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新選組トリップ奇譚  作者: 柊 唯
第十章〜龍の背中〜

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立ち止まったその先には

 この手紙を、いつ読むべきか。

 かなたの頭の中は、その考えだけがぐるぐると駆け巡っていた。


 京の治安は、時代が変わる狭間にあって、日を追うごとに悪化していく。

 本当なら駐屯所に戻り、誰かに護衛を頼んで屯所へ帰るべきなのだろう。

 けれど、今はその屯所にさえ戻りたくなかった。


 かなたは坂本からの手紙を懐に入れ、しばらくの間、ぼんやりと歩く。

 すると、すれ違いざまに一人の男とぶつかってしまった。


「あっ、す、すみません!」


「いや、こちらもすまない」


 咄嗟に謝ると、男は被っていた笠を持ち上げる。そして、かなたの顔を見た途端、はっとしたように目を見開いた。


「中村…か?」


「あ……斎藤さん…!」


 そこには、御陵衛士(ごりょうえじ)として伊東甲子太郎(いとうかしたろう)共に新選組を出ていった、斎藤一(さいとうはじめ)の姿があった。


「お、お久しぶりです……」


 斎藤と顔を合わせるのは、御陵衛士の面々が新選組を出て以来、実に二年ぶりだろうか。

 かなたも斎藤も、互いに気まずさを覚えたまま、しばし沈黙が流れる。


 すると斎藤は、かなたの様子に何かを感じ取ったのか、わずかに目を細め、笠を深く被り直した。


「中村…今、時間はあるか?」


「え……? はい…少しだけなら……」


 かなたがそう答えると、斎藤は小路へと入り、少し振り返ってかなたを見る。


「では、茶でも馳走しよう。こちらへ来い」


 そう言うと斎藤は、迷いのない足取りで歩き始めた。

 かなたは少し面食らいながらも、慌てて彼の後を追った。





 ――――





「こんな所に、茶店があるなんて知りませんでした…」


 斎藤の後を追って入った、茶屋の椅子に座ると、かなたは店内を見渡す。


「俺もついこの間知ったんだ」


 斎藤がそう言うのも無理はなかった。

 なぜなら、店の入口や窓はすべて締め切られており、外から中の様子はまったく窺えない。


「ここの主人はどうやら、阿呆のようでな……まあ、こういう、あまり見られたくない場面には適しているがな」


 斎藤がちらりと視線を向けた先には、老婆が一人、四六時中身を震わせながら店番をしていた。

 店に入った際、茶と団子を頼んだはずだが、運ばれてきたのは茶だけだ。いや、茶だけでも出てきたのが奇跡、と言うべきだろうか。

 とにかく店内は薄暗く、客の姿は他に見当たらなかった。


 斎藤とはあまり面と向かって言葉を交わしたことがなかったので、かなたは気まずさを覚えながらも、一口茶をすする。


 斎藤はゆっくりとこちらに向き直ると、ようやく口を開いた。


「…それで、何かあったのか?」


「え?」


「ああ、いや……何となく、様子がおかしいと思っただけだ。こちらの見当違いだったなら、すまない」


 斎藤はそう言うと、少し照れたように視線を逸らす。

 その様子を見ているうちに、かなたは昨日や今日の出来事を、気づけば口にしていた。

 目の前の彼は相槌を打つこともなく、ただ黙って耳を傾けている。

 話し終えたあと、斎藤は茶を口に含み、「そうか」と短く呟いた。


「坂本龍馬が、か…」


 その口ぶりからして、彼もこの件をまだ知らなかったのだろう。

 噂が広まっているのは、今のところ四条のあたりまでのようだ。


「はい……それに、土方さんにも当たってしまいました」


 自分を戒めるような、かなたのその言葉に、斎藤はすぐには答えず、考えるように顎に手を添えた。


「副長も、中村も、どちらもよく考えた結果だろう。どちらも悪くはない。それは土方さんも分かっているはずだ。だから、そんなに気に病むな」


 そういうと、一拍置いて彼は視線を湯のみへ落とす。


「お前は知りすぎている分、背負いすぎる。だが、知っていても止められんことはある。それを無理に変えようとして、すべてを壊すより…見届けることを選んだのなら、それも一つの覚悟だ」


 斎藤の言葉は、励ましでも答えでもなかった。

 けれど、そんな言葉が今はありがたかった。

 かなたは握っていた湯のみの力を、ほんの少しだけ緩め、微笑みを返す。


「ありがとう……ございます」


 今はこの一言でしか表せないが、いつかきっと、ちゃんとした形で礼を伝えよう。

 そう心に誓ったところで、ようやく老婆が団子を机の上に置いていった。


 それを一口頬張ると、胸につかえていたものが、少しだけ和らいだ気がした。





 それからしばらくして、二人は店を出た。


「それじゃあ、ありがとうございました。おかげで、少しだけ元気が出ました」


 斎藤は店の戸を閉めると、傘を深く被り直す。

 きっと、御陵衛士の人間に見つかると色々と厄介なのだろう。


「気にするな。屯所まで送らなくて大丈夫か?」


「はい。何だか今日は、走って帰りたい気分なので…」


 そう答えると、斎藤はその顔に似合わぬ、柔らかな笑みを浮かべた。


「ふっ、そうか。では、気をつけて帰れよ」


 その笑顔に、かなたは思わずぽかんと口を開けてしまう。

 この時代に来て、斎藤と出会ってから随分経つが、彼のこんな表情を見るのは、初めてかもしれない。


「あ、は、はい! ありがとうございました! では…」


 ここで指摘してしまえば、かえって彼に気を遣わせてしまうだろう。

 そう思い、かなたは慌てて別れの挨拶を済ませると、屯所に向かって走り出した。


 斎藤は、その背中を見送ると、ただ黙って歩き出す。


 自分も、あいつのように頑張らなければならない。

 そう決意すると、斎藤は再び、無意識のうちに微笑むのだった。

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