神様は言いました
人が恋に落ちる瞬間は、もっとドラマチックなものだと思っていた。
フィクションでよくある運命的な出会いとか、特別な出来事とか。
でも実際は、そんな大層なものじゃない。
ありきたりでいい。
恋に落ちるのはありきたりな日常の積み重ねでいい。
風前灯子に出会ったのは、高校に入って間もない頃だった。
中学の友達はゼロ、クラスは知らない顔しかない。
不安感ばかりが募っていた4月の上旬。
「ねぇ、せっかく隣の席なんだし友達にならない?私風前灯子って言うんだけど……浮田翔気くん、で合ってる?」
初対面のくせに距離が近くて、でも嫌な感じが全然しなくて。
「……あってる。よろしく」
「よかった。間違ってたらめっちゃ気まずいもんね」
そう言って、灯子はくすっと笑った。
その笑い方がやけに自然で、作ってない感じで。
ああ、なんかいいなって思った。
その日から、灯子はよく話しかけてくるようになった。
「翔気くんってさ、なんか静かだよね」
「ああ、ごめん暗くて」
「ううん、落ち着いてていいと思うよ。私はちょっと喋りすぎるからさ」
そんな風に、なんとなく喋る毎日。
「これプリント。さっき先生配ってたよ。気づいてなかったでしょ?」
さりげなくフォローしてくる。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
それを恩着せがましく言わないのが、またずるい。
かと思えば
「あっ」
階段でちょっとつまずく。
「危なっ」
「へへ……今のはノーカンで」
「いや完全にアウトだろ」
ちょっとドジ。でも、そこで照れ笑いできる強さがある。
責任感もあるし、人のことちゃんと見てるし、なのに完璧じゃない。
なんだよそれ、好きになるだろ普通に。
気づけば5ヶ月。俺の視線は常に灯子を追っていた。
笑ってる顔も、真面目にノートを取ってる横顔も、誰かに優しくしてるところも、全部好きだった。
だから明日告白する。
手紙を書いて、放課後の教室に呼び出した。
胸が爆発してしまいそうなくらい早鐘を打ち、手汗も滝のように出ていた。
これで関係が終わるかもしれない、明日からもう話すこともなくなるかもしれない。
それでも好きだって、言いたい。
そのはずだった。
でも時間になっても灯子は来なかった。
そして後日俺は灯子が通り魔に刺されたことを知った。
意味が分からなかった。
いや言葉の意味は分かる、でも現実として理解できなかった。
登校中に通り魔が灯子を刺したらしい。
犯人は捕まったらしいが意識不明の重体で回復の見込みも不明。いつ容体が悪化して死ぬかも分からない。
実際に見舞いに病院に行ったとき、チューブにつながれ変わり果てた灯子の姿を見た。
喉がカラカラに渇き、絶望が嘔吐するようにこみあげてきた。
なんで急にこんなことに……
俺にできることは何もなく、無力感が重くのしかかる。
何もできない、何もしてやれない。
もっと前に告白していれば何か変わったのか?灯子を守れたのか?
