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職人の元へ

第百二十話

職人の元へ


島は、刺さっていた。


近づくほどに、それが誇張ではないと分かる。

岩は丸みを持たず、削れもせず、ただ外へ外へと尖っている。

崖というより、露出した骨の群れだった。


平地は、ない。

船を寄せる余地も、足を下ろす場所も見当たらない。


廻積船の甲板に立つ者たちは、無言でその島を見ていた。

港を探す者はいない。

あるはずがないと、最初から分かっている。


「……本当に、ここか」


誰かが小さく呟いた。


島の外縁をなぞるように、船は速度を落とす。

波が砕ける音が、岩に吸われて消えていく。


この距離まで来ても、

人の気配はない。

煙もない。

灯りもない。


それが、かえって不気味だった。


「止めろ」


若頭の声が落ちる。


廻積船は、その場で静止した。

舵を切る者も、帆を扱う者も、次の指示を待つ。


そのときだった。


島の一部が、動いた。


岩が崩れたわけではない。

割れたわけでもない。


“外された”。


重なっていた岩が、内側へと引き込まれていく。

一つ、また一つ。

規則正しく、無駄のない動きで。


そこに現れたのは、闇だった。


自然の洞ではない。

荒々しさも、偶然もない。


船の正面に、

通るためだけに掘られた穴が口を開けていた。


「……トンネル、だと」


甲板に、ざわめきが走る。


穴の内側から、微かな音が響く。

岩を運ぶ音。

石を置き直す音。

何かを確認するような、短い合図。


声はない。


だが、確かに“作業している”気配がある。


若頭は、目を細めた。


この島は、掘られている。

長い時間をかけて、

外からは分からぬように。


「……誘導が来る」


その言葉通り、

闇の奥から、微かに光が揺れた。


合図だ。


「前進」


廻積船が、ゆっくりと動き出す。


岩だらけの島に、

港はない。


だが今、

道だけが、現れていた。


船首が闇に呑まれていく。

甲板の上の光が、少しずつ削がれていく。


それでも、誰も不安を口にしなかった。


この道は、

歓迎のために作られたものではない。


隠すために、通す道だ。


廻積船は、

音も立てずに、島の内側へと姿を消した。


洞窟の内側は、外よりも静かだった。


波の音は、もう届かない。

代わりに聞こえるのは、石が擦れる低い音と、足音だけだ。


廻積船が完全に中へ入ると、

天井の高い空間が、その巨体を飲み込んだ。


明かりが灯される。

壁面に、無数の溝が走っているのが見えた。

掘り進められた痕跡ではない。

通るために整えられた形だ。


ミュル族の個体たちは、すでに動いていた。


声は交わさない。

合図もない。


それぞれが、決まった位置へ向かい、

決まった岩に手をかける。


外側では、すでに封鎖の準備が始まっている。

この洞窟は、入るための場所であって、

開け放つための場所ではない。


船から降りた若頭が、周囲を見渡す。


「……こんな道がな。」


感心とも、警戒ともつかない声だった。


そのとき、脇の通路から足音がした。


背の高い影が一つ。

リーフォークの青年だった。


装備は軽い。

武器らしいものも見当たらない。

だが、足取りに迷いはない。


「迎えに来た」


短い言葉。


若頭は青年を一瞥し、頷く。


「案内を頼む」


青年は一度だけ首を縦に振り、

それから、ふと廻積船を見上げた。


「……ずいぶん、でかい船だな」


洞窟の天井ぎりぎりまで迫る船体。

木と金属が混じった、異物の塊。


「こんなのが来るってことは」


一拍置いて、青年は続けた。


「灼将の拠点、落ちたのかと思った」


その言葉は、冗談でも皮肉でもなかった。

ただの、率直な感想だ。


若頭は、鼻で息を吐く。


「落ちてはいない」

「だから、ここに来た」


青年は少しだけ目を細める。


「……そうか」


それ以上は聞かない。

それ以上を、必要としていない。


ミュル族の個体が近くを通り過ぎる。

岩を抱え、無言で進む。


青年は、その動きを一瞬だけ見てから、

歩き出した。


「こっちだ」

「鎧将は、待ってる」


若頭は、最後にもう一度だけ船を振り返る。


この船が、

この洞窟を通る理由。


それを、まだ言葉にする必要はない。


二人は、洞窟の奥へと消えていった。


背後では、

石が積み上がる音が、確かに続いていた。


入口は、

もうすぐ閉じる。


洞窟の奥へ進むにつれて、空気が変わっていった。


湿り気は少ない。

岩肌は荒れているが、崩れた様子はない。

掘られたというより、整理されている。


若頭は、何度も視線を巡らせた。


壁。

天井。

足元。


どれも、人の手で作られた洞ではない。

だが、自然任せでもない。


「……すごいな」


思わず漏れた声だった。


リーフォークの青年は振り返らない。


「ここは、こういう場所だ」


