プロローグ 不思議な少女との出逢い
七月三日、金曜日。黒板の端に書かれた日付を、ぼんやりと眺める。エアコンの効いた教室は、七月だというのに少し肌寒く、教室の中だけが季節から取り残されたようだった。
期末テストを終えたばかりということもあって、教室にはどこか浮ついた空気が漂っている。もちろん、理由はそれだけじゃないだろう。
夏休みという恋人と出かけるには都合がいいこの時期に、かわいらしい転校生が転入してきた。それも明るくて、誰に対しても分け隔てなく笑いかける少女が来たら浮かれるのも無理がないのだろう。
そのせいで僕は、休み時間毎にトイレで時間を費やすはめになった。彼女目当ての騒がしい連中のおかげで。
はぁ~っと溜め息を吐き、どこか呆れた気持ちを抱えつつ、別にいっか。と僕は窓の外を眺めることにした。無理に反発したところで空気が悪くなるのは嫌だし、どうせ今日のことを僕は忘れる。なら、現状を受け入れて誰かと関わらない方が楽だ。
そう結論付けた僕は休み時間をできるだけトイレで過ごす。結局放課後まで、今日も誰とも話さないまま教室を出た。先程まで授業をしていた調理室の横を通り過ぎようとしたところで、ふと足を止める。
扉の向こうから、風に煽られたカーテンがひらひらと揺れている様子が視界に入ったからだった。
「……ったく、最後に閉めろって言われてたの聞いてなかったなあいつ」
野球部でお調子者の彼のことだ。調子のいい返事だけして、忘れていたのだろう。その事実に呆れつつ、周囲を見渡す。幸いにも人影はないことを確認し、僕は調理室へ入った。
僕は調理室へ入り、風に揺れるカーテンを左手で押さえた。窓を閉めると、教室まで響いていた蝉の声が、ほんの少しだけ遠くなった気がした。
カチャン。
鍵がかかったことを確かめてから、僕は調理室を出る。料理部が部活を始める前に、学校を後にした僕はいつも通り神社へと向かうのだった。
***
小山のような場所に建てれた遥見神社は、自然が豊かで、立ち寄る人はほとんどいない穴場スポットだった。麓から歩いて15分かかるというのがネックになっているのだろう。都会の中にあるはずなのに、ここだけが世界から切り離されているようで、どこか心地良かった。
喧騒も、隣の部屋から時々漏れてくる生活音だって聞こえない。まるで自分一人だけがこの世界にいるような感覚を抱くこの場所だけが唯一心休まる場所だった。
僕はいつものように神社での作法に則ってお参りをする。
(いつも、安らぎを与えてくださり、ありがとうございます)
そう感謝をする。一分ほどたち、目を開けた僕は振り返って階を降りていく。本殿までの道から外れた木の椅子へと僕は向かう。周囲は木々で覆われているものの、本殿周辺を覆う程ではないため、程よく明るかった。
いつものように背を預け、目を閉じる。遠くから聞こえるのは風に揺れる葉の音と、どこかで鳴く鳥の声。誰の影響も受けないこの時間だけがある意味で救いだった。30分くらいはそうしていただろう。少し肌寒さを感じて目を開ける。衣替えをしたのは失敗だったかと肌を摩っていると、ふと目の前に人の姿が見えた。
それも参道の中間地点で倒れている。
(いつの間に現れたんだ?)
