6話 開始
食堂に行くと既に使用人が二人、集まって会話をしていた。
柊弥はそのうちの一人に声をかける。
「堂本さん」
柊弥の呼び掛けに体格のよい男がこちらを振り替える。
「浅見か、流石早いな」
堂本竹虎、東雲家の使用人を束ねる責任者である。
実は彼とは面識がある。それというのも執事役が決まってから二日間、執事としての演技指導を兼ねた研修を受けた。そのときの指南役が堂本だった。NPCとして堂本が上司役なのはありがたい。多少でも知った人間であることに加え、二日間接してみて彼は信頼できる人間に思えたからだ。二日間で何がわかると言われるかもしれないが、少なくとも此処に来る前の上司よりはまともだ。こと、仕事に関しては屑は初対面から屑である。最も、これは柊弥の経験則からくる持論だが。
柊弥はもう一人の使用人にも話しかける。
「どうも、御厨……君」
悩んだ末の呼称だったが果たして適切なのか。上司らしく御厨と呼び捨てにするか、それとも部下といえどもやはり御厨さんと丁寧に呼ぶべきか、しかし彼女は今は彼なのだからやはり君付けが無難か、いや、しかし……。
柊弥が密かに後悔していると蓮が応える。
「他人行儀だなぁ、蓮でいいですよ。浅見さん」
蓮に指摘されて柊弥は頭を掻く。
それはそれで馴れ馴れし過ぎるのでは、と思ったが男の、同性の後輩だとすれば自然なのだろうか。仕事の後輩で部下。それだけでなく、住み込みで働いていて自分が教育係だとすれば、兄貴分的な立ち位置ということか。
「貴方は私の教育係、私は一応東雲家にきて一年ってことになってるんですから、そんないかにも初対面ですって雰囲気出されるとこっちもやりにくいですよ」
苦笑いする蓮を見ておや、と思った。
舞台挨拶のときとは口調も一人称も違う。
柊弥の疑問を察したのか蓮がどこか気まずそうに弁明する。
「テコ入れされたんですよGMに。一人称は執事らしく私で固定、各キャラクターに対する呼称その他もろもろ。お陰であんまり眠れなかった」
盛大に欠伸をする蓮に、堂本が咳払いをする。
「こら、そう言った発言は慎みなさい。ゲーム開始前だから咎められないが露骨なシナリオ外の発言はやめなさい。正午になれば東雲家の方々もお見えになる。私たちは東雲家に仕える使用人だ。気を引き締めなさい、蓮」
「はぁい、わかりました……」
欠伸をしながら答える蓮に堂本がもう一度咳払いをする。蓮は慌て背筋を伸ばした。
おそらく蓮も堂本の指導を受けたのだろうなと微笑ましく思った。
それから柊弥と蓮は堂本に昼食の配膳の確認をして家人を待った。
正午に近づくにつれ、次第に人が集まり始める。
十分前に部屋にやってきたのは東雲茜とその婚約者の里中藤太だ。
次に食堂に現れたのは東雲麻人と婚約者の小峠蘭子。現れた人間からそれぞれ長テーブルの席に着く。席はあらかじめ決まっているようで、戸惑う様子もなく自然に着席していく。そして東雲兄妹とその婚約者たちはお互いに会話を交わしている。既に役として自然に振舞えているようだ。
これでPCはメイドの最上葵が来れば全員揃う。
「葵ちゃん来ませんね」
蓮が呟いた。
柊弥は時計を見る。正午まであと3分弱。
「……正直家人よりも遅くに、時間ギリギリで来るメイドはどうかと思うな」
柊弥からすると最上葵は蓮と同様に自分の部下だ。これから教育係として振舞う身としては、問題児はご遠慮願いたい。
「一応ゲーム開始は正午ですからね。正午過ぎたらちゃんと役割を演じなきゃいけないんでしょうけど」
蓮の言葉はもっともかもしれないが、それにしてもギリギリ過ぎる。いよいよゲームが始まるというのに遅れたらどうしようとか思わないのだろうか。
「開始前からそんなに目くじら立てなくても、何かあればその時に注意すればいいじゃないですか。それに、始まってみたら案外真面目な子かもしれませんよ?メイドやる気満々だったし……」
