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Episode60・(Waka Side)



  喉が締め付けられそうだ。



 過呼吸を繰り返しながら、脳裏に蘇る記憶を押し殺そうとする。

どうすればいいのか、と思いながら鉛の様に

重い身体を引き摺るかの如く、和歌は身体を動かす。




_____しかし。




『和歌ちゃんは、

本当はね。“チトセ”というお城のお姫様なんだよ』


「………………っ、」




しめ縄で頭を締め付けられる様な感覚。

頭痛と共に甦る、あの忌まわしい男の言葉。美岬の怨念。

過呼吸を繰り返しながらも、和歌の心情は混乱の渦に浚われた。












『そうだ。

お姫様がお城から出ていたら危ないだろう?

だからおじさんが迎えに来たんだよ』






 優しい人間をふりをして、人の心を壊した悪魔。

美岬の計算された計画と思惑と陰謀。

それは二人共、何処か似ている。





「………………く、」








(此処から早く逃げ出さなきゃ)



 だが、混乱する心と体が上手く動かせない。

あの男の顔が浮かび、先程見た美岬の行動や言葉と重なり

フラッシュバックを起こす。

 植え付けられた言葉が脳裏に木霊する度に頭痛と過呼吸は酷くなる。






(…………私は、いつまで、怯えるのだろう)




 額を押さえていると、きぃ、とドアが開く音がした。

あの記憶が脳裏と一致しながら、脳裏は恐怖心の渦に投げ出される。

身体は、無意識の内に震え出した。


 まるで、感覚は9年前に戻された様だった。

和歌は俯いて強く目を伏せる。




 こつこつ、とした足取り。


 





_____あの日もそうだった。



「嘘の演技がお上手だこと」


 高らかな嘲笑。



「____その顔をお上げなさい」




静かな、貴婦人の声音。

だが、恐怖心に支配されている和歌は、目を瞑ったままだ。

フラッシュバック、発作も止まらないままだ。



「その顔を見せなさい!!」



バチン、と、頬に衝撃が走る。

投げ出された和歌の華奢な身体は、床に(うずくま)る。


 「_____え?」

 

 刹那的に聞こえた疑問符。

紅く腫れた頬に塵と埃だらけの、ボロボロの女性。

こんなに手を加えられていたかと祥子は戸惑いながら、

誘拐を実行させた主犯は、無傷で此処に運んできた筈だ。


 心を渦巻く混乱は消えぬまま、発作はまだ治まらない。

それでも瞳孔を動かして和歌は、相手を見た。

____そして、全てを悟った。


(此処は、千歳家だ)