それだけ言って、歩調を落とさず進む。


背後から、低い音が響いた。

岩と岩が噛み合う、鈍い音。


入口が、閉じ始めたのだと分かる。


若頭は一度だけ足を止め、振り返った。


もう、船の姿は見えない。

闇の向こうで、石が積まれていく気配だけが残っている。


「……戻れなくなるな」


独り言のように呟く。


「必要になれば、また開く」


青年は淡々と答えた。


「今は、閉じるだけだ」


それ以上の説明はない。


やがて通路は開け、

鎧将の間へと続く扉が現れた。


重い石扉だが、装飾はない。

威圧も、誇示もない。


ただ、そこにある。


青年が一歩前に出て、短く告げる。


「灼将の使いだ」

「若頭だ」


返事はない。


だが、扉はゆっくりと開いた。


鎧将の間は、静まり返っていた。


広さはある。

だが、余白は感じない。


石の壁。

石の床。

石の天井。


そして、その中央。


鎧将は、椅子に腰を下ろしていた。


視線が、若頭に向けられる。


「……来たか」


低く、短い声。


若頭は一歩進み、膝を折る。


「灼将の命を受け、参りました」


形式的な言葉だが、声は落ち着いている。


「火山の希少金属について、お話がございます」


鎧将は、頷くだけだった。


「聞こう」


若頭は息を整え、続ける。


「人は、その金属を武器や防具に加工しておりました」

「灼将は、それを知り、流通を絞りました」


「結果として、街には大量の希少金属が残りました」


「採取は順調です」

「しかし、加工が追いつきません」


若頭は、まっすぐ鎧将を見る。


「この拠点であれば」

「装飾品以外の使い道」

「多数の加工」

「そして、魔族全体の戦力へと転じる道があるのではないかと」


一拍。


「ゆえに、持って参りました」


鎧将は、すぐには答えなかった。


視線を落とし、

床に刻まれた細かな傷を見つめる。


やがて、短く言った。


「引き受けよう」


それだけだった。


重い言葉ではない。

だが、迷いもない。


若頭は、懐から一束の書類を取り出した。


紙は厚く、角が揃っている。

簡易な報告書ではない。


「これは、灼将より預かってきたものです」


そう言って、両手で差し出す。


「金属の性質について、人の言語でまとめられていた記録を、魔族言語へ翻訳したものです」


鎧将は受け取り、無言で目を落とす。


紙面には、整った文字が並んでいた。


生成条件。

硬度。

魔力との反応。

そして――用途。


「人の側では、すでに教本に載る程度には知られているようです」


若頭は淡々と続ける。


「武器、防具への加工例」

「魔力を通した際の挙動」

「耐久性と、破損時の反応」


一拍。


「合金についての記述もあります」


鎧将の視線が、わずかに止まった。


「複数の金属と組み合わせ、魔力の通りを調整する合金だそうです」

「人にとっては、扱いやすい素材とのことですが……」


若頭は、そこから先を言わなかった。


言う必要がないからだ。


鎧将は書類を閉じ、机の上に置いた。


「……なるほど」


短い一言。


「用件は、それで終わりか」


若頭は一歩下がり、頭を下げる。


「はい」

「後は、鎧将のご判断に委ねます」


それだけ言って、踵を返す。


鎧将の間から、若頭は静かに退いた。


扉が閉じる。


残されたのは、

石と、書類と、鎧将だけだった。


鎧将は、少ししてから声を上げる。


「テンゲ族を呼べ」


すぐに応があった。


ほどなくして、金属の名手と呼ばれるテンゲ族が数体、鎧将の間へ入ってくる。

歩き方に、遠慮はない。

だが、軽率さもない。


「これだ」


鎧将は、机の上の書類を指で叩く。


「性質は、この通りだ」


テンゲ族の一体が、書類を手に取り、ざっと目を通す。


「……ふん」


鼻を鳴らす。


「金属としては、悪くねぇな」

「粘りがある」

「割れにくい」


別の一体が、首を傾げる。


「だが、魔力の話になると別だ」


鎧将は視線を上げる。


「できるか」


問いは、短い。


テンゲ族は、即答しなかった。

書類を置き、指先で机を軽く叩く。


「やってみることはできる」


正直な声だった。


「だがな」

「期待するな」


一体が続ける。


「俺たちは金属屋だ」

「火と叩きと、形を見る」


「魔力を流してどうこうするのは、専門外だ」


「合金にすりゃ多少は調整できるかもしれねぇが」

「それでも、人みたいにはいかねぇ」


鎧将は、静かに頷いた。


「……そうか」


失望はない。

怒りもない。


むしろ、その答えを想定していたようだった。


「分かった」

「礼は言わん」


テンゲ族は肩をすくめる。


「期待されねぇ方が、楽でいい」


「金属としてなら、仕事はする」

「それ以上は、別の連中の領分だ」


鎧将の視線が、扉の方へ向く。


「……ミュル族の女王を呼べ」

つづく

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