楽観的なのか適当なのか。そして演技なのか素なのか。蓮のまるで他人事と言ったような口振りに柊弥は暗雲たる思いがした。
「あれ?もう皆いるじゃーん。あたしが最後?」
漸く件の最上葵が姿を現す。時間には間に合ったようだと柊弥が内心あきれていると、最上葵は何故か食卓に着いた。さも当然のように席に着くものだから、皆一瞬固まってしまったようだった。
すると腕を組んで座っていた東雲麻人がぶはっと吹き出し、快活な声で告げる。
「おいおい、そこはあんたの席じゃないぜ?メイドちゃん」
麻人はそう言いながら壁際に控えている柊弥たちの方を指さした。
「えー、これから超豪華なランチが食べられるんじゃないの?」
渋々、席を立つ葵を蓮が手招きして呼び寄せる。
葵は口を尖らせながら不満を隠す様子もなく柊弥たちの控えている壁際にやってきた。
「葵ちゃんギリギリセーフだね」
蓮が小声で葵に話しかけている。
「あたし朝ごはん食べてないのにぃ……立って待たされるの酷くない?」
「葵ちゃんいつ起きたの?」
「んー、割とさっき?めっちゃ急いでメイクして髪セットして直ぐ来たの。偉くない?」
「うん、偉い。可愛い」
二人の会話を横で聞いていた柊弥は引きつりそうになる顔を何とか止め、内心でこの二人がゲーム内とはいえ自分の部下だということに一抹の不安を抱いていた。
蓮も葵もキャラクターを演じているだけだと願いたい。
そして、時計の針が全て真上を指した時、壁際の振り子時計が音を奏でた。その厳かな響きは緊張感をもって柊弥の耳に響いた。
始まりの合図だ。
すると、時計が鳴り止むと同時に図ったようなタイミングで食堂の扉が開いた。
品のある男女が現れる。
「やあ、全員居るかね?」
スーツを着た身なりの良い男が一同に呼び掛けた。スクエアフレームの眼鏡がいかにもビジネスマンという印象を抱かせる。
東雲松之。東雲麻人と茜の父親で実質東雲グループを仕切っているのは彼である。
「ねえあなた、侘助さんがいらっしゃらないわ」
松之の後に続いて部屋に入ってきたのは妻の東雲橙子だ。その優雅な物腰は財閥婦人にふさわしく、蘭子とはまた違った色気を纏っている。
「堂本さん、ちゃんとお呼びしたのよね?」
橙子が堂本に尋ねる。
「はい。ただお忙しいご様子で、時間になったら先に食事を始めて構わないと仰られました」
「あいつのマイペースさはいつものことさ。まあ、流石に当主よりは先に顔を出すだろう」
快活に笑いながら橙子を伴って席につく。
「客人もいることだ、待たせては私が当主にお叱りを受ける。先に始めよう、堂本」
「畏まりました」
松之の言葉を受けて堂本が柊弥たちに配膳の指示を出す。それと同時に食堂に食事が運び込まれる。
ちなみに食事を運んできたのは名もない使用人NPCである。実際この屋敷の雑務などはこういったNPC、即ち組織の人間が行うのだろう。
蓮が先程の打ち合わせ通り、前菜から配膳していく。柊弥はそれをフォローしつつ堂本に教えられた通り家人と客人に料理の説明をする。
「さあ、腹が減ってはなんとやらだ。婚約者の二人も気兼ねなく食事を楽しんでくれたまえ」
松之の言葉を合図に食事が始まる。
「蘭子さんと藤太君だったかな」
松之に話を振られて二人は若干緊張した面持ちで食事の手を止める。
「ああ、そう身構えずに楽にしたまえ。今回は急にこんな辺鄙な屋敷まで来てもらってすまなかったね」
「あ、い……」
「いえ、こんな素敵なお屋敷にお招き頂けて光栄ですわ」
口ごもる藤太を遮って蘭子が笑顔で謝辞を述べる。
「蘭子さんはモデルさんなんですって?麻人には勿体ないくらいの美人だわ」
「母さん、そりゃないぜ。来年には結婚するつもりで実家に連れてきてるってのに」
