第64話 駄作 下
僕は、ある田舎で産まれました。小麦畑が視界の奥まで広がり、山向こうすら見えないほどの土地です。両親はそこまで裕福ではありません。ですが実直で、信仰に篤い方々でした。毎週必ず教会へ行き、皆と讃美歌を歌い、そして祈りました。僕は冒険譚を聞くかのように、神父様から神國を聞いていました。神と人の尊厳を守る為、神の偉大さと清らかさを広める為、異端者と戦う神父様達は、それはもう英雄でした。僕の頭の中は、神への敬意と、人間達の尊さでいっぱいでした。そして同時に、獣人達への軽蔑と恐怖で溢れていました。
僕は教会に通い、毎日勉強に勤しみました。文字はもちろん、聖典、古典、加護まで。荘厳なステンドガラスが照らす礼拝堂の中、僕は幸福でした。あのガラスが、まるで実際に清貧と勤勉に努める僕達を、見守って下さっている気がしたからです。ですが、僕は孤独でした。街の皆は僕は勤勉で優秀であると盲信してしまい、僕の不安や心内までは理解できていなかったのです。
僕が作家となろうとした出来事は、僕が15の時です。その時から、僕は時折書き物をしていました。とは言っても、寂しさを紛らわす為に架空の花の絵を描いたりする程度です。ですがこれが決定打になったわけではありません。僕が本当に価値観をひっくり返されたのは、ある本に出会ったのです。その本の名前はもうずいぶん昔の事ですから、忘れてしまった。たしか、ある田舎町で神童と持て囃された少年が、己の優越感に浸り、そして、進学先で更なる天才たちに打ちのめされる物語でした。
僕はあれによってひっくり返ったのです。単純に神を信じていた頃とは違い、あの本の、あの少年の孤独とプレッシャーに共感できた。進学先で己の面子を潰され、努力しても実ることなく、どんどん落ちぶれていく。この不安と絶望を訴えても、皆わかってるようで分かってくれていないあの、あの孤独を、彼は分かってくれていた。僕は初めて本に共感できたんです。
僕はあれから、本を書きました。ですが、筆は中々進まなかった。書きたいものはあっても、その上を歩く人々に何の共感も、愛も生まれなかった。こうしてペンを持っても、文字を連ねようとしても、自分ごとに思えなかった。人が歩み、苦しむ、その時の感情が、何故か書けなかった。動きはかけても、心の動きは書けない。
僕は作家として、最も重要な「作品への愛」が欠落していた。故に、僕の本は駄作以下で、批評すらできないようなものになってしまいました。実際、本屋へ行き、原稿を見せて言われました。
【 まるで脇役同士の馴れ合いのようだ 】
僕はそのまま、挫けてしまった。僕は作品を誇れなかった。故に本棚の隅にすら、この作品達は飾られなかったんです。本当に愛があれば、あの子達はきっと、もっと美しく、尊くなれたのに。
僕は、作家として挫折してから、抜け殻の様になりました。ある日、死んだ両親の本屋を継ぐ気のない友人から、この本屋を譲り受けて欲しいという一報が届きました。田舎から出てきた僕は、大好きな本を前にしても、心が軽くなることはありませんでした。むしろ、悲しくなった。あの子達はあの棚に飾られることもなく、打ち捨てられるのだから。本当なら、僕にあの子達への愛があれば、本棚に慎ましくも並べたろうに、そう思い続けてきました。
ある昼下がり、本屋は定休日だったので森にいたんです。森は良い。花が踊り、木漏れ日は僕の心を温めてくれるんですから。この冷え切った心を、慰めてくれる。その日も、僕は木漏れ日に照らされながら森を散策していました。森はインスピレーションになっていたので、度々散策してはのんびりと物思いに更けておりました。そして僕はそのまま木漏れ日の心地よさと共に眠ってしまっていたのです。
起きた時にはもう日が傾いていました。僕は慌てて帰ろうとしましたが、ふと、眼前の奥に仄かに輝く花がありました。不思議に思い、僕はその花のそばに来ました。小さな花弁の花が密集して咲いていたのです。なんて美しい。まるで小さな星の様でした。それを何輪か持ち帰ろうと、僕は根ごと引き抜き、森の外へ歩き出しました。