 それを象徴する証拠。それは、目の前にいるのは、

先日、強引的にお茶に誘われたあの華やかな貴婦人だった。

和歌は微かに驚きながらも、貴婦人に視線を向ける。




「…………顔は似ていないのね。母親に似たのかしら。

けれども、賢一さんの面影は感じるわ」



 貴婦人は見定めるかの様に

じわじわと、和歌の顔立ちを見詰めながらも

それを何処か嘲笑うかの様に、唄う様に、言い放った。








『己の父親は、千歳賢一。そしてお前は、千歳家の人間だ。

それは間違いはない。そして民に紛れる事なく

千歳の血筋を持っている以上、千歳家のお城に行くんだ』




 あの男の言葉が、脳裏に木霊する。

この家の当主、千歳賢一の面影と重ねているのだろう。


そう和歌は解釈した。千歳賢一_____それは、自分自身の血縁上の父親だ。



「なに? 悲劇のヒロイン気取り? そんな演技をして」

「………何故…………私が、此処に、居るのですか………」




 なんとかそう言った。


 千歳賢一には、美岬という一人娘がいる筈だ。

美岬が全てを仕組んだ事で千歳家は美岬の思惑を知らない。

それは母親でさえも知らない筈なのにとも思ったけれども、

それはまやかしだと思った。


目の前の貴婦人___美岬の母親も、知っていた。

女の勘というものは意外と鋭く働くという。


和歌がそう呟くと、祥子は不服な顔色をした。




「___何故、貴女が此処に居るかですって?」




 喜子にとって、和歌は憎く映る。

夫が今も愛している女の娘、祥子を裏切った証拠の塊。


 賢一は和歌の存在は知らなくとも

ずっと心の中では色褪せる事はなく水瀬杏子を愛し続けているのだ。

その哀愁漂う心情には誰も入り込めない。




負けている。自身も、美岬も。




 あの女をずっと愛しているというのなら、

その娘を気にかけているというのも当然だろう。

自分自身も愛しい一人娘が傍に要るのに、

心内にはこの娘や、あの女がいて、その存在感には勝てない。


それが祥子にとって、自身が惨めでならなかった。




ねえ、知ってる?と問われて、和歌は微かに首を上げた。





「あの人___あんたの父親の心には、今でも貴女の母親が居るのよ。

あの人が貴女の存在は知らなくてもね」




あの人_____それは、千歳賢一の事か。








「ずっと悔しかった。お見合いの時から、なんだか

あの人は心ここに在らずで空っぽの様だったから。

その理由を知ってからは、怒りと憎しみしかなかったわ。


賢一さんの心には、貴女の母親が居て、私は勝てなかった。

こんな屈辱あると思う?」


「……………………」




 千歳賢一にとって、母は今でも特別な人らしい。

賢一の心の中に居る人は、実母であって、目の前の貴婦人ではない。

その悔しそうな表情と声音を滲ませた後に祥子は歯軋りをする。

その仕草だけで、貴婦人の感情は解った気がした。


………過去に、母と、千歳賢一の間には、何があったのか。

けれども確かなのは、二人が関係していて、

今、自分自身は此処に連れて来られたという事だ。

 







「あんたさえいなければ、私も美岬も優位で居られた」




その言葉には狂気すら、孕んでいる。

水瀬杏子に勝てなかった悔しさ、侮辱心が、今は貴婦人の心を占領している。




仮にも、自分自身は、千歳賢一の長女。


千歳賢一にとって、愛した人は母だけ。

その憎悪染みた声音で告げる貴婦人は、哀しくも悔しそうだった。





 


(……………お母様は全て知っていたの?)






 ドアの外側、

扉の目の前で、立ち竦んでいる美岬は驚きを隠せない。




















「貴女、過去に誘拐された事があるんですってね。

12歳の時、それからは在宅の療養生活を送っていたらしいじゃない。


心を無くした人形みたい。

そんな過去を持つ輝かしき千歳家の中で、貴女は汚点。一族の恥じよ。






荒い呼吸を繰り返す中で、和歌は祥子を見上げる。

何処か自分自身の警戒心がやけに騒ぐ人物だと思っていたが

まさかこんな人物だったとは。






「嗚呼、なんて哀れな子。

まあ、貴女が哀れになる程、美岬は優位に立てるのだけれど」

「…………………わた、し」

「何よ? その()は」






(………誘拐された? 悠々自適に育った一人娘じゃないの?)




 思わずドアに耳を当て、

聞き耳を立てながら、美岬は疑問に思った。

それに気付いた刹那、和歌の口の重さがどことなく悟る。



 美岬の心に疑問符が残る。

和歌はお嬢様で、千歳家の血を引きながら

悠々自適に育った人物だと思い込んでいた。

それなのに誘拐の被害に遇い、その人生を壊された人物だとは予想外だった。




(____私は、)




 決意を固めながら、和歌は祥子を見詰めた。






「私は、千歳家の人間でなくて………よいです。

元々、戸籍上は無関係なのです……から。


ただ私が、この家の方、全ての人から

憎まれている事は………分かりました。



…………だか、ら。

貴女も、娘様も、ずっと、私を憎んで下さい。

それが私の、贖罪ならば………受け入れます。




……美岬の幸せだけを、願って、私は消えます。

貴女にも美岬にも危機感など加え……ません。誓います。


偉大な千歳家の血を引いた誇りに思いながら、

息を、潜めて私は生きて、いきます………」



 誠意のある和歌の姿勢は、祥子の憎悪を増殖させるだけだ。




「____何を一人前の様に言って!! この偽善者が!!」


 また、祥子は感情的に和歌の頬を再びを叩いた。

その襟元を掴むと彼女を引き寄せて、罵倒した。

その祥子の表情はまるで悪魔が移った様で、和歌は背筋が凍っていくのを感じる。




「………あの女が、いなければ。

あんたが、生まれていなければ。私は賢一さんに愛された。

美岬だってそうよ。


なのに、賢一さんの心にはあんたの母親ばかり。

それはあんただって同罪よ。美岬も賢一さんの血を引いて

生まれたのよ。愛されて当然でしょう。

なのに賢一さんの心の中にはないわ。


それは美岬を侮辱しているのと一緒よ!!

あんたさえいなければ、わたくしも、美岬も

一心で賢一さんに愛された筈だった。なのに。


あんたの母親と、あんたがそれを台無しにしたのよ!!」


「………………………」


 その狂気に絶句する。

父親の心内にはずっと母の存在がいて、それをずっと引き()っている。

だからこそずっと祥子は、母と自身を恨み、憎しみという名の屈辱を抱いてきた。


(この人達にとって、私達は、罪人なのだ)


 (ようや)く悟りを開いた。

千歳賢一の女々しさが蒔いた種。その因果によって人の感情は巻き込まれた。

この人はただ、自身を愛し、娘を愛して欲しかったのだ。

もし千歳賢一が母を忘れてそうしていたらこんな感情は生まなかった事だろう。


(…………私は、誰かを知らないまま不幸にしていた)


