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その四

 翌日、ぺいはきゅうりをぱりぱりと食べながら、水面下で優の登場を待った。彼がいつもの場所に現れると、彼はにんまりと笑って、きゅうりを全て食べほすとすっと消えた。そしてそのまま優の後ろに立つとこっそりと不思議石を彼の足元に置いた。消える術を使ってるぺいの前で優は今か今かとキョロキョロしてぺいを待ち続ける。だがいつまで経っても彼は現れない。ぺいはそれをみてくすくす笑うのを堪えながら、優に水を引っかけた。

「冷たっ!」

 優はぺいかと思い振り返るがそこには誰もいなかった。代わりに足元に不思議石が置いてあった。優はそれをおもむろにひっくり返してみると、石に「ウエヲミテ」と彫ってある。

 その指示通りに上を向くが、そこには木々が生い茂っていて、うっすらと木漏れ日が漏れているだけである。優は目をぱちぱちさせてしばらくの間じっと上を覗いていた。するとある木の上の箇所でゆらゆらと蜃気楼のように空気が揺れた。それから葉が揺れると、そこからぺいの姿が現れる。

「やっほー!」

「ぺい、消える術取得できたんだねー!」

 優は自分のことのように手を叩いて飛んで喜んだ。マジックを見ているかのような気分で彼には面白くてたまらなかった。

 ぺいは木から下りるとにっこりと笑う。優が掌を上げて待っていたので、それに合わせるように手を上げると、ぱんと爽快な音を鳴らしてハイタッチをした。

「じゃあ早速だけど行こうか!」

 優もわくわくしてきたらしく、いつもより早足で自転車に向かう。自転車に乗ると後ろにぺいに乗るように促す。当然消えた状態でだ。

「じゃあ行くよ。掴まっててね」

「了解!」

 ぺいは優の腰を掴むと、自転車は動きだす。ぺいの分重くなったせいか、いつものようにすぐには颯爽と走らせることはできない。ぐらぐらと走りながらも徐々にスピードをつけていく。スピードに乗ってくると二人は声を出して笑いあった。風を切って、辺り一面に広がる田畑を突き抜ける。太陽の日差しでぺいの頭が乾かないように持ってきた五百ミリペットボトルが数本ごろんごろんとかごの中で転がる。

 ぺいは改めて周りを見回した。図上ではきらきらと太陽が輝き、その光が田んぼの水面に反射する。セミの合唱の中で、時折小鳥のさえずりが聞こえてくる。山は緑に染まり、度々彼らの脇を車や人が通り過ぎた。彼にとっては新しいことだらけである。そして向かう先も彼にとっては冒険なのだ。

「優」

 ぺいは風を受けながら目の前の少年の名を呼んだ。

「ん?」

「今日はありがとう」

 それを聞いた優はあははと声に出して笑う。

「まだまだこれからじゃない」

「そうなんだけどね」

 ぺいはなんとなく恥ずかしくなって、その語尾も小さくなる。

そんなことを言っている間に優のこぐ自転車が止まった。

「さあ、着いたよ」

 自転車を降りるとそこには古い大きめの民家が立っていた。

「ちょっと古いけどいいところだよ」

 と、優の髪は風に揺らされた。

 ぺいは消えたまま持ってきたきゅうりを取り出すと、片一方を優に渡す。二人は歩き出すが、やはりその姿はどうにも滑稽ではあった。

「ここが玄関」

「へえ、人間の玄関ってこんなんになってるんだ」

 声だけ聞こえるぺいのそれに耳を傾けながら、優は一歩一歩ゆっくりと案内していく。台所、お風呂場、お手洗い、寝室、順番に見て回った。次に案内したのは彼の部屋だった。

「ここがぼくの部屋だよ」

 ぺいはその部屋を一目見て心が躍った。妖怪の絵本や妖怪図鑑、特に河童のグッズがそこかしこに置いてあるのだ。

 優はカーテンを閉め、部屋に鍵をかけるとぺいにオーケーサインを出す。ぺいは消える術を解くと、再びその部屋を見て回る。

「優って妖怪が好きなの?」

 ぺいは素直な疑問を口にした。それを見た優は満面の笑みを浮かべると「うん!」と大きく頷く。そして一つの河童の人形を手に取る。

「ぼく、お母さんのことあんまり覚えてないけど、これだけは覚えてるんだ。これを使ってよく河童の物語を話してくれた」

 そう言って見せてくれた人形は所々つぎはぎだった。裁縫が苦手な母親が彼のためにこの人形を作ってくれたのだという。その人形からは沁み込んだ優の匂いともう一つの匂いがした。恐らく母親の匂いだろう。