麻人がシニカルな笑みを浮かべて軽い口調で言い返す。
すると、それまで黙って食事をしていた茜がくすりと笑って言った。
「なあに麻人、あなた姉を差し置いて結婚するつもり?」
茜は水の入ったグラスを傾けながら麻人を横目に続ける。
「社会人にもなってない学生のあんたじゃ蘭子さんに対して無責任じゃない?」
「だから来年だって言ってるだろ。就職してから結婚な。だいたい所帯を持たない男は出世できないって、知らないのか茜姉さん?」
「働く前から出世だの宣うのは流石、東雲家の長男ね。大した自覚だこと」
「まあ、そうは言っても俺はそこまでの人格者じゃねえよ?こんな手厳しい姉さんのお眼鏡にかなった恋人に比べたら俺なんか心が狭いもの、なあ藤太さん?」
「え!?いや、そんな……」
「ええ、藤太は優しいわよ?それに将来有望な医者の卵だし」
「だったら早く嫁にもらってもらえよ、そしたら俺も心置きなく蘭子と結婚出来るぜ」
流れるような言葉の応酬である。
お互いに笑顔で言葉を交わしているが目が笑っていない。ここまでの会話で何となくこの姉弟の関係が伺える。
しかし、ゲーム開始早々よくもここまでのやり取りが出来るものだ。
料理を運びながらその場を観察していると、部屋の壁に寄りかかってつまらなさそうに髪を弄っている葵が目に留まった。
「えーと……葵、ちゃん?」
「はぁい?」
柊弥が呼び掛けると、葵は間延びした返事で返した。
「替えのグラスとドリンク頼める?」
「あたしこういうの、よくわかんないんですけど。レストランのホール?みたいなのやったことないし」
そうきたか。そういう感じの新人か。柊弥は努めて顔に出さないように優しく諭す。
「そんな難しいことじゃないし、大丈夫だよ。それに堂本さんに研修受けたでしょ」
「知らない、そんなのやってないもん」
あ、駄目だ。これ駄目なやつだ。こういう女、本当に無理なタイプだ。
早々に見切りをつけてしまった柊弥の心を知ってか知らずか、葵は口を尖らせて俯いた。
容姿も相まってその仕草は完璧に可愛らしいのだが、今求められているのは役割を果たすことだ。つまりメイドならメイドらしくしろと言いたいのである。
すると、空いた皿を下げてきた蓮が柊弥に声をかける。
「浅見さん、それ自分がやりますよ。葵ちゃん新しい水、ピッチャーでもらってきてくれる?食堂の外のNPC……じゃなかったメイド仲間に言えばもらえると思うから」
「いいよ。蓮君とは仲良し設定だから、お願い聞いてあげる」
「ありがと、頼むな」
仲良し設定。葵の露骨な言い様に、柊弥は最近の若い子の考えることはわからん、と若い女性社員との接し方に悩む中年サラリーマンのような心境で溜息をついた。
「あの、すいません浅見さん。勝手に……」
「いや、いいよ。フォロー助かる……けど君が庇う必要ないんじゃないか?仲がいいのか知らないけど、ああいうのはやらせないと覚えないよ」
「……ゲーム開始の大事な導入部分で、無駄な問題は起こしたくありません。じゃないと話に集中できない」
蓮のその言葉に柊弥は思わず彼女を見た。
「あの腹の探り合いの張りつめた空気の中、あの子がやらかしたらそれこそフォローしきれませんよ。何より物語の始まりがぐだって重要な部分を聞き逃しでもしたら最悪でしょう?」
そうだ。これは仕事ではない、ゲームなのだ。
「確かに……このシナリオがどういう趣旨なのかも、このゲームの目的も何一つわかってないしな」
そしてそれは間もなく明らかになるのだろう。
それを出来れば距離を置いた立ち位置で俯瞰して見ていたいものだ。
「やっぱり浅見さんは察しがいいなあ。頼りにしてますよ」
蓮は柊弥に小声で囁くと、まるでいたずらを仕掛ける前の少年のように楽しげに笑った。
これが演技だとしても、頼りにされて悪い気はしない。