19. "穢れ"の治療
カラカラカラカラ…
長谷を乗せた担架が、軽快な音を立てて医療班のある4階のフロアを進んでいく。
腹部から流れる血は応急処置である程度止まっている。それでも長谷の顔色は青白く、意識は朦朧としていた。
「藍川先生っ…お願いします!!!」
灯里達は治療室に長谷を運び入れた。
藍川は厳しい表情で長谷を迎え入れる。他の医療スタッフたちが慌ただしく医療魔器具を藍川のそばへと並べ始めた。
藍川は薄い水晶でできた天板を長谷の腹部へ翳し、加護の力をその魔器具に通した。天板は紫色に発光し、紫色の光が腹部へ当たる。
天板上に何やら情報が浮かび上がるが、灯里には読めなかった。
「…どのくらい前に、この傷を長谷くんは負ったのかな?」
天板から顔を上げ、藍川は灯里に尋ねた。
「傷を負ってからだと、だいたい50分くらいです…」
「50分か…1時間未満ならこのくらいの広範囲の穢れの汚染であっても後遺症も発生せず、完治できると思うよ。」
藍川は安心させるように灯里に笑いかけた後、
「まっ、浄化師の腕次第だけどね。」
と言って片目をつぶった。淡い紫色の光が両手から溢れ、長谷の腹部を包み込んだ。
「光陣三の段、浄光」
腹部全体を覆い尽くすくらいのやや大きめの魔法陣が浮かび上がり、傷口へ紫色の粒子が入り込んでいく。
腹部に刻み込むように侵襲していた、黒々とした縄状の穢れによる汚染痕が、その光の粒子が当たったところからしだいに薄くなっていった。
それと同時に光魔法による治療により大きな傷口も次第に小さくなった。
気づけば30分近くが経っていた。
こんなに長く三の段の魔法陣を維持することは並大抵の魔術師にはできない。
しかも浄化の加護も使用し続けているのだ。灯里は藍川の魔力と加護の操作力に驚いた。
「フゥ…。うん、もう大丈夫。流血分の血の再生も促したし、長谷くんの体力なら、一晩寝ればもう元気になっていると思うよ。」
藍川はにっこりと嬉しそうに笑った。
灯里は思わず胸を押さえ、大きく息を吐いた。
(よかった…本当によかった…)
藍川の処置後、他の医療班のメンバーが長谷の体調管理のために電極のついた管を手足につけていく。穢れによる汚染が治療後、広がらないかを念の為に一晩はモニタリングするらしい。
長谷の顔色はだいぶ良くなり、苦しんだ様子はなく静かに眠っている。
コンコンッ
「入ってもいいかい?」
ノックと共に少し扉を開き東雲が声をかけた。
「ああ、もう処置は終わったから大丈夫だよ。」
藍川の返事を受けて、東雲は部屋に入り長谷の様子を伺う。
「流石は藍川だな、結構広範囲にダメージを受けていたから心配したよ。」
いつもは冷静な東雲だが、かなり安堵した様子である。やはり藍川の治療の腕がなければ回復していないような傷だったのだ。灯里は背中にヒヤリとしたものが伝うのを感じた。
「霧島さん、今日はなんとか持ち堪えてくれてありがとう。君のおかげで長谷もこの通り無事だし、被害の拡大を防ぐことができたよ。」
そんなことはない、自分はまだまだだったと灯里はかぶりを振る。
「ただ、今日対峙した、穢れが複数個合わさった個体のことだが...一旦、分析班の方で"融合個体"と名付けて、分析と解析、さらに追跡方法も検討を進めることにしたよ。
今日、長谷と霧島さんが見た穢れの状態について、後日改めて詳しく教えて欲しい。」
「はい、もちろんです。なんだったんでしょうか、あれは...」
「ざっと本部のデータベースを検索しても、該当するような情報が今の所見つからないんだ。僕も初めて見た個体だったし。ひとまず今後の対応については上層部も含めて検討することになった。」
藍川が腕を組みながら呟く。
「普通のレベルCより、受けたダメージが深かったしね。なんだろうね、変異種みたいなのかな?」
変異種...そんな穢れがいるのだろうか?
"穢れ"は捨てられた物、人の負の感情、その他この世界で不要とみなされたものの微量のエネルギーが積もり積もって塊となると生まれる自然発生的なものである。自然に変異種は発生しないように感じた。
じゃあ人為的な何かがあるのだろうか...灯里は考えるのが怖くなった。
「どうだろうな...。ま、とりあえず今日のデータはあるからこれから分析してみるよ。」
しん...と静まり返ってしまった病室で東雲は努めて明るい声で言った。
規則正しく鳴るモニターの電子音だけが病室に響いていた。
灯里は窓の外へ目を向けた。
胸騒ぎだけが、静かに残っていた。
つづく




