01.プロローグ
ポロリ、ポロリと一粒ずつ、生命が溢れ落ちていく。
この身体に残っている生命の光は、もうそんなに多くはない。長い、長い刻を過ごして、やっと今感じられるようになった感覚だった。
「君と長い刻を過ごしたからかな」
隣には、このハイエルフの里の精霊樹。ほのかに光を帯びる幹を右手で触れながら精霊樹に語りかける。精霊樹の守り手として、長い、長い刻を共に過ごしてきた。
『他のエルフからは聞いたことがないから、そうなのかもしれないね』
精霊樹から返事が返ってくる。
精霊樹の根元には、恩恵を受けた瑞々しい葉が生い茂る。そこに腰を下ろし、精霊樹の幹に頭を寄せてもたれかかる。
「私は、ずっとエルフの里で、君の守り手として過ごしてきただろう?」
ポツリ、ポツリと言葉を落とす。
「エルフの里のしきたりに従って、森と、共生する動物たちと共に過ごし、森の実りや卵を食して、日の出と共に目覚め、少し星と対話してから就寝する。」
「外を望まず、感情を収めて諍いをせず、欲を持たず、里の皆と自然と精霊と共に過ごす」
上を見上げると、幹と同じくほのかに光を帯びる精霊樹の葉が、風を受けてさわさわと身体を揺らしていた。
「本当はね、ずっと昔から、外の世界を見てみたかったんだ。」
内緒話をするように、そっと言葉をこぼす。
「ひとの作った町と町を繋ぐ道、砂埃をあげて道を走って行く荷馬車、計算されて敷き詰められた煉瓦と建物、賑やかな酒場と生命力に溢れた喧騒、元気に走り回るたくさんの子どもたち、それにね」
書物で文字として知っているだけで、この目で見てみたかった事柄を次々と上げていく。
静かなエルフの里も故郷であり好きではあるのだが、本来はエルフには珍しく好奇心が強く生まれついた。
しかし、精霊力が強く早くに精霊樹の守り手となった私には、外の世界を見に行く機会が、生まれ落ちてから6000年も経とう今の今まで、ほとんどなかったのだ。
『とても寂しいことだが、先ほど君が言ったように君の中に残っている命の欠片は、もうそんなに多くないようだ。新しい守り手も時期に選ばれるだろう。残りの時間は、君の心のままに過ごしてみても良いんではないかな?』
精霊樹が寂しそうに、サワサワと身体を揺らす。
「わかっている。私もずっと共に過ごした友と離れるのは寂しいよ。でも、この身が土に還る前に、心のままに旅に出るのを許してくれるかい?」
精霊樹がサワリと揺れてから、フワリと一瞬光が強くなる。強くなった光は、私の身体を温かく包んだ。
『君の旅に幸いあらんことを。長い刻を共に過ごしてくれたことは忘れない』
「私の方こそ、旅に出て離れていても、土に還るまで、心は君と共に。ありがとう友よ。」
そうして、再び頭をコツンと幹に当て、瞼を下ろし、しばらく精霊樹を感じながら葉擦れの音を聞いた。
長い間、そうやって過ごしてきたように。
*****
私は、物心ついた時には、親なしの奴隷の子として、邪魔だと蹴り飛ばされてはコロコロと床を転がっていた。
前世日本の記憶は何となくあるんだけど、名前とか、見た目とか、家族とかはあまり思い出せない。思い出せないが、前世日本人の記憶としては、今の状況はかなり芳しくないようだ。
手を見てみると、紅葉のような小さな手。多分この世界、紅葉はない。
前世の、ぷにぷにの幼児達とは比べものにならない、骨が浮き出た細い手足と身体。服も身体も埃だらけの垢だらけのアザだらけで、髪も伸ばしっぱなしのボサボサヘア。それはそうか、奴隷だもの。髪の色だけ、かろうじて金髪の端くれのような色をしている。気がする。
前世の記憶の幼児を何とか思い出して自分と当てはめてみると、多分歳のころは3歳くらい?だろうか?
食事は、朝と晩に、鳩に蒔くパンくずみたいなものと薄い塩味のくず野菜のスープ。鳩に蒔くパンくずって言っても、この世界に鳩、いないだろうな。
幸いなのは、幼児では何の使い物にもならないので、あまり労働させられないことだろうか。時々手で払われたり蹴飛ばされたりして床を転がるけど、暴力の的になることもなさそうだ。
今は、まだ…!
「16番、行くぞ!」
荒々しく手首を掴まれて、ゴツい男の大人の歩幅で引きずられていく。16番は私の番号のようだ。
そのまま、洞窟っぽいアジトから、安っぽそうな幌馬車に投げ込まれた。
幌馬車には、木の箱がたくさんと、隙間には同じような汚れて痩せた子どもの奴隷たち。
馬車が走り出してガタゴトと揺れ、揺れるたびに痩せて軽い私や子供たちが浮き上がっては、お尻から木の床に落ちる。
明日は絶対にお尻が青あざだらけだよ。
それ以上に深刻なのは、寒さだった。
幌馬車の入り口は布が無く外が見える状態で、外には雪が降っているようだった。
私たちは奴隷でボロ切れ一枚しか着ていないわけで。死にそうなくらい寒いわけで。
あ、向こうの子たち、何人かでぎゅっとくっついてお互いで暖を取ってる、羨ましい…!私の位置はひとり離れてるから、出来ないのに…!
そうして、ボロを着た痩せ細って体力の無い幼児の行く果ては、決まったものだった。
「おい、ガキどもに毛布被せなかったのか!?」
「ああ?出がけにバタついてたから、毛布の存在忘れてたわ」
「ガキが一匹、弱ってやがるぞ」
弱ってるガキは、私である。
それは、熱も出るよね。凍死しなかっただけエラかった、私!!
「16番かぁ、コイツどうする?」
「金髪で目の色も良いから、育てば高く売れそうだったんだがなぁ」
「このチビで熱も出てて、育つまでが手がかかりすぎじゃねぇか?」
「とりあえず、他のガキ共は何か被せとけ」
今は丁度、移動中の休憩のようだった。周囲は土の道と、道の両端に広がる枯野原。遠くには丈の低い木も高い木もまばらに生えている。
柄の悪いガタイの良い男たちが、枯れ草を避けて火を起こし、何か飲んだり食べたりしている。
いくつか布を被せられた、ぎゅっとひと塊になっている他の子供たちは、馬車の中のままだ。
熱を出して動けない私は、男たちの横に転がされている。
雪はまだチラチラと降っている。フワフワの雪に水っぽさはなく、よく目を凝らしてみたら雪の結晶が見えそうだ。この世界にも、雪の結晶、あるのかな…?
ひとしきり飲み食いして満足した男たちは、火を消して馬車に乗り込み、またガタガタと走り出した。
地面に転がった私を置いて。
鈍い色をした曇り空。フワフワと止むことのなく降ってくる白い雪。みぞれみたいに地面が濡れることもなく、枯れ草が徐々に白くなっていく。関東に時々降るような雪じゃなく、雪国に降るという水分が少ない積もる系の雪なんだろうな、とぼんやり思った。前世の私は関東出身か!?
前世が関東出身でもなんでも、もういっか。もうすぐこの短い生も終わりそうだし。
寒さで手足の感覚はとうになく、シン…とした静寂の中、雪降る地面にひとりぼっち。
次に目覚めることはないんだろうな…雪山に遭難したら「寝たら死ぬぞー」って言うのは本当なんだろうな…とぼんやり思いながら、意識を手放した。
「おや?何故こんな所に、子どもが…?」