一切足音や気配を感じることがなかったことに驚き、目の前の少女を呆然と見つめてしまう。数秒呆気にとられる中で、大病などの可能性がふと頭に浮かぶ。それでもすぐに駆け付けなかったのは、何かの事件だったり、痴漢冤罪などの自身に及ぶリスクを第一に考えてしまう人物だからだろう。
しばらく迷った末、僕はスマートフォンを取り出した。痴漢などで訴えられないように左手にスマホをもって少女を映しながら近づいていく。
うつぶせになっているので外傷があるのかは判断できない。仰向けにするには触れる可能性があることを考慮し、息をしているのかを確認するために少し顔を近づける。
すると、
「すぅー、すぅー……」
という穏やかな寝息が聞こえてきた。そのことに安堵すると同時に、こいつはどうしてこんな場所で寝ているのか?という疑問を抱く。睡眠障害の可能性を考慮しつつ、意識くらいは確認するべきだろう。そう判断し声をかけることにした。
「あのーー……起きてますか?」
これで起きなかったら体をゆすった方がいいだろうか?もしくはそこらへんに落ちている木の棒で……なんて考えていると、少女の瞼がピクリと動き始める。そのままぎゅっと強く閉じてから少女は目を覚ました。
「……あれ?」
少女が上半身を起こしながら周囲を見渡す。左右を確認するように見つけた後、目の前にいる僕に視線を固定した。
「……えっと、あなたは誰ですか?」
「僕はこの神社に参拝をしに来たものだよ。君がこの参道で倒れてたから声をかけたんだけど……見た感じ、体調に問題なさそうだし去ってもいいかな?」
「……えっ……はい」
今になって気づいた少女の服装は明らかに現代にはふさわしくない、まるで数十年前の服装だった。たしか、もんぺ?といった奴だろう。腰回りがゆったりとしたズボンと、上は色あせた着物の組み合わせだった。
変な奴だなと思いつつ、僕はすぐにその場を去ろうと踵を返す。これ以上厄介事に巻き込まれたくないし、顔色も悪くない。いざとなれば、スマホで誰かに迎えに来てもらうだろう。そう結論付けて一歩踏み込んだところで、なぜかズボンのすそを摑まれた。
少しムッとしたような表情になるのが自分でも分かる。このまま振り返れば「なに?」と強い口調で返してしまう自信があった。少し気持ちを落ち着けるように息を吐いて、僕は振り返る。
「どうかした?」
「……その……この場所に見覚えがなくて、場所だけ教えてもらってもいいですか?」
「ここは稲代市大円町4丁目10-1だけど」
「大円町……ですか?」
「えぇ……というか、わからなければスマホで調べてください」
「……スマホ?」
少女はスマホという単語が分からないとでもいうように小首をかしげる。
「いや、スマホくらい知ってますよね。ほら、これですよ」
僕は心底うんざりしつつ端末をポケットから取り出して見せる。少女はそれに視線を向けても相変わらず、首を傾げたままだった。いや、普通にわかるだろと苛立つ気持ちを抱く。目の前の少女は身長が150cmくらいとどうみても中学一年生くらいだ。自分で持っていないとしても、友人が持っている姿を見たりするだろう。それなのに、とぼける理由が分からない。
病気がちでどこかに隔離されていたとか?なら、一人で出歩く理由が分からない。人に対して怯えた様子もない。少し考えるように少女を観察する。先程みた服装はどうやらかなり使い込まれているようだった。それに一つの可能性が思い浮かぶ。
目の前の少女は、見た目は中学生くらいだが、容姿はかなり整っている。もしも子役といわれても素直に納得できるくらいに。なら、一般人を対象にドッキリをかけている可能性はあるだろう。そう仮定した僕は、今もまだスマホと僕の服装を珍しそうに眺めている少女を、少し揶揄う意図で口を開く。
「それで、あなたはどこから来たんですか?」
「わたし……ですか? 檜村ってところです」
「檜村ね~」
スマホで少女が告げた村を検索するものの当然のように出てこない。とっさの質問で即答できたのは褒めてやりたいところだが、調べられるとは思っていなかったのだろう。爪が甘いな。
「そんな場所存在しないけど」
「そんなはずないです。関谷村の近くにあるはずです!!」
急に距離を詰めてくる少女に驚きつつ、僕は距離を取ろうとするものの、ズボンの裾を摑まれているのでうまく距離を取れない。
めんどいなコイツ……。内心ですごく怠い気持ちを感じつつ、再度AIを補助的に使用しながら検索することにした。
『檜村と関谷村について教えて』
どうせ、検索結果はそんな村は存在しませんって出るに決まっている。それを見せればコイツだって………そう呆れ半分で画面を見ていた僕自身が固まるのが分かった。
『檜村と関谷村は、かつて稲代市大円町に存在した村になります。1970年代を境に大円町に統合されました』そんな表記が返って来たのだ。
いやいや、偶然だろう?それか事前にものすごく調べていたってことだろう。にしてもところどころ擦り切れている服装といい、かなり作り混んでいるのが分かる。もしこれが初めてのドッキリとか大きな番組なら必死にもなるか。
付き合うのはめんどいなと思いつつ、この神社から町に降りればさすがに撮影しているスタッフが嫌でも見えるだろう。そう考えた僕は、少女を見覚えのある場所まで送ることにした。どうせ、今日の記憶は忘れるのだし、少しくらい付き合ってもいいだろう。そう結論付けて。
「わかった、見覚えのあるところまでは一緒に行ってやるから、一旦、この山から降りよう。そうすればある程度は思いだすだろ」
「……そう、ですね」
少女は小さく頷いた。
「お願いしても……ええですか?」
「……あぁ」
面倒だと思いながら、僕は少しの間だけ付き合うことにするのだった。少女が何者なのかなんて、考えもせずに。




