五月雨
慶応三年 五月
朝からどんよりとした雲が広がっていると思ったら、つい先程から雨が降り出してきた。ここ数日雨が続いているので、そろそろ梅雨にでも入ったのかもしれない。
かなたは、外に干しておいた洗濯物を広間へと慌てて移動させる。
「おう、かなた。手伝うぜ」
「原田さん!ありがとうございます!」
広間で十番隊の隊士たちと駄弁っていた原田は、部下を呼んで縄を持ってこさせると、かなたが抱えていた洗濯物をそこへ掛けはじめた。
それを梁に結び、一気に引っ張って簡易の物干しを作り上げる。
「よいしょっと。これで少しは乾くだろ」
「はい!ありがとうございます」
そう答えたかなたは、ふと右腕に少し違和感を覚える。古傷、と言っても一年も経っていないが、西村屋の依頼を受けていた時に野盗に刺された傷のせいだろう。無意識に腕をさする動作に原田は指を向けた。
「それ、痛ぇのか?」
「あ、はい...少しだけ....」
「天気のせいだろうな...俺もたまにここが痛くなる」
そういうと原田は腹部をぽんっと叩いた。彼は昔、奉公先の上司と言い合いになって切腹をしてしまったのだ。酒に酔う度に腹を見せては、その頃のことを語っている。
「冬は痛みは感じなかったんですけどね」
「そういうの、来る時は来るんだよな。とりあえず、温めて今日は大人しくしとけ」
「はい。そうします」
原田は「じゃあな」と笑って、洗濯物の入っていた桶を持って部屋を出ていく。さっきまで広間にいたはずの隊士たちも、いつの間にか居なくなり、次第に強まる雨の音だけが響いていた。
(...とりあえず部屋に戻ろう)
かなたは立ち上がると、五月雨の響く広間を後にした。
ーーーーー
「かなたさん、居ますか?」
原田に言われた通り部屋で休んでいると、突然障子の向こうから声が飛んできた。
「はい...あ、沖田さん!」
障子を開けると、盆を片手に持った沖田が、にっこりと笑っている。
「腕は大丈夫ですか?」
どこで聞いたのか、彼は眉を下げながら首を傾げた。
「もしかして、原田さんから聞きました?」
「ええ。なので、饅頭を買ってきました!甘いものは元気が出ますからね!」
「わぁ、嬉しいです!」
こう見えて沖田も甘いものが好きなので、島田たちと話がよく合う。かなたは沖田を部屋へ招き入れると、早速饅頭を一口頬張った。
「まだ温かくて、美味しいですねぇ」
「やっぱり、焼きたてが一番ですよねぇ」
のほほんと流れる空気に小さな幸せが滲み出る。土方といる時の安心感も好きだが、沖田との平和な時間もたまらなく好きだ。
そう思っていると、沖田が何かを思い出したように口を開く。
「そういえば、腕の状態を聞いていませんでしたね」
「ああ、それなら、そんなに痛くないので大丈夫ですよ」
「...そうでしたか。でも、まだ雨も続きますし、無理すると悪化してしまうかもしれませんから、痛かったら早めに休んでくださいね」
「はい、気をつけますね」
沖田はかなたの笑顔を見ると、もう一口饅頭を頬張った。
「でも、雨ばかりだと何処に出かけるのも、億劫になっちゃいますよねぇ」
「そうですよね...暑いのも嫌ですけど雨ばかりも嫌ですね」
雨自体は嫌いでは無いが、出かけるとなると厄介なものだ。
「そうだ!梅雨が明けたら一緒に大坂へ行きませんか?」
「大坂...ですか?」
「ええ。海が近いから、美味しいお寿司も食べられますし...最近では、異国の物を置いている店も多いみたいなんです」
この時代に来てから、ちゃんとした寿司を食べたことがなかったので、その言葉を聞いてかなたの胸は高鳴る。
「行ってみたいです...!でも、大坂だと一日じゃ帰って来れませんよね?」
「そうですねぇ...では、泊まりで行くのはどうですか?」
にこにこと提案する沖田に、かなたの心はすでに大坂へ飛んで行ってしまっている。だが、土方が泊まりなど許してくれるだろうか。
そんなかなたの表情を見て、沖田は察したように優しく微笑む。
「じゃあ、土方さんの許可が出たら行きましょうか」
「...はい!」
雨音がしとしとと続く中、かなたは少し開いた障子の向こうを見つめる。まだ雨が止む気配はない。梅雨が明けたら、大坂の賑やかな街を見に行けるのだろうか。
そう思うと、腕の痛みも不思議と気にならなくなっていた。