森への道のりはやけに長く感じました。歩く中で、僕は足元に違和感を感じつつありました。やけに、鈍い感じがしたのです。疲れ切ったのでしょう。僕は無理矢理にでも歩き続けました。そして、視界は歪み、僕は遂に力無く倒れてしまいました。
目を覚ました時、僕は教会のベットに横たわっていました。起きあがろうと体を起こし、ベットから降りようとしましたが、足がどこにあるのかわからなくなったのです。足に力を込めようと思っても、その力がどこかに消えてしまうのです。僕は――足を麻痺していたのです。後日書物で調べたところ、ナハトュラという花で、それには一定の距離にまで近づくと、こちらを捉えナハトュラを食べるような衝動を駆り立てる鱗粉のようなものを撒くそうです。僕はその幻惑の虜になり、ナハトュラの餌食になった訳です。
***
「それで、君はもう本を何処かに出すことはしないんだ。自分の本屋にさえ。」
ウラドは本棚にもたれかかって尋ねた。青年は軽く微笑む。
「愛がないんですよ。作品への愛が。仮に並べたとして僕が誇りを持って勧められる訳がない。他の傑作達に比べて、僕の作品は発想そのものが平凡で、クライマックスすら感動的に書けない−−−−駄作なんですよ。」
「――――なのに、原稿は持ってたんだ。焼き捨てることなく。」
「――えぇ。」
青年はほくそ笑む。だが目元は暗く曇っている。彼は引き出しを軽く漁る。ウラドは察して、ゆっくり本棚から離れる。彼は引き出しから取り出したものはやはり、あの原稿だった。綺麗に紐で括られた原稿は、軽く日焼けすらしていた。何度もペンで線を引かれ、添削された文章、貼り付けられたメモには、軽い人の絵が描いてあった。花や蝶の名前、そしてその設定まで、細かく書いてあった。
ウラドはそのまま原稿を読み続けた。夜更けの土地が舞台の場所だった。信仰に篤かった彼らしく、時々神や過去の書物の言葉などが時折見られた。だが確かに、冒頭は軸となる肝心な人物の名前が伏されており、顔すらもわからない。少し異質だった。しかしそれでも土地の空気を感じさせるものだった。夜風の冷たさ、石畳みの足音が確かに聞こえてきた。お調子者から明るい者、信念で前が見えない者まで、多様でそれでいて何か、確かな光ではないが原石に近いものがあった。
ウラドは原稿全てに目を通し、丁重に受付のテーブルに置いた。青年は彼を見つめていた。光は薄く、聖母のような眼差しを感じた。
「それで、どうでした?」
ウラドは少し目線を逸らして言う。
「確かに、人物の動きに乗っている感情は薄かった。」
「そうでしたか。」
「でも、主人公の恩人は確かにあの子を大事に思ってたのは分かるよ。みんなそう。お互いに譲れない愛があった。ハッキリとはしてないけど、確かなものはあった。世界観も静かだけど、重層だった。――――僕は好きだよ。」
青年は原稿とウラドを何度か見た。そして、光ある笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。」
青年の顔は、仄かに灯るランプの光でさえ、明るく見えた。目は星々のように光で満ちており、目を見開いてさえいた。原稿を少し持ち上げ、満足げに見つめていた。
「なんだか、少し自信が湧きました。」
「そう。本屋持ってんだから、本を出す権利はいくらでもあるよ。それに、月と鼈の月が、あれこれ言ってくれたんなら、それは貴重な意見だよ。普通なら見向きもしないはずだ。君の作品、少しは期待してたんじゃない?――――じゃあ、魔導書貰ってくね。」
「えぇ、どうぞ。欲しいジャンルはありますか?」
「なんでも。」
2人は小一時間ほど魔導書を漁り、月が朝の方へ傾いたころに、ウラドは店を出た。また少しして、あの店の明かりも消えた。
−−−翌日−−−
ウラド達は宿の前にいた。そろそろ石門へと向かおうとしてたのだ。テナナは頭には包帯はなく、もう全快しているようだ。ウラドは入り口前で立ち止まる。どうやらいまだ、ヨルファネーゼは来ていないようだった。ウラドはあたりを見回しながら言う。
