プロローグ
ある日、神様<system>が告げた
―このままでは世界が溢れてしまう
それがすべての始まり
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深い森の奥、濃い緑の木々が重なりあい黒い影となり、鬱蒼としたそこは昼でもまるで夕暮れに似た薄暗さだ
その中を人とモンスターが追いかけっこをしていた
否、追いかけっこなどと軽い言葉は適切ではない。喰うか喰われるか、生死をかけた一瞬たりとも気をぬくことが許されない、『狩り』だった
わずかな木漏れ日が二人を照らしては、その姿を浮かび上がらせる
モンスターの全身に赤い鱗が覆い、背筋にそって並ぶ背びれのような琥珀色の骨板は宝石のように輝いていた。このモンスターを一言で表すと「竜」だった。四足で走る赤い竜はその巨体ゆえのスピードで走り続けている。小さな家ほどの大きさのモンスターと人で比べれば、まず一歩の幅からして大きく差が出る。人間が5歩で稼ぐ距離をわずか一歩で通り過ぎてしまう。そして道具を使うために二足歩行となった人と、すべての足を走ることに使える四輪駆動ならぬ、四足駆動の獣
哺乳類型のモンスターと比べれば、爬虫類系のモンスターは概して遅い方なのだが、それでも充分に早かった
「はっ、」
モンスターに比べれば子供にしかみえない人間が、息を短く吐く
高く結われた髪が走るたびに揺れて尻尾のようだ
光に照らされて暗がりに浮かぶ横顔は、線が細く美しい顔立ちの女性だった
その身に纏われているのは、彼女の美しさをさらに際立たせるような豪奢な鎧だった。札をつづり織る威は一枚一枚がわずかに違う色合いの赤で彩られ、それを遠目でみれば炎のようだ。さらに動くたびに光が反射して、まるで本当に燃えているように輝いた。白い弦走から垂れる蛭巻きの太刀が揺さぶられないように左手で押さえながら風のように走っていく
ハシバミ色の瞳は前だけを見つめていた
互いに全力をかけた追いかけっこは、全力ゆえにやがて終わった
逃げ去る獲物の後姿を見送りながら、シリルは大きなため息を吐いた
「また今日もダメだった・・・」
駆けていく赤い姿はすぐに木に隠れて見えなくなった
それでもしばらくはそのままそちらを眺めていたが、改めて諦めて気分を入れ替えて元来た方へと戻ることにした
とぼとぼと歩くシリルの後には尻尾がしょぼんと垂れさがっていた
「なんで私のこと見るとみんな逃げていくのよ・・・」
「そりゃ、シリルの怖い顔みたら逃げたくもなるさ」
「ケン、それはどういう意味?」
声をかけてきたのはこの辺を住み家としているケンだった
緑を基調としたしゅっとした立ち姿は鹿のようだが、飄々とした雰囲気はキツネと、変わった男だ。赤い竜に代表されるように肉食の大型モンスターが跋扈するこの森をわざわざ住み家にしている点も変わりものだといえよう
ケンは吊り目を笑みの形に細めると、からかう口調でシリルの問いに答える
「ほら、その顔だよ。今から手前を食べてやる! みたいなさ」
食べてやる! と歯を大きくむき出しにして怖い顔を作ろうとしているのはわかるが、草食系な外見のケンがやってもあくびにしか見えなかった
大真面目にあくびをすることもそうだが、全体的にケンのコミカルな動きに思わず笑いがこぼれる
「ははっ、笑いは健康にいいって知ってるか?」
昔から、ケンはムードメイカーだった
チームの中において、空気を絶妙に読み、常に笑みを絶やさずにいて、このゲームをみんなで楽しめるようにいつも気を配っていた。それは彼にとって苦労でもなく、本心から他人の笑顔を望んでいるのをシリルは知っていた
こんな状況になっても笑っていられるのは、彼のお陰だった
いつも彼が笑っていたから、大丈夫だと言ってくれるから、だから頑張れるのだった
今から半年前のことだった
いつものように帰宅して、VRMMOであるゲームにログインしてモンスターを狩っていた
主目線のダイブ型ゲームが主流となっていたが、神目線で楽しめるこのゲームは操作キャラを着飾る強みを前面に押し出すことで根強い人気を出していた
自分も操作キャラである【シリル】に色んな衣装を着せては楽しんでいた。可愛らしい帽子もあれば凛々しい衣裳もある、この上着に合うのはこの靴、それならば青も差し色で欲しい。確かアリを材料にした足の装備がもう少しで作れるはずだ。青いアリは沼だから、ついでにキノコも採ってきて・・・とこだわっているうちに大分時間が経ってしまった。明日も学校があるし、そろそろ落ちようとログアウトをした――したつもりだった
いつものようにセーブをして、いつものようにログアウトをして、いつものように視界が暗くなって、そして、いつのまにか暗闇の中にいた
通信障害だろうかと不安に思っていると、目の前にメッセージを知らせる封筒が現れた
手を伸ばすと真っ黒い中で白く光る手紙にタッチして、メッセージを開く
―このままでは世界が溢れてしまう
そんな言葉で始まる<system>からの通知、それはゲームが現実になる。まるで夢物語にしか思えない悪夢の始まりだった
メッセージに何度も目を通して、これはいったいなんの冗談なのだろうと苦笑しながら閉じた
その瞬間世界は裏返り、「私」はゲームの中にいた
ゲームに閉じ込められたのは自分一人だけではなかった。確認することはできないが、おそらくほぼ全員がこのゲームに捕えられてしまった。それは大きな救いになった
きっと一人きりだったら、耐えられなかったと思う
「ありがとう」
シリルは張っていた気を緩めると、ケンに向って微笑んだ
ゲームの中に捕えられた時から、現実の名前を名乗るのは止めた。いままで16年過ごしてきた自分の面影が一つもない姿に変わっては、いまさら大峰ナギサだなんて似合わなさすぎる。他の人と話す時もキャラ名で呼び合うのがいつしか定着していた
「きっと明日には倒せるって」
「うん、頑張るわ」
シリルとケンは言葉を交わしあいながら連れだって歩きだした
ケンが森の中を跳ねるようにして歩く後ろを、少し遅れてシリルが大股で追う
その光景は、緑の鹿が赤い竜に追われているようにしか見えなかった
シリルは赤い竜の大型モンスター。ケンは緑の毛並みの鹿型モンスター。追いかけていたのはシリルの方。逃げていった人間は名前もない通りすがりです