「なんだか懐かしいな」

 ふとぺいはそんなことを口にした。自分でもびっくりしたそれに、優もきょとんとして彼を見つめる。

「ぼくさ、小さい頃、人間の女の子のところに少しの間いたらしいんだ」

 ぺいは幼い頃の話をした。優はそれを聞くと目を輝かせ、前のめりになって興味深げに耳を傾ける。そして一通り話を聞いて、何やら黙ると、しばらくしてまた満面の笑みを浮かべる。

「それ、きっとぼくのお母さんだよ! きっとそうだ!」

 優はベッドに飛び乗るとぴょんぴょんとその上で飛び跳ねた。「すごいすごい!」と手を叩いて喜ぶ彼を見て、ぺいも段々とテンションが上がっていく。

「ほんとに? 優のお母さんなの?」

「うん! その女の子みたいな人形の服もお母さんが言ってた通りだ!」

 優は母親がよくしてくれた話を話し始めた。


一七年前、ぺいがまだ三歳の時の話である。優の母親、和美かずみは高校一年に上がったばかりだった。和美は元々岩手県遠野市出身だったが、高校に入り東京へと上京した。彼女が帰省するのは長期休みの時だけであった。

 彼女の実家は河童淵にほど近く、自転車でいける距離にあった。和美は至って普通の女の子であった。好きな物は甘い物、よく読む本はファッション誌。元々オシャレに興味があった和美は東京に行ってからますます垢ぬけていった。

だがそんな和美でも故郷遠野に好きな場所があった。それが小さい頃から必ず夏になると訪れる河童淵である。河童淵の傍には常堅寺じょうけんじという小さなお寺があり、そこには河童の狛犬が睨みを利かせている。だがそんな狛犬が彼女は小さい頃から好きだった。どこか恐ろしい形相をしているも、河童と言うだけでその怖さも半減する。笑っているようにも見えるそれを愛らしい、と彼女は思った。小さい頃はその近辺で近所の友達と鬼ごっこやかくれんぼをしていた。裏の河童淵に行くと河童が祀られている。幼い頃はそこで本当に河童が出てくるのではないかと友達皆で夜中まで待ったものだった。その結果怒られたことも今やいい思い出である。そんな思い入れのある場所が彼女の憩いの場となっていた。

 例のごとく、高一の夏に彼女は帰省すると、度々自転車を走らせわざわざ河童淵まで出向いた。夏休みになると観光客もちらほらと姿を見せる。そんな様子を見るのも嫌いではなかったが、彼女のお気に入りは人が来なくなる夕方から夜にかけての時間帯だった。その日も彼女は陽が沈みかけるのを見て、自転車に乗っていた。

 夕日が山の向こう側で沈んでいく。風が吹くと夏季の湿った空気が肌に張り付く。セミの鳴く声も途切れず耳に届く。東京にはない自然の匂いが彼女の鼻をくすぐった。

 常堅寺に到着すると自転車を隅の方に停める。人が去った後の河童淵に向かうと真っ暗で静まり返り、川の瀬せらぎの音が辺りに広がっていて、どこか背筋がぞくりとした。またそんな所も彼女にとっては楽しみの一貫だった。

 ふわりと、彼女の前を何かが飛んだ。黄緑色に光るそれは、一匹の蛍だった。それからよくよく辺りを見回すと点いたり消えたりして飛ぶ姿が現れている。

「出たー」

 和美は手を叩いた。やっと今年も出会えたのだ。彼女はこの姿を待っていた。毎日ではないが現れる天然の電灯。ふわりふわりと舞うそれは、いつも知っている場所でないように、背景さえも変えてくれる。

 彼女は微笑んだ。毎年恒例の行事だけに今年も満足だった。

 と、そんな彼女の目線の先に一匹の蛍が舞い止まった。蛍が止まるとそこが草花であれば一揺れするものなのだが、それは違った。揺れたのではなく、不自然に持ち上がったのだ。彼女は目を見張った。ぼんやりと見えてくるそれは何か人影のようにも見える。

「えっ……」

 よりはっきり見えるようになると、和美は声を上げかけた。

 知っている。この姿、この形。お寺の前に座っているあれ、この淵に祀られているあれ。そんな馬鹿なと、頭を振った。

「か、っぱ……?」

 河童だった。何度見ても河童だった。最初は人の悪戯かと思ったが違った。小さいのだ。子供だ。こんな時間にこんな所に子供を置いていくような大人はこの近辺にはいない。

 蛍が河童の頭から飛んでいった。立ちあがった状態でその河童がじっとこちらを見つめていた。

 和美の心臓の鼓動が速くなった。

――怖い?

