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その弐

 翌日、優は自転車の前かごにタッパーを大事そうに置くと、小さな足で必死にペダルをこいでいた。彼はぺいのために、家で食べた盛岡冷麺のほんの少しの残りをタッパーに入れて持ってきていたのだ。自転車に乗って到着したその姿をぺいは確認すると川から這い出て、とことこと優の下に歩み寄った。

「やあ。本当に来たんだね」

 ぺいは優の手元のタッパーに目をやりながらそう尋ねる。

「勿論だよ!」

 優は、ぺいの手にある、何か不思議な石に目をやった。

「それなあに?」

「ああ、これ。ぼくだけが貰うって申し訳ないなって思って。人間達の言うところの不思議な石だよ。あげる」

 その石は緑色に怪しく光っており、また夏の夜の河原に反射して美しくもあった。なんでも妖怪界にある石だという。ぺい達にとってはただの石なのだが、人間にとっては珍しい物らしい、と、以前聞いたことがあるのを彼は思い出していた。

「え、いいの? こんなに綺麗なの」

「いいよ、それより、その中身なに?」

「冷麺だよ。残りものだけど。食べる?」

「食べる!」

 ぺいは目を輝かせて、タッパーを受け取ると手掴みでその、こしのしっかりした麺を口にむさぼり放る。むにゅむにゅとゴムのような弾性がぺいの口の中に広がり、一瞬顔をしかめるが、それでもそのつゆとの味のバランスに舌鼓を打つ。

「おいしい! ぼくこんなの食べたの初めてだ!」

「本当? 岩手県だと有名な食べ物だよ」

「いいなあ、人間っていつもこんな美味しいごはんを食べてるなんて」

 ぺいは少し膨れて、羨ましいや、とジト目で優を見るも、すぐににかりと笑った。

「そうだ! 今度この不思議石がいっぱいある所に連れていってあげるからさ、今度から少しずつ食べ物くれない?」

 ぺいは良い提案だと言わんばかりに手を打った。だがその申し出に、優はうーんと首をひねる。

「毎日だとばれるし、怒られちゃうよー」

「えー」

 ぺいは項垂れた。せっかく食べられると思ったのに……。あまりに落胆したぺいを見かねてか優も何か思いついたらしく、「そうだ」と小さく呟く。

「じゃあ明日ぼくの家においでよ。昼間は誰もいないんだよ。そしたらいっぱい食べ物あるよ」

「えっ」

 ぺいは悩んだ。だって、人間の家に行っていいものだろうか、その善し悪しの判断がまだ彼にはできないのだ。

「きっと大丈夫だよ。じゃあ明日はお昼に集合ね」

「う、うん」

 優の言われるがままに、ぺいはいいのかなと思いつつも、頷いてしまう。彼自身、人間の家に興味があったのだ。日中の太陽の光を浴びるのも久しぶりである。色々なことがはじめてだった。故に、彼の好奇心が抑えられなかった。


「ダメに決まっているでしょ。遊ぶのだって反対なのに」

「そんなこと言わずにおかんー」

 ぺいは家に帰ると事の顛末を話した。昨日もぺいから人間の匂いがすると猛烈に叱られたのだが、「友達になった」と言うと、彼の両親は目を丸くして、訝しげな顔をした。だが、「そうかい」の一言でそれは収まった。だが今回はダメだの一点張りである。何故なら、大人に見つかる可能性が非常に高いからだ。

「見つからないようにするからさ」

「いいかい。妖怪ってのは人前から消える術を身につけてなんぼなの。あんた、その練習さぼってるから消えることができないじゃないかい。安全に消えることができるようになるまではダメだよ」

