003 男として最低の、浮気者の裏切り者!
(残りの二体は、女の子から近すぎるな)
離れた距離から掌力で殭屍を吹き飛ばすと、周囲にも被害を与える可能性がある。
残り二体の殭屍は、少女の間近に迫っているので、離れた距離から攻撃するのは危険性が高いと、少年は判断。
二体の殭屍を接近戦で倒す為、少年は硬功を解除し、全身の硬気を只の気に戻す。
そして、別の内功……軽功を発動する。少年は内功を一瞬で、硬功から軽功に切り替えたのだ。
軽功とは、身体を身軽にする為の内功である。
気を軽功の功気である軽気に変換し、全身を軽気で満たす事により、武術家の移動能力は、飛躍的に向上する。
馬に匹敵する速さで地を駆ける高速移動能力や、木々を飛び越える程の跳躍能力を得るだけでは無い。
壁や崖を走る能力や、水上を陸上同様に移動する能力などを、武術家は軽功により得られるのだ。
軽功の発動により、高速移動能力を得た少年は、少女に迫る殭屍達との数十歩の間合いを、ほんの一瞬で詰めてしまう。
疾風の様に少女の元に駆け付けた少年は、即座に両掌に軽気を集める。
軽気が集中した少年の両掌が、青白く輝く。
二体の殭屍の腹部を狙い、少年は両手で掌打を放つ。
攻撃には向かない軽気の掌力であっても、遠距離からでは無く、直接の打撃と共に腹部に放てば、並の殭屍を一撃で粉砕する程度の威力はある。
二体の殭屍の身体は、青白い光に包まれた直後、爆竹が炸裂したかの様な、派手な音を立てて爆砕する。
ほんの数秒の戦いによって、少年は五体の殭屍の群を、全滅させてしまった。
蒼界を徘徊する妖魔の中では、弱い部類に入る殭屍とはいえ、普通の人間にとっては恐るべき妖魔五体を、数秒で片付けた少年の戦闘能力は、相当なものと言える。
辺りに、まだ殭屍がいる可能性もある。
少年は警戒を解かずに、少女に声をかける。
「大丈夫か?」
近くで殭屍が爆砕した衝撃で体勢を崩し、地面に座り込んでしまった、恐怖で顔を引き攣らせたままの少女は、少年を見上げながら頷き、答を返す。
「大丈夫……です」
帽子を目深に被った、その青装束の少女に、少年は見覚えがあった。
「お前、さっきの……」
驚きの表情を浮かべつつ、少年は呟く。
殭屍の群に襲われていたのが、つい先程、少年を男として最低だと罵った少女だった事に、少年は気付いたのだ。
「――男として最低の、浮気者の裏切り者!」
少女も少年を見て、驚きの声を上げる。
「助けて貰った相手には、まず礼を言うもんだぜ。口の聞き方を知らない奴だな」
少年は不機嫌そうに、顔をしかめる。
「別に助けて下さいなんて、頼んでません」
少し拗ねた風な口調で言い放ちつつ、少女は立ち上がると、丁寧な口調で言葉を続ける。
「頼んで無いけど……ありがとう、助けてくれて。浮気者のお兄さん」
少し茶目っ気のある仕種で、少女は少年に頭を下げる。
「素直でよろしい。ま、浮気者ってのは余計だけど」
言葉を返しながら、少年は少女の姿を観察する。
(俺より年下だろう、十二歳くらいか?)
十六歳の少年は、自分より拳二つ分ほど背が低い少女の年齢を、十二歳前後だと推測する。
「江湖の周りには、妖魔の侵入を防ぐ為の結界が張ってある筈なのに、江湖の中で殭屍に襲われるなんて……災難だったな」
少年の言葉に、少女は頷く。
「それにしても、強いですね。全然、強そうには見えないのに」
少女に見間違えられる事もある、少年の外見は一見すると、武術を修めている証といえる功夫服姿であっても、少女の言う通り強そうには見えない。
功夫服を脱げば、それなりに鍛え上げられた身体をしているのだが。
「まぁ、確かにね」
少年は苦笑しながら、殭屍が吹き飛んだ辺りに目をやる。
破壊された殭屍の残骸には、特に危険性は無いのだが、結界の中に殭屍がいた事が、少し気になったのだ。
「これは……」
灰や土塊の様な状態と化している、殭屍の残骸の中に、白い札の様な紙切れが混ざっているのに、少年は気付く。
難解な記号や文字が記された、白い紙切れの正体は、呪術が施された符……呪符である。
「札付きの殭屍って事は……この殭屍、誰かに作られて操られていたのか?」
札付きの殭屍とは、身体の何処か……主に額に、呪符が貼られた殭屍を意味する言葉である。
呪符は札に似ているので、呪符が貼られた殭屍は、札付きの殭屍と呼ばれる場合があるのだ。
普通の殭屍は、原因は様々であるが、死体が偶発的に殭屍に変化する事によって発生し、完全に自動的に行動し始める。
しかし、札付きの殭屍となると、話は別である。
蒼界には、死体を殭屍に変えて操る、傀儡殭屍術と呼ばれる邪悪な呪術がある。
札付きの殭屍は、傀儡殭屍術を使える術者によって作られ、操られている殭屍であり、傀儡殭屍というのが正式な名だ。
「術者が作った殭屍だったのなら、結界の中にいても、おかしくは無いか……」
江湖を取り囲む結界の中にある死体を素材として、術者が結界の中で殭屍を作り出したのなら、結界の中に殭屍がいても、それ程おかしくは無いと、少年は考えたのだ。