 和美はそう自分に問いかける。否、違う。これは期待の音だ。

 恐る恐る近づく。河童は大人しかった。何も発せず、ただ不思議そうに目の前の彼女を見つめていた。

「君は、河童?」

 我慢できずに彼女は問うた。そして、

「そうだよ?」

 何が不思議なのだと、そう問い返すように答えた。

「子供、だよね?」

「うん」

「お父さんやお母さんは?」

「家にいるよ」

「名前は?」

「平之助。ぺいだよ」

 和美の前に立つ、その小さな河童は幼き頃のぺいだった。ぺいは初めて見た人間を不思議そうに見つめ続ける。

「一人でいていいの?」

「多分ダメかも。帰ったら怒られるかも」

 ぺいは俯く。良く見ると彼の手には花弁がいくつか失われた花を手にしていた。

「おかんに聞いた花占い、怒ってるって出た」

 花を握り締める。和美はそっと近寄ると、腰を低くしてぺいに目線を合わせる。このくらい小さい子供ならば、親が心配していると考えるよりも怒っていると考えて当然だろう。和美はぽりぽりと頬を掻くと、今にも泣き出さんばかりのぺいの頭に手をやった。普通なら、家を聞いて送り届ける所だが、何せ人間でない。かといって警察に届けるのも違う気がする。どうしたものかと、彼女は考えながら彼の頭を撫でた。

「大丈夫だよ、きっと。心配してるよ」

「……」

 ぺいは俯いた。きっとこの子は私が帰ってからもずっとここにいるだろう。そう和美は思った。そうすればどうなるだろう。朝方人がやってきて、野次馬ができるか。見世物にされたあげく研究材料にされるなんてオチもなくはないだろうし。何せ、河童だ。妖怪なのだ。実在するミイラでさえ研究材料にされているのに、妖怪がされないなんてことがあるのだろうか。彼女の頭の中を悪い予感が駆け巡り、そして一つの答えに辿りついた。

「帰るまで、私のおうちくる?」

 そうして、ぺいが帰りたいと言うまで、和美がぺいを隠して同居させることにしたのだ。洋服がないと寒いだろうからと、その時持っていた人形の服を着せた。彼女なりの優しさだった。


――ぺいはこの事を覚えていない。彼が覚えているのは匂いだけだ。

だからなのか、この優の家は懐かしい匂いで溢れていた。その居心地の良さの理由に気付いたのは優にこの話を聞いてからだった。

「ぼくの部屋がお母さんの部屋だったんだって」

 優は部屋を見回す。今は彼の匂いで溢れかえっている。それで気付かなかったがよく嗅げば所々からあの服の匂いがしてくる。

「そうだったんだあ」

 ぺいは、はぁとため息をついた。優のお母さんが、小さい頃あの問題になった女の子だったなんて。彼女に見つかってなかったら大変なことになっていたのかもしれない。そう改めてぺいは思った。

「じゃあ最後はお母さんに会ってく?」

 優は踵を返し、振り返るとにこりと笑う。それにぺいもこくりと頷いた。

 ぺいは一旦消えると、またきゅうりを持って二人で居間に移動する。そこに彼女は待っていた。ぺいも顔までは覚えてない。だが、優にそっくりなその笑った瞳の写真が、どこか懐かしさを思わせる。

「これが、ブツダン?」

 姿が見えない状態のまま、ぺいは尋ねた。

「そうだよ。お母さんとお話ししたい時はここでするんだ」

 チン、と軽くりんを鳴らす。優が目を閉じて手を合わせたので、ぺいは見よう見まねでそれを真似た。線香の匂いを初めて嗅いだぺいは少し顔をしかめていた。こんな匂い、喜ぶのかな、そんなことをふと思ってしまう。

 窓の外からはミンミンとセミの声が聞こえてくる。太陽の日差しがカーテンの隙間から溢れていた。

「お母さん、お母さんの言っていた友達、見つけたよ」

 優は顔を上げるとブツダンの写真に話しかける。

「少しだけならぺいの姿見せてもいいかな?」

 ぼそぼそと優はぺいに確認する。ぺいも了解を取ると術を解いた。

「ぺいだよ、ぼくの友達」

 優は改めてぺいと写真を見比べる。ぺいも頭をぺこりと下げた。そして顔を上げるとその写真をじっと見つめる。

「こんにちは」

――何故だがその写真が嬉しそうに微笑んだように見えた。


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