「そんな、約束しちゃったのに」

 ぺいは項垂れた。と、同時になんで練習をさぼってしまったのだろうと悔やんでしまう。妖怪にも妖怪学校というものがあり、と言っても人間ほど真面目に行うわけではないのだが、そこで一通りの妖怪としてのいろはを学ぶ。その一つに消える術があるわけなのだが、ぺいは学校をさぼっていたため消え方も知らないのだ。何故なら河童に限って言えば、消える術は大人になるに従って、勝手に人間に見えなくなるというラッキーな特典がついているからだ。驚かしたいと思う時にだけその術が消え、人を驚かすことができるらしいが、何せ勉強してこなかったのでぺいにはわからない。

 はあと残念そうにため息をつく彼を見て、母親も小さく息を吐くと、「教えてあげるから」と彼の頭を撫でる。

「本当に?」

「簡単なことだからね。でも早くても習得に二日はかかるよ。それまでは我慢しなさい?」

「やった! わかった!」

 ぺいは両手を叩いて飛び跳ねた。これで約束が守れると、にこりと笑う。それを見て母親もふうと苦笑を浮かべながらも、柔らかい表情になった。


 人間と河童が交流するなんて――既に妖怪の世界にはそんな噂が立っていた。妖怪界のボスとも呼べる後頭部の大きなぬらりひょんにぺいの両親は呼び出されていた。しかし、両親はぺいなら大丈夫だと言い張った。彼の友達になるような人間なら安心だと。ぬらりひょんも困った顔をしていた。これではモンスターピアレンツではないか、なんて冗談を言うも、ぺいのことを知るぬらりひょんも少々押し黙る。ぺいは、生まれは普通の河童だった。ただ違ったのは、一度ぺいが人間の女の子に捕まってしまったことがあることだ。両親が目を離した隙に、幼い頃から好奇心旺盛だったぺいは、世界の出入口である洞窟に迷い込み、そのまま人間界へ彷徨ってしまったのだ。そこで河童淵へと浮かんだ彼は、女の子に拾われた。

当然、両親も、そして妖怪界もその事実に混乱した。ぺいの存在が明るみに出れば、妖怪の世界も危うい。人間達に奇襲をかけるか、無理矢理にでもぺいを連れて帰るか、最悪の場合彼を殺すしかないと、とにかく大きな議論になった。だが、議論の的であったぺいは帰ってきたのだ。体にフランス人形のような女の子の洋服を着たまま、彼は「もらった」とだけ言って、全くの無傷で帰ってきた。それからというもの、未だに出入口は発見されておらず、なぜどうやって彼が戻ってきたのは未だに不明である。

 そんな事実があるだけに、ぬらりひょんも一概に否定はできなかった。もしも、彼と言う存在が、人間と妖怪の橋渡しになるのであれば、そう便利なものはないからだ。

 妖怪は古くから、人間達から恐れられ、無害な妖怪でさえも悪者と言われ続けた。当然仲良くすることなんかない。稀に妖怪に理解ある者が妖怪達について語ることがあるが、それがどれだけの人の目に触れているのだろう。否、触れた所で、未だに悪者であることには変わりないのだ。それに憤慨する妖怪もいないわけではない。ただ驚かせているだけだと、それが仕事の一貫なのだと口々に言う。そんな苦情もぬらりひょんには度々届いていて頭を悩ませていた。ぺいが少しでも人間との境目を軟化してくれるのなら、そんな期待を抱いてしまう。

そもそも人間の世界に一度連れて行かれ戻ってきた者はそう多くない。だからぺいは特別な存在でもあった。だからと言ってぬらりひょんはボス故に事実を黙認することはできない。彼は両親に彼の言動によく注意するようにと念を押し、何かあればすぐにぺいを監禁することを告げた。

 その翌日のことであった。ぺいが人間の家に行きたいと言い出したのは。勿論簡単に許可などできるわけもなかった。今日でさえ、母親がこっそり後をつけ、影から見守っていた――監視していたくらいである。けれども、見守りながらも、彼のその『友達』に不思議なものを感じていた。どこかで嗅いだ事のある匂い。それがなんなのか結局わからずじまいだったが――



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