意味のない後悔ばかりが頭を巡る。
帰り道。気づけばいつもの道を外れていた。
そこには神社があった。見た目はボロボロで、閑古鳥の鳴いているいかにもな雰囲気。
「……神頼み、か」
馬鹿らしい。
それでも何かしたかった。
足は自然とその神社へ向かっていた。
◯
神社は想像以上に荒れていた。
草は伸び放題、鳥居は色あせ今にも崩れそうだった。
長い間誰にも見向きされていないのが一目で分かった。
それでも俺は草に覆われた賽銭箱の前に立った。
財布から五千円札を取り出す。
もしこんなことがなかったら。この金はデートに使っていたかもしれない。
……ちょっと気持ち悪いかもな、俺。
投げ入れる。
二礼、二拍手、一礼。
灯子を……助けて下さい。
本気で願った。心の底から。
1分……2分……3分……
気づけば、10分以上経っていた。
目を閉じたまま、祈り続ける。
けれど次第に虚しさが込み上げてきた。
何やってるんだ、俺。
帰ろう。
そう思って、目を開けた瞬間
目の前に、ピンク色の羽衣をまとった女が立っていた。
「ッ!?」
思わず後ろに吹っ飛び、石畳に尻餅をつく。
「なにそのリアクション、おもろ」
女はニヤニヤ笑いながら宙に浮きながら近づいてくる。
浮いてる?なんだ?幽霊?まるで頭が追いつかない。
「だ、誰だ!?」
「あ、そういう反応ね、分かった分かった……じゃあ自己紹介からね」
女は空中で腕を組み胸を張った。
「アタクシ様はこの社に祀られてる神……艶事主命よ」
「は?神……?えんじ……?」
「艶事主命」
あまりにも突拍子がなさすぎて言葉が出ない。
「信じてない顔ね。まあいいわ」
彼女は指先で俺の額を軽くつついた。
「でもね、アタクシ様なら」
一拍置いて、にやりと笑う。
「おまえの大好きな灯子ちゃん。治せるわよ?」
疑問符で埋め尽くされていた頭はその一言で一瞬で切り替えられた。
「ど、どういうことだ!?」
「そのままの意味よ」
そう言って彼女は神社の茂みを指さした。
そこには一匹の猫がいた。痩せ細り、毛はボサボサ、よく見ると、尻尾がない。
見るからに衰弱していた。
そのとき隣で女が何かを呟いた。
瞬間、猫の身体にみるみる肉がついていく。毛並みが艶を取り戻し、失われていた尻尾まで再生していく。
数秒後。
さっきまで動くのも辛そうだった猫は、勢いよく立ち上がると、女の足元まで駆け寄ってきた。
「にゃあ」
足に身体を擦りつけ、甘えるように鳴く。
信じられなかった。
さっきまで死にかけていた猫がこんな一瞬で。
「……嘘だろ」
「これで信じた?」
女は足元の猫をひょいと抱え得意気に鼻を鳴らす。
「……わかった。いや正直意味わかんないけど、わかったことにする……します」
「いいわねぇ、理解の早い人間は好きよ」
目の前の存在は確かに人間じゃない、それに対する驚きも困惑もある。
だがいまはそんなことよりも……
「本当に、灯子を……助けてくれるんですか……?」
目の前で起こった超常現象以上に俺が気になっていたのはそこであった。
期待、不安、疑心。
灯子が死にかけているときにたまたまそれを救える存在が現れる?
本当にこんな都合の良いことがありえるのか?真意を探るように見つめる。
艶事主命はにっこりと笑う。
「もちろん、ただしタダじゃないわ」
——やはりか。
「条件はなんですか?」
「ふふ、やる気あるじゃない。そうね灯子ちゃんを治したかったら恋愛エネルギーを持ってきなさい」
「は?恋愛エネルギー……?」
広辞苑にも載っていないであろう未知の単語に思わず呆気に取られてしまう。
「そう、恋愛エネルギー。人間同士が恋をして、その2人が付き合うと発生するエネルギーのことよ。アタクシ様は情愛の神、そのエネルギーが力の源なの。」
「ずいぶんとメルヘンな力で」
「でしょ?だからおまえには恋人を作って恋愛エネルギーを持ってきてもらう、これが条件よ」
艶事主命はにこっと笑ってから、指で何やら計算し始めた。