「彼は―――ヨルファネーゼは見なかったかい?」
すると、ティナは言う。
「あぁ!あの人でしたら、雇い主さんを迎えに行きましたよ。もうそろそろ来ますね。」
「おい。ウラド!」
ヨルファネーゼの声が都市の奥から聞こえてきた。その方向を見ると猟銃を肩にかけた彼と、もう一人いた。立ち上がっているが、少しヨルファネーゼに寄りかかっていた。首には金色の十字架を提げていた。皆はこんな容態のすぐれない人間がここまで来たのかと困惑していた。しかし、ティナとウラドは二人してはっとした。
「君も来たのか!?」
男は、少し笑った。ヨルファネーゼは雇い主とウラドを交互に見る。
「なんだ、ギルレンスさん。あんたウラドと知り合いだったのかよ。」
ギルレンスは低く、懐かしむように笑った。少し頬にも肉が付き始めており、骨ばった手にも筋肉が付きつつあった。ギルレンスは言う。
「そうだ。この男はな、小間使いとして雇ったことがあるんだが、ほとんど働いてないぞ。なぁ?ずっと聖典のことで言い争ったもんだ。覚えてるか?」
「あぁ。昼間まで騒いだもんだ。それに、屋根裏でも寝たよ。あそこは夜空がきれいだった。」
「そうだ。あの日々は私にとって大きな転換点でもあり、救いだ。」
ギルレンスは感慨深くそういった。ヨルファネーゼは大仰なその発言に、少し眉を上げた。ギルレンスに尋ねようかとは思った。だが、二人が幸福そうに語るものだから、水を差すわけにはいかんと思い黙った。石門へ向かう途中、ギルレンスは杖を突きながら、神妙な面持ちで尋ねる。
「それで、諸君らが向かう先は――?」
「お察しの通り、『学会』だよ。君だってそうなんだろう?あの日、ベリアールの息のかかった彼女が来たんだから。」
「その通り、私は彼の依頼の通り、東文化を調査し彼に報告していた。予定としては、かの生体錬金術式と併用して魔人と獣人の関連性の否定、聖導師文化の原点の洗い出しが目的だった。」
シモンが訝し気に彼を見る。
「だった?」
「その通り、目的が変わった。いや、あれは―――変わっているのか?いやすまない。ベリアールは少しつかみづらいからな。今は生体錬金術式の確立が主になっている。ヨルファネーゼ君のことは、ベリアールから紹介されたんだ。」
ウラドは軽く頷きながら歩く。石門を通る。都市の外へ出ていく石門は、大体警備が甘い。ゆえに、ティナやシモン達も通れる。軽く舗装された土道を歩きながら、ティナは頭にかぶった手拭いを取る。
「なるほどぉ。ですがウラドさん、学会の会場に行く前にドゥーマでカインの日記を手に入れないといけないんですよ!」
ウラドは一瞬ぼんやりした態度であったが、次第に記憶が蘇ってきた。彼は生返事した。その時に、ギルレンスは朗らかに笑いながら提案する。
「では我々も手伝おう。いいな?ヨルファネーゼ君。」
「まぁいいけど。ドゥーマは道中寄っても平気だし。」
意見が一致した。シモンはつばの大きいハットを被り直しながら、笑顔で言う。
「よし!!では次は、北の大陸北西部ドゥーマだね。」
皆は大勢の友人たちができたことに浮かれ、仰々しく語り合いながら道を歩いた。ただ一人、テナナだけは違った。彼女は皆の一歩後ろで、ギルレンスを見つめていた。杖で不自由そうに歩く彼の背中を見ながら。
ベリアールと接点のある人間。そして、生体錬金術式に関与していた人物。ともなると、ベリアールが何を企んでいるのか知る手掛かりになりうる。彼女はそう確信していた。そして次の都市ドゥーマ、あそこはテナナの魔導士としての故郷である。
ご拝読ありがとうございました。
作家の端くれとして、僕も一時期、pvが欲しいとか有名になりたいとか、そういう気持ちはありました。でも、沢山ある物語の中で、僕の物語に手を伸ばしてくれたことがどれだけありがたいことなのかを、改めて感じることができたのです。これからも、沢山読まれたいという気持ちはあっても、読んでくれた人への感謝の念を忘れずに書いていきたいです。ちょっと凹むこともあるでしょうがそれでも少しずつ歩いてあげたらなと思います。
では、次回もお楽しみに。




