して、変える事が出来ていた。
乱雑に展開された硬気の盾は、かなりの量の屍気を、沙門に当たらない方向に流してくれたのだ。
即席の硬気の盾は、あっという間に屍気の奔流に打ち崩され、血糸と縄はボロボロになり、滑輪巻筒までも破損した。
それでも、太極奔破の威力を大幅に殺ぐ事に成功した沙門は、自らの身体に硬気を満たした硬功で、残りの屍気の奔流に耐え切れたのである。
無論、軽功に続いて全力で硬功を使った為、身体には過度な負荷がかかり、至る所の傷は出血してしまっている。
気も大量に消耗してしまい、殆ど残されていない(休めば回復可能だが、この戦いが終わるまでは、それは無理)。
手持ちの武器も、残されているのは血糸の滑輪巻筒が一つだけ。
背包には予備があるのだが、槐花や黒鉄と合流して補充するのは、この戦いの間は無理だろう。
(気の残量からして、雷撃は……あと二、三発が限度だ。いや、軽功や硬功を使えば、一発が限界かもしれない)
沙門は呼吸を整えて気を練り、少しでも気を回復させようとしつつ、自分に残された戦力を確かめる。
同時に、気の流れを操作して、開いた傷口の止血も行う。
(軽功も長くは使えないから、逃げるのは無理。血糸と雷撃で仕留めるしか無いんだろうが……)
太極奔破に血糸や縄ごと破壊され、既に使い物にならなくなった、二つの滑輪巻筒を腰包に仕舞い、代わりに唯一残された、血糸の滑輪巻筒を、沙門は手に取る。
(あの双刀の甲冑殭屍を操る術者は、明らかに血糸での遠距離攻撃を、警戒している。近距離で血糸を関節部分に絡めないと、仕留めるのは無理か)
沙門は周囲に目を配り、身を隠せる場を探す。
少し離れてはいるが、太極奔破で破壊された範囲外なら、身を隠せる場所はある。
逃げ込む事は、十分に可能だ。
(いや、駄目だ! 逃げ込めたとしても、さっきの探知用の技を使われたら……すぐに見付かっちまうだろうし)
太極奔破に吹き飛ばされ、今は空から消え去っている、偵査翅瓣の存在を思い出し、沙門は身を隠そうという考えを捨てる。
偵査翅瓣がある限り、胡蝶熒惑相手に身を隠しても意味は無い。
(間合いを詰めなきゃならないが、剣の奴の時みたいに、騰空推掌で一気に詰めるのは、避けるべきか。あの時は隙を突けたせいで、二撃目が狙えたが、今回は隙が無い)
沙門の目線の先で、胡蝶熒惑が左側の刀を鞘に仕舞う。
艶鬼も沙門同様、どうすべきか思案を続けていた為、胡蝶熒惑は動きを止めていたのだが、ようやく動き出したのだ。
(空けた左手は、掌力に回すつもりか?)
胡蝶熒惑との間合いは七十歩、掌力が届く間合いなので、沙門は掌力を回避し易い様に、軽功を発動する(七十歩は百五メートル)。
何時でも動き出せる様に、左側を前に半身で立ち、すぐに動き出し易い、捷歩の構えを取る(使える右腕を敵の側に晒さぬ為、念の為に左を前に)。
沙門が察した通り、胡蝶熒惑は左掌を沙門の方に向けると、掌力を放って来る。
やや黒く濁った青い光の塊……屍軽功の掌力は、軽功系の掌力である為、かなりの速さで沙門に迫る。
即座に沙門は、左斜め前に跳び出し、掌力をかわす。
(――このまま掌力をかわして突撃、接近戦に持ち込み、あの刀の攻撃を掻い潜りながら、血糸をばらまいて関節に絡め、雷撃で仕留める!)
沙門は心の中で、攻め手を確認しながら、胡蝶熒惑に向って駆け出す。
気の残量は少ない為、この戦いで発動出来る軽功は、これが最後になるだろうと、覚悟を決めた上で。




