未來 十二 昔語り 5 ( 身請け )
紅時の身請け話が纏まった。
おかあさんと呼ばれる廓の女主人に顔を合わせる事も無く話は進んだ。
巾着の金は半分が無くなっていたが、太夫が交渉したらしく、紅時の値段は相場より安くしてくれた様だった。
鼻に出来物がある女郎が驚いていた。身請け先の旦那の顔を見ないのも、値段にも全て太夫が責任を持っ事で叶った事だった。
太夫の借金が増えたのかと秋が心配したが、どうやら違うらしい。
おかあさんと呼ばれる女主人も先生の存在を否定していた。紅時が語る夢の話だろうと年頃の子供の戯言と思っていた。だが秋が現れ嘘を着いてる訳ではなく、身請けだけを望んでいるのに、驚きを隠さず説明を聞いて不思議と納得したらしい。
紅時との関係を運命と呼んだそうだ。
太夫の部屋に居て朝に帰って来た。
「紅時をこの侭連れて帰って良いそうよ。着物は此れを着て行きなさい。」
太夫の差し出したのは町娘の普段着だった。
「禿の物は何一つ持って行っては駄目よ。旦那さん。紅時は遊廓言葉しか喋れないわ。御国言葉と読み書きを教えて上げて欲しいの……。紅時は本が好きだったから……。」
「解った。国に帰ったら必ずさせる……。しかしどうやって紅時の身請けを成功させたのだい……。」
太夫は鈴が鳴る様に笑い。
鼻にオデキのある女郎が眉を潜めた。
「自分を犠牲にしたね……。」
女郎が小さく呟いた。
紅時が太夫の元へ駆け寄る。太夫が腕を目一杯開いた。
「ねえさん。ご免なさい。」
縋り付く紅時に太夫が笑顔で答える。
「私達に出来ない事をしたのよ。御慕いしていた旦那さんと一緒に居られるのよ。もう此の場所での事は忘れなさい。」
「ねえさん。有難う。一生忘れません。」
「旦那さん。朝の闇に紛れて出て、通行証があるから大門の横から出られる。」
太夫が紅時を引き剥がし着物を着付けた。昔を思い出す様に紅時の世話をした。
秋が無言で見詰める。
太夫が緋色の襦袢に手を掛けると、おできの女郎が秋の手を持ち上げた。
「旦那さんは、娘の気持ちが分からない人だね……。」
襖を開いて廊下に出た。
女郎が溜息を付くと襖を閉めた。
「紅時は女の子だよ。」
「ああ、そうだった。」
秋が頭を掻く。
「旦那さんは鈍いね。紅時から聞いた先生は、格好良いのに……。」
「過去の自分等気にしても仕方がない。今は祥が無い農民だよ。でも食べさせて行けるだけの技術はある。」
「まあ旦那さんが嫌な奴だったら紅時は行かせないけどね……。嘘や偽りがあれば叩き出してるわよ。旦那さんが花魁の気性を知らないから上手く行ったのよ。其の上紅時の性格も良い子だったしね。」
「良い子なのか……。良かった。」
「本当に大丈夫……。嫁に貰うのよね……。」
「俺は紅を男だと思って居たからね……。おなごでも問題はない。」
「其の様な感情で紅時を連れに来たの。男か女かも解らないで身請けしに……。理解出来ないわ。」
「俺にもさっぱり解らないよ。でも紅を諦めたら一生後悔するのだけは確かだ。だから連れて帰る。」
「紅時が『こう』ではなかったらどうするのよ……。」
秋が笑った。
「間違えないよ。彼だ。紅時は彼だよ。」
憮然とする女郎に秋が彼女の肩に手を当てた。
「間違えないよ。だから一生を掛けて幸せにする。もう失わせない。」
女郎が秋の手を払った。
「紅時も同じ事を良く云っていたわ。だから信じるしかないのね……。」
「大丈夫だ。」
秋が頷くと襖から声がする。
女郎が開くと可愛らしい着物を来た紅時が立っていた。首元に白狐の襟巻きをしている。
「これは……。」
「旦那さんに見て貰いたかっただけ。」
紫の風呂敷を広げると襟巻きを閉まった。直ぐに紅時に手渡す。
「ねえさん。貰えません。」
「小物ならばれるけど此れならお金に変えられるし、希少価値もあるわ。私が持ってる襟巻きで此れが一番高価だから持って行きなさい。遊廓の物とはばれないから……。紅時の物は持って行けないけど私の物なら私の裁量で持たせられるのよ。」
「有難う御座います。」
紅時が又太夫にしがみ付いた。
秋が口を開けて見ている。女郎が其の表情を見て驚いた。
「旦那さんは意味の解らない人だね……。普通なら涙ぐらい出るだろうよ。」
秋がゆっくりと女郎を見た。
「否……。此の様な場面を見た事があると思って……。何処でだろう……。」
「さっぱり解らないよ。自分なのに記憶がないみたいだね。」
紅時を抱き締めていた太夫が立ち上がると、通行証を秋に手渡す。
「今しかないよ。早く御行き。」
「感謝する。おいで。紅時。」
小さな手を繋いで傾いた朝日の格子の窓を確認した。
二人に頭を下げると太夫が通路を先行した。まだ人々は寝息を立てている様だった。
一階に行くと店が閉まって居るので、守りの男と女主人が立っていた。
年齢の割には深い皺を称えた女だった。
「早く。」
男が手短に声を立ってず、合図する。
下男が小扉を開き、紅時を先に行かせる。秋が身体を屈めて通りすぎる。
閉じる時に、「許ない。」と秋が小声が出た。
音もせず門が閉じられた。
もう開く事のない其れを見る。重厚で誰も寄せ付けない。
紅時が軽く会釈した。
「出られるとは、思いませんでした。でも信じていて良かったです。先生を……。」
紅時の手を繋ぎ直した。皹て硬い皮膚だった。
「秋で構わない。」
二人は外へ出るべく、吉原の外塀に足を進めた。
向かってくる朝日に向かい駆け出した。