未來 十二 昔語り7 (勉学)
次の日から紅時との生活が始まった。
只紅時を禿としての偏見を持たれない為の準備期間とした。
家に居る婆に家の家事を習い、読み書きは継一の長男啓之助に頼んだ。
啓之助は余り中学校を好きではなく、休みがちになったので、気分転換も兼ねての事らしかった。
だが、成績は良く物書きに問題は無い事、草木が好きな事もあり農家での生活を満喫していた。
午前中に休暇中の課題を終わらせ暇な時間は畑にも出てくれた。
初めて紅時と対面させた時に秋は人選を間違えたと感じた。
「紅時。彼が啓之助。午後は読み書きを習いなさい。」
小さく正座した紅時が頷いた。
「啓之助……。」
後ろ姿だけで呆けてると直ぐに分かった。
秋が顔を覗き込むと雷にでも撃たれた表情だった。
「紅……。」
確かに口は動いた。
秋が啓之助も巡る過去の人間である事を、継一に説明はされていた。しかし、紅との関係性は知らなかったのである。
「啓之助。紅時だ。読み書きと算盤を教えてくれ。」
啓之助は無言で頷きまるで夢を見る様に紅時の横に座った。
「はじめまして、紅時。伊藤家の長子、伊藤啓之助だ。君は俺と会った事はあるか……。」
紅時が思い出す仕草をするが、直ぐに向き直った。
「初めてまして。啓之助様。」
紅時は躊躇いもせずに云う。
残念そうな啓之助の顔色と教科書を捲る音がした。
露骨な不服そうな後姿を見つながら秋は二人だけ残して部屋を後にした。
「名前は書けるかい……。」
啓之助が紅時に問い掛ける。
墨で綺麗な文字を書いた。
「何か学んで来たのかい……。其れか記憶があるのか……。」
啓之助は体を乗り出して問う。
「確かに私には過去の記憶が御座います。しかし断片的で先生が捉えられる記憶よりも、令和の記憶の方が鮮明です。」
「れいわ……。母上が居た時代か……。」
「令和の人が居るのですか……。名前は何と申しますか。」
「伊藤 時子だ。」
「時子さん……。節さんですか、其れは先生は知っていますか。」
「否。」
「なら継一様が旦那様ですね。尚更秋さんとは会わせたく無いでしょうね。私も会わせたく有りません。継一様と云う伴侶が居ても、会わせたくありません。」
啓之助が頭を掻いた。
「母上には、秋さんの家に行く事は内緒にしている。勉強の為に私塾に通って居る事になっているのだよ。」
「聡明な判断です。伊藤の家を束ねるだけはありますね。継一様には、他の名前は無いのですか……。」
啓之助が紅時を見詰めながら眉間に皺を寄せた。
「紅時は年齢の割には、思慮深いね。何歳だい……。」
「質問に質問で返さないで下さい。節さんの旦那様の名前は。」
紅時が啓之助を睨み付けた。啓之助は降参する様に手を上げた。
「紅時は紅と違って儚くはないのだな……。なら余計に伊藤の家に来ないか。正妻は無理でも妾なら丁度良いだろう。秋よりも年齢が近い。」
紅時が鼻で笑う。
「伊藤家の正当な後継者は秋さんですよ。秋継は、先生は必ず伊藤の血筋に生まれます。僕も過去は其うだった。見た感じ先生は一人っ子ぽいですから……。ならば、断絶させず変わりに修一さん辺り替え玉ですか……。」
「父上は父上だけだ。継一の名前を継いだ時に、母と祝言を上げた。これ以上愚弄するなら、首を叩き切る……。」
二人の間に沈黙が流れた。
紅時は啓之助から視線を剃らさなかった。
「丸腰で力まれても無駄です。私は文字を習いたい。この時代の文章は古典と差程変わりませんから……。」
静まり返った空間に障子が指二本分開く。
紅時が視線をずらすと啓之助が立ち上がった。
「誰だ……。」
障子から指が覗き、ひき戸を滑らせる。
継一がゆっくりと入って来た。
「紅隆御時宮だな。初めて合った状態で記憶のある紅に会えるとは思ってなかった。何処から話すか……。貴方が知りたいと思う所から話そう。」
踏み机の前に対面し、正座をした継一。
紅時は澄んだ瞳を向けている。
「私の名前は、林 修一。秋継の稚子だった。秋の頼みにより伊藤の名前を継いだ。」
「修一さんは身分は……。」
「継一にしてくれないか……。流石に其の顔で偽りを云う気にはなれない……。紅時が思っているよりも罪の意識はあるのだよ。」
継一が深い溜息を吐くと、啓之助に申し訳なさそうな顔をした。
「農民だ。」
啓之助が立ち上がった。
「由緒正しい武家ではないのですか……。」
語尾が荒ぶっている啓之助。
継一が立ち上がった彼の肩を叩くと、再び腰を下ろした。
「秋継が家督を継ぐ筈だった。婆も秋継の乳母だった下女だ。」
紅時と啓之助に、長い秋継と修一と時子の話をした。黙って二人は話を聞いている。だが啓之助には、耐え難い話であった為に肩が少し揺れている。
全て聞き終える。紅時が長い溜息を吐きながら、微笑んだ。
「運命の通り、と云う訳では無いのですね。秋継が節さんと結ばれなかった。地位を捨てても良い程、紅の記憶があった……。可笑しいですね。全ての過去に共通するのは、記憶の無い秋継です。令和の秋継が唯一僕を解して、記憶を戻しますが節さんと夫婦になっていた。だから、紅は秋継を諦めた。」
「成る程、時子が黙って居たのは其こか……。私はてっきり秋継が紅しか選ばないと思い込んで居たから、令和が異端だ思って居た。繰り返す過去に節は想いを押し黙って居たのか……。まあ仕方あるまい。今は私の伴侶なのだからな。」
「節さんが秋継を諦めたと御想いですか……。」
「私は諦めたと思っている。紅時はどう考える。」
「時代が自由恋愛を禁止しています。不義など伊藤家の身分では無理でしょう。でも念には念を押しても問題はありません。節さんに先生が生きてるのを、教えないてで下さい。」
「遇い分かった。」
啓之助が憮然としている。
継一が肩を又、三回叩いた。
「無理もあるまい。突然、身分が変わったのだからな……。でも私は秋に立場を返す事は出来ないのだよ。だから、啓之助が嫡男である事は代わりがない……。秋も其れは承知の上だ。其れに、農家の家も悪くはないもの。」
「私は有難いです。宮家から流れて吉原に入りました。花魁も同じ立場です。私よりも苦労をしたでしょう……。」
「紅隆と同じ出仕か……。なら、佐波様は何処だ。」
「男児だったので切腹です。」
「ああ、やはり……。」
二人は白湯を啜った。
啓之助の肩が震えている。又継一が肩を三回叩いた。
「俺は農民が良かった。作付けも面白いし……。木の手入れを楽しめた。四季を通して樹木に触れた。」
紅時と継一が声を揃えた。
「そっちか……。」
二人は顔を見合わせて笑った。
投稿遅くなりすみません。
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無機質な不快感です。時間潰しにどうぞ。https://ncode.syosetu.com/n2752hg/