 

「穢らわしいあんたを、千歳家の人間だなんて絶対認めない。

父親にも会わせない。千歳家の娘は、

千歳賢一の娘は、美岬だけよ!!」




 血走った瞳。般若の形相。

震える心情の中で、自分自身と母親は、この貴婦人と美岬に恨まれ、憎しみを抱かれているのは理解した。






「_______恨み節はそれくらいに、しませんか」






 聞き慣れた低い声音が、脳裏に響く。

ふと恐る恐る視線を遣ると、和歌をその瞳を見開いた。

何故ならば、其処にはスーツ姿の幼馴染が居たからだ。




(どうして、廉が其処に………)




「貴方は、………誰?」




鳩が豆鉄砲を食らった様な口調で、祥子は固まっている。




僭越(せんえつ)ながら窓越しから、失礼致します。

本日付けで千歳家の執事となりました、椎名と申します。

正式に部屋を訪れまして、ご挨拶に伺おうと思ったのですが、

ドアの前には、お嬢様が居ましたので……」




その刹那に、祥子は固まった。




(………美岬が、聞いている?)



そう聞いた時、血の気が引く思いだった。

否。感受性が高く感情豊かな彼女の顔色はみるみる青褪めていく。



(自分自身で、自ら身を滅ぼしたな)


 廉はそう思った。

この世でもっとも狂気の沙汰程に、恐ろしいものはない。


秘密裏にこの憎き娘を拐い、

自分自身の黒い感情を吐き出すつもりだったのに。

美岬にはこんなドス黒い感情を我が娘には見せる気はなかった。


(こんな醜く惨めな感情を、美岬には知られたくなかったのに)




それが、一人娘が、聞いているとなれば別だ。

それを悟った刹那。反射的に祥子は和歌を突き飛ばしていた。




 美岬の耳には入れたくない。

自分自身に異母姉が居る事も、父親の心の内に、

母子以外の思い人を抱えている事も。


一人娘には、悪い大人の事情を学ばず生きて欲しかった。




 美岬が聞いているのでは、と思い立った刹那、

この憎しみの小娘の事はどうでも良くなった。


急いで部屋のドアを開けた瞬間、祥子は固まった。

それは、能面の、神妙な面持ちで此方を見詰める美岬の姿があったからか。




「……………お母様、どういう事ですか?」




 和歌を誘拐する様に仕向けて、

自分自身の感情を吐き出す為に、此処に呼び寄せたのか。

美岬の中で、優しい母親という人物像が変わっていく。




「これは、貴女の為よ!!」




祥子は声を荒くして叫び、

胸に手を当てて弁解する。しかし美岬には通用しない。




「………私に、異母姉がいる事は知っていました。

和歌が来たのは千歳家に、わたしの異母姉だとお迎えになる為にだと

でも己の感情を吐き出す為に和歌を呼び寄せたなんて。

そんなの、自己満足に過ぎないでしょう……。


____見損ないました。お母様」


「待つのよ、美岬!!」




母親の声を聞かずして、美岬は立ち去る。

祥子は、和歌に目線を遣ってから舌打ちした。




「………全て、あんたのせいよ。

あんたはわたくしと美岬を苦しめる事しか出来ないのね。


貴女が、壊したのよ。

美岬もわたくしも、賢一さんも………」


「貴女は、疫病神だわ!!」



そう言い捨てると、祥子は去っていく。

美岬に早く弁解をしなければという心が(はや)る。







「_____あんな人の話を聞くな」




 颯爽と静寂な部屋に入ってきた、凛とした青年の声が響く。

和歌が視線を遣ると廉は(ひざまず)いて、スーツのジャケットを掛けた。

ふわりした温和な温もりが宿されたジャケット陽の様な温かさを宿している。




「もう大丈夫だよ、和歌」




 その刹那、優しい声音が降ってきた。

不意に視線を寄せると優しい微笑みを浮かべている青年がいる。

廉はスーツのポケットから小さなケースを出すと錠剤を渡す。

今もまだ手が震えている事に今更、気付いた。


「………伯母様の所に帰ろう、ね?」




「………れ、」




ふわり、と抱き抱えた身体はあまりにも軽い。

和歌を抱えたまま、廉は器用に気配を消して千歳家を抜け出す。




「おやすみなさい」




 慌てて(すが)る様に

何か、慣れた味わいの薬を口を飲み込んだ刹那。

急激に、頭痛と激しく波打つ鼓動が治まった。

緩和と共に急激に遠退いていく意識。



(………何故、廉は此処が解ったの来たのだろう)



 様々な疑問を抱きながら、急激に遠退いていく意識と

従兄であり幼馴染の青年が来た安堵感から、和歌は意識を失った。





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