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第29話

集団から少し離れた位置に移動する。ついてこようとしたミオもその場に留まらせた。


村からは微かに蒸気と歯車の音が聞こえる。だが、宮殿の中よりも格段に静かで、風だけがこの会話の行方を知っていた。


リョウカは、姿勢を正し、まっすぐとアキトの目を見据えていた。その淀みのない静寂が、今は研ぎ澄まされた刃のようにアキトの喉元に突きつけられている。


「……リョウカ」


アキトは、乾いた喉からどうにか声を絞り出した。


「はい。いかがなさいましたか」


彼女は即座に応じる。その瞳には一点の曇りもない。先ほどの惨劇など、事務机の上の塵を払った程度の認識なのだろう。


「あの者たちは…。力ずくで連れてきたのか」


「はい。」


リョウカの問い返しには、揶揄も反抗もなかった。ただ、将軍が決断し、自分が完遂した「工程」に何か不備があったのかと、純粋に案じているだけの声だった。それが、アキトの背筋に氷を流し込む。


「していいことではないはずだ。」


アキトの言葉を聞いた瞬間、リョウカの表情がわずかに止まった。驚きではない。まるで、聞き慣れた音楽の旋律が、一音だけあり得ない方向に外れたのを聞いたような、微かな違和感。


「『していいことではない』。……。仰る通り、外の世界の倫理に照らせば、そうかもしれません。ですが、我々にとっては『すべきこと』ではなかったですか。」


リョウカは、淀みなく西ルガンの「常識」を並べていく。


「資源なき我が国が生き延びる道は限られております。他国の紙幣を偽造し、市場を撹乱して物資を掠め取る。公認の海賊船を放ち、近海を行く輸送船から部品を奪う。情報局を使い、周辺諸国の最新技術を盗み出す。白霧の再安定化、およびその投射技術の開発、反抗的な集落の強制徴用……。これらはすべて、初代カミシロ将軍様より代々受け継いできた国家戦略であります。」


リョウカの視線が、まっすぐにアキトを射抜く。


「中央諸国での留学中、それらのことに疑問を呈した私を諭してくださったのは、カミシロ様ではございませんか。仰いましたね。この環境において甘い理想は死を招くだけだと。人道を捨ててでも、合理の獣になるのだと。……そう、教えてくださったのはカミシロ様ご自身ではありませんか」


心臓が、耳元でうるさく鳴っている。


前人格のアキトは、この地獄を理解した上で、自ら「怪物」になることを選んだ。もし、今の自分がその「決断」を否定し続ければ、リョウカはいつ気づくのだろうか。目の前にいる人物は、「カミシロ様」ではない別の何かに成り代わっていることに。


気づかれた瞬間に待っているのは、死ですらない。


これまで「アキト」として積み上げられてきた冷酷な合理性の歯車に、自分という意識が、ただの「エラー」として無機質に修正され、消し去られてしまう予感だった。


リョウカの瞳が、じっとアキトを見つめている。


「……カミシロ様? どうなされたのですか。先ほどから、まるでお忘れになったかのような……」


「……。……いや」


アキトは、自分の声が震えないよう、膝の上で拳を握りしめた。


「……少し、考え事をしていただけだ」


アキトの返答を聞くと、リョウカはふっと表情を和らげ、慈しむような笑みを浮かべた。


「……あれは忌まわしきナギア人です。かつてこの大地を汚した連中の末裔をどう扱おうと、心を痛める必要など微塵もございません。もし万が一責任を問われることがあれば、全て私の責任になるよう、万事抜かりありません」


彼女の微笑みが、今はどんな凶器よりも鋭くアキトの胸を刺した。


差別、憎悪、そして完璧な合理性。それらが噛み合って、アキトの逃げ場を塞いでいく。


「……リョウカ。今の専門家たちのことだが」


「はい」


「……恐怖で縛るだけでは、彼らの持つ知識をすべて共有させることは難しい。なるべく丁重に扱ってくれ。彼らが『協力したほうが得だ』と思えるように」


長い沈黙のあと、それがアキトの絞り出した精一杯の救いだった。自分の魂の叫びが消えぬよう。ただし、本心を悟られないように。


リョウカは一瞬、意外そうに目を見開いたが、すぐに納得したように頷いた。


「……。さすがです。すぐに手配を修正いたしましょう」


生暖かな不気味な風に乗り、不協和音を奏でる蒸気と歯車の音が、止まることなく鳴り続けていた。

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