000 駄目だ! その黒い影みたいなのを、見ちゃいけない!
月明かりに照らされて煌く川の水面で、泡が弾け続ける。
水中に沈められた竹筒の口から、出て来た泡が弾けているのだ。
竹筒の水筒に水を詰める為、川岸でしゃがみこんでいる黒い功夫服姿の少年が、川の中に沈めたのである。
「――だから、話を逸らさないで下さいってば!」
少年の左隣でしゃがみこんでいる、少年より幾分か年下に見える、青装束の少女が、不満気に少年を睨みながら、抗議の言葉を口にする。
少女が話を逸らされていると感じている、その話というのは、接吻についての話。
接吻をしてみたいので、少年に相手をして欲しいと、この川原に来る前から……そして来てからも、少女は強請り続けていたのだ。
「いや、別に話を逸らしてるつもりは、無いんだけどさ……」
少年は弁解するが、無論……嘘である。
接吻に対する強い興味を、少女に持たせてしまったのが、自分の所為だという自覚と、自分が恋人でも無い相手と、接吻をしていた場面を、少女に見られた後ろめたさのせいで、この話題に関しては少女に対して、少年は強い態度で接し難い。
それ故、断わらなければならないとは思いつつも、明確な否定の言葉を口に出来ず、少年は話を逸らすべく、他の話題を振り続ける事しか出来なかった。
ところが、少女は他の話題には乗って来ず、話題を変えようとする少年の努力は、水泡に帰し続けてしまっていた。
まるで、浮かんでは消える、川面の水泡の様に。
(他に、何か誤魔化す方法は無いか?)
頭を巡らすが、少年の頭には、上手い方法が浮かんで来ない。
しかし、少年が頭を巡らしている間に、しつこく少年に接吻を強請っていた少女が、突如……静かになった。
(いきなり静かになったけど、どうしたんだ?)
少年は少女がいる、左隣を振り向く。
怯えた様な瞳で、川の水面を見詰めている少女の額には、嫌な汗が滲み出ている。
「――どうしたの?」
少女から、何か異様な気配を感じ取った少年は、少女に問いかける。
だが、少女は何の反応も示さない。
少年は少女の視線の先……川の水面に、目線を移す。
少女の様子が変わった原因が、そこにあるのかもしれないと考えて。
(何だ、ありゃ?)
少年は少女が見詰める水面の、異常な状態に気付く。
僅かに白い部分もあるが、全体的には黒い円形の影の様な感じの何かが、水面に浮き出ていたのだ。
まるで闇を映す水鏡の如き、その黒い影の様な何かを見て、少年は本能的に悟った。
その影の様な何かが、危険な存在であると。
「駄目だ! その黒い影みたいなのを、見ちゃいけない!」
黒い影の様な何かから目を逸らしつつ、少年は少女の手を引き、抱き寄せる。
少女の目線を強引に、その危険な何かから逸らし、自分に向ける為に。
「何故?」
「何故って……」
不思議そうな面持ちで訊ねる少女に、少年は明確な答を返せない。
理性では無く、本能的に危険を感じただけなのだから。
そして、黒い影の様な何かから感じたのと、全く同じ性質の危険性を、青く妖しく輝く少女の瞳から、少年は感じ取り……思わず身を竦めてしまう。
直後、少年は左胸に、激痛を感じる。
激痛の原因を確かめる為に、少年は自分の左胸に目をやる。
すると、少年の左胸には、まるで鋭い槍の様に、少女の細い左腕が突き刺さっていた。
痛みと苦しさのせいで、声が出せない為、少年は心の中で自問する。
(な、何だ? 何が……どうなってるんだ?)
少年の左胸を貫いた左腕を、少女は引き抜く。
鮮血が噴出し、少女と少年の全身に降り注ぐ……あたかも、血の雨でも降ったかの様に。
瞳を青く輝かせ、返り血で顔を紅く染めた少女は、笑っていた。
喜びに満ちあふれた笑顔を浮かべながら、血を滴らせている左手の指先を、少女は美味しそうに嘗め……しゃぶる。
その限り無く妖しい、危険な光景を見て、少年は理解した。
理性では無く本能で、少女が殭屍という妖魔を総べる、最高の殭屍……殭屍姫に変化した事を、悟ったのだ。
(そんな、死んで無い筈なのに!)
有り得ない筈の状況に混乱しながら、少年は仰向けに倒れる。
意識を失いそうになりながら、少年は女武術家の令沙紗が、別れ際に言い放った言葉を思い出す。
「その少女を貴様が守ろうとしても、その少女が殭屍姫となった時、真っ先に殺す相手は貴様なんだ。貴様は自分が情けをかけ、守ろうとした者に、殺される羽目になる」
(あの沙紗って奴が言ってた事は、正しかったんだな……)
薄笑いを浮かべて、自分を見下ろす少女を見上げながら、少年は思う。
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なろう向けのレイアウトとして改行を増やし、空行を多数入れた為、そのままだと本来の空行部分(場面変更時などの)が、分かり難くなってしまうので、本来の空行部分は、以下の三連の「×」と置き換えてあります。
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この三つの「×」を見かけたら、場面転換などで入る、本来の空行部分だと判断して下さい。