「灯子ちゃんレベルの重傷ならそうねぇ、あーこれがこうだからー、うんざっと10人分くらい必要ね」
「……な!?」
艶事主命は俺の驚愕の表情を見て楽しそうに笑う。
「ちなみに普通の人間同士だと恋愛エネルギーは生まれないわ。共鳴体っていう恋愛エネルギーを産める特別な人間同士じゃないとダメね」
「ちょまてまてまて!話進めないでください!いま10人と付き合えって言いましたか!?」
「言ったけど?あ、あと途中で別れたりしたらダメよ?」
「はあ!?」
艶事主命はわざとらしく首を横に振っておどけてみせる。
少し頭がクラクラしてきた。
10人……10人か。
「あの別れちゃダメって言うのはなんでですか?」
1つ疑問を口にする。
「簡単よ。別れると愛情は消滅するんだから恋愛エネルギーも無くなんのよ」
「は、はあ」
そんな当たり前でしょ?みたいな顔されても知りませんけど。
自分を落ち着かせるように深呼吸をし、空を見上げる。
一旦言われたことを整理しよう。
まず、灯子を治すためには恋愛エネルギーを持ってこいと。
そしてその恋愛エネルギーを得るためには共鳴体と呼ばれる10人と付き合わなくちゃいけない、しかも途中で別れたりしたらダメ。
思わず目頭を押さえてしまう。
「……それただの浮気じゃないですか」
小さく呟く。
「はあ、めんどくさいわねぇ」
艶事主命は呆れたように肩をすくめた。
「いい?アタクシ様は艶事主命。愛を司る神なの」
ビシッと指を突きつけてくる。
「一途?純愛?そんなの人間が勝手に作った価値観でしょ。恋愛なんて本来もっと自由なものなのよ。最近の人間はそこら辺お堅くて気に入らないわ!」
「いやいやいや……」
「さあやるの?やらないの?」
「……無理ですよ」
思わず口に出ていた。
「10人同時とか、どう考えても普通じゃない。できるわけ……」
「じゃあ辞める?別にアタクシ様は命令してるわけじゃないし」
艶事主命はあっさり言う。
そのとき、灯子の顔が浮かんだ。笑ってる顔。何気ない会話。何気なく交わしていた「また明日ね」の言葉。
俺は彼女を想ってるのに他の女の子と付き合う?
胸の奥がざわつく。自分がやろうとしていることにはっきりと嫌悪感があった。
「……そんなの最低だろ」
小さく呟く。
でも灯子にはその明日が、もう来ないかもしれない。
胸が締めつけられる。
「あーあ、灯子ちゃん今も苦しんでるかもよ?可哀想にねぇ」
その瞬間。
病院のベッドで眠る灯子の姿が頭に浮かんだ。
チューブだらけの身体。
青白い顔、もう二度と開かないかもしれない瞼。
胸の奥で、何かが軋んだ。
「……ッ」
「選びなさいな、自分を嫌いになってでも、助けるのか」
一拍置いて
「自分は綺麗なまま、見殺しにするのか」
息が止まった。
「……す」
「んー、なんてぇ?」
神はわざとらしく聞き返す。
「やります」
顔を上げて言った。
「灯子が助かるなら、浮気でもなんでもしてやります」
あの笑顔が帰ってくるなら、俺は……
そうだ、俺には選択肢なんてなかった。
「いいわね。その覚悟」
艶事主命は満足そうに頷いた。
「ちなみに灯子ちゃんの寿命はあと70日だからそれまでに頑張ってねぇ」
「……え?」
「いやー、現代は便利だわねぇ、昔ならあんな傷1日経たずにおじゃんよ」
「ちょっと待ってください」
「ん?」
いま艶事主命が言ったことを心の中で噛み砕く。
この神は寿命が分かるのか?70日と言っていたよな。
もしそれが本当だとしたら1人の浮気にかけられる時間は1週間……ということか?
「そういうことだけど?」
心を読まれた。
「じゃ、後で共鳴体の名前と写メ送っとくからー」と手を振ると艶事主命は目の前からパッと消えた。
俺は、その場に立ち尽くした。
こうして俺の、好きな人を救うための最低な恋愛が始まった。
初めての作品ですので至らない点もあるかと思いますがどうぞよろしくお願いします!
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