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終わりきれなかった世界  作者: 牧田紗矢乃


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3/7

3

 




「到着。この部屋ですよ」


 青年は微笑みながら泰子を招き入れた。

 泰子は少ない荷物を持ち、青年に従って部屋に入る。


「とりあえず、望月さんには基本はここで生活してもらうことになります。初めのうちは勝手が分からないと思うので、他の部屋の方々の様子を見たり、話を聞いたりして、自分で何とかしてくださいね」


 笑顔のまま冷たく言い放つと、青年は背を向ける。


「あ……あのっ」

「大丈夫ですよ。皆さん優しい方ですから」


 青年はその言葉を残して、そのまま部屋を去ってしまった。


 一人で部屋に取り残された泰子は、困ったように青年が出ていった扉を見つめていたが、諦めたのか部屋の中を物色し始める。

 部屋は狭いものの綺麗で、なかなか使い勝手はよさそうであった。泰子は戸棚をひとつずつ開けて中の造りを確かめ、ベッドに座った。


 そして、荷物を整理すると部屋からそっと出た。




 隣の部屋のドアをノックしてみる。


「はぁい?」


 中からは若い女の間延びした声が聞こえた。


「すいません……」


 と、そこまで言って泰子は言葉に詰まった。引越しでもあるまいし、「隣に越してきたものです」は場違いだろう。

 だとしたら、他にどんな言い方が適切だろう?「隣の牢に入った者です」か? などと考えていると、ドアに取り付けられた小窓から女が顔をのぞかせた。


「看守さん……じゃないわね。隣の人?」

「あ、はい。今日から隣に入らせていただきます。よろしくおね……」

「あたし、今忙しいんだよねー、後にしてくんない?」


 泰子が言い終わる前に、女はそう言って小窓を閉めてしまった。仕方なく泰子は自分の部屋に戻ると、再びベッドに腰掛ける。

 どうしたものかと思案していると、ドアをノックする音が聞こえた。


「はい?」


 女がさっきそうしたようにドアの小窓を開く。するとそこには、さっきの女が立っているのが見えた。


「おばさん、さっきは何の用だったの? 手ぇ空いたから話聞くよ」


 そう切り出した女を部屋に迎え入れ、二人は向かい合うように座った。


「あの……ここはどういう所なんでしょうか?」


 泰子は問う。


「反省部屋? お仕置き部屋? ……みたいな。そんな感じ」


 携帯電話の画面を見つめ、せわしげに指を動かすその女も、いまいちよく把握していない様子であった。


「で、ここで私は何をしたらいいんでしょう?」

「はぁ?」


 意味が分からないといった風に女は眉間にしわを寄せた。


「私、ここへ来たばかりで、何をしたらいいのか分からなくて……」

「ああ……。んー……あたしもいまいち分かんないんだよねー、それ。みんな思い思いに懺悔したりしてるみたいだけど?」


 茶色に染めた髪の毛を指に巻き付け、女は携帯電話を閉じた。


「はぁ……。ここの規則とかは?」

「んー、ない。日々の……しがらみ? から解き放たれてどうとかっておにーさんは言ってたはず」

「そう……ですか」


 それがこの施設の方針であるとしたら、何が目的で作られたのだろう? ただひたすらに、懺悔をするのか? そのために施設を作るなんて、そんな変わり者はいるのだろうか?

 思考をめぐらせていると、女は再び視線を携帯電話に落とした。


「じゃ、あたしそろそろ戻んなきゃ。頑張ってねー」


 ひょいと立ち上がると、女は携帯電話に視線を落としたままで部屋を出ていこうとする。


「あのっ……」


 泰子は咄嗟に女を引きとめていた。しかし、女が足を止めてから、引き止めるほどの用事がなかった事に気づく。


「何?」


 不機嫌そうに振り返った女に、泰子は口ごもってしまう。


「あ……あの、お名前、聞かせていただいてもいいですか」


 おずおずと頭を上下させて尋ねると、ああ、と女は鼻にかかった声を出した。


「あたし(ひと)()。おばさんは?」

「望月、泰子です」

「ん。よろしくね、やすちゃん」


 にこっと笑うと、仁美は手をひらひらと振りながら部屋を出ていった。

 泰子は、二回り以上若い女に「やすちゃん」と呼ばれたことに困惑しつつも微笑を零した。




 翌日、朝食を運んできた青年に、泰子は声をかけた。


「あの……私はここで具体的にどんな事をしたらいいんでしょう?」

「と、言いますと?」


 青年は怪訝な顔をして聞き返してくる。


「ですから、私はここで何をして暮らしたらいいんでしょうか、とお聞きしているんです」

「ああ、そのことですか。ここで何をしようとあなたの自由です。過去の罪を悔いたり、謝罪の手紙を書いたりしてる人もいますね」


 顎に手を当てながら、天井の片隅を見つめるように青年は答える。


「そう……ですか。ところで、隣の方はどういった事をしていらっしゃるのでしょう?」


 昨日知り合ったばかりではあるものの、始終携帯電話をいじっていた仁美に興味を持った泰子は、つい青年にその事を尋ねてしまった。


「お隣、うるさいですか?」


 すっと眉をひそめた青年に、慌てて泰子は首を横に振る。


「ち、違うんです。ただ、他の方がどんな事をしているのか気になってしまって……」

「そういう事でしたら、お答えすることはできません。プライバシーってやつなので。どうしても知りたいんでしたら、直接本人から聞いてください」


 青年の顔は笑っていたが、その口調はあくまでも業務的なものだった。

 そんな青年に頭を下げると、泰子は朝食の乗せられたお盆を受け取ってドアを閉めた。




 他人を詮索するなんて、なんて失礼な事をしてしまったんだろう。

 朝食の鮭をつつきながら、泰子は後悔の念にさいなまれていた。

 そして、それと共に、看守の青年が言っていた言葉を思い出す。


『謝罪の手紙を書いたりしてる人もいますね』


 手紙……書いてみようかしら。拓と、亜美に宛てて。でも、便箋もペンもない。お隣で借りてこよう。

 空になった食器を重ねると、泰子は仁美の元へ向かった。

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