七夕祭り
慶応元年七月
夏の暑さが続く中、かなたは一軒の置屋に足を運んでいた。
「すみませーん」
声を上げると、奥から人影が現れる。
「かなたはん、お久しぶりどすなぁ」
姿を見せたのは、京・北野にある上七軒の舞妓、君菊だった。
「君菊さん、お久しぶりです」
かなたは丁寧に頭を下げる。
「今日は浴衣やんな?こっちへどうぞ」
君菊の笑顔に促され、案内された部屋へと進む。今日は前に来た時とは違う部屋のようだ。
「あの、今日は浴衣を持ってきたんです」
「まぁ、持っとったんどすか?」
「いえ....うちの局長が買ってくださって」
かなたは照れたように笑う。七夕祭りに初めて行くと言ったら、近藤が買ってくれたのだ。
「ふふふ。優しい局長はんどすな」
「は、はい....」
「ほな、着付けましょか」
そういうと君菊は、手際よく浴衣を着せていく。そういえば、いつまで男装するか分からないけれど、いつか自分でも着付けられるように、今度教えてもらわなければ。そう考えていると、いつの間にか浴衣姿に変わっていた。
「あ、ありがとうございます!」
「ええのよ。着物預かっとくさかい、楽しんでおくれやす」
「はい。お願いします!」
置屋の戸をくぐると、空はすっかり夕焼け色に染まっていた。花街にも、ちらほら人が集まり始めている。
(土方さん、どこにいるんだろう)
土方とはこの花街で落ち合う約束をしたのだが、明確な場所までは決めていなかった。かなたは辺りを見回すが、それらしき人物は見えない。
その時、不意に肩を掴まれた。
「なぁ、姉ちゃん可愛い顔してんなぁ〜。ここの新しい舞妓か??」
振り返ると見知らぬ顔の男が二人。かなたの体を値踏みするように見つめている。
「え、えと.....」
「今日は七夕だから浴衣着てんのかあ?俺らと飲もうや」
一人の男がかなたの腕を掴み歩き出す。
「あ、あの!」
なんともまあ、ベタな展開だ。めんどうな輩に絡まれてしまった。物語ならここで、白馬の王子様が助けてくれるのだが.....
どうしようかと考えていると、後ろにいた男が急に声を上げた。
「いててててててて!」
「おい!どうした!」
一人の男の腕を土方が捻り上げていた。
「俺の連れに何か用か?」
「ひ、土方さん!」
まさしく白馬の王子様だ。いや白というよりも、黒い狼のような迫力だ。でも今はそれが心強い。
「ひ、土方?!ってあの新選組の!??」
「え.....!新選組!?」
二人の男は土方の顔を見るなり青ざめる。どうやら、新選組の名前は京の広範囲で知られているようだ。
「す、すんませんしたー!!!」
逃げるように駆けていく背中を、土方がやれやれと見送る。
「ったくよ、怪我はねえか?」
「あ、はい!ありがとうございました....!」
かなたは頭を下げる。土方がなぜかこちらを凝視している。何か変なものでも付いているのだろうか。そういえば、よくよく見ると土方も浴衣を着ている。
「あの...浴衣似合ってますね!」
「あ、あぁ....ありがとよ」
土方は頭をかきながら目をそらす。褒められるのは好きではないのだろうか。そろそろ行こうかと動き出そうとした時、土方が何かを呟く。
「お前も......」
「え?」
声が小さくて聞こえなかった。それに、目の焦点が合わない。どうしたんだろうか。
「いや...何でもねぇ」
「?」
なぜか沈黙が続く。かなたは、気まずさをごまかすように声をかける。
「じゃあ....行きましょうか」
「お、おう」
目的地も知らぬまま、並んで歩き始める。どこへ向かっているんだろうか。
「あの、土方さん。今日はこれからどこへ行くんですか?」
「ああ、そこの北野天神で七夕祭りをやっててな」
北野天神というと、あの有名な北野天満宮だろうか。受験の時に両親と訪れた気がする。
北野天神に近づいてくると、段々と人が多くなってきた。すれ違うたびに肩がぶつかって、歩きにくい。
「あっ、す、すみません...」
まるで、某テーマパークのように混んでいる。このままでは、人混みに飲み込まれそうだ。
「ひ、土方さん....」
不安になって声を上げると、土方がこちらを振り返った。そして、迷いなくかなたの手を取る。
「はぐれんなよ」
「は、はい...」
触れたところから、体温がじわりと広がっていく。それは腕を伝って胸に届き、心臓が跳ねる。なんだか頭に血が上ってクラクラする。
(い、息が....苦しい.....。人酔いしたかな....)
必死に落ち着こうと視線を上げると、いつの間にか視界の先に北野天神の灯りが見えてきていた。
「着いたな」
土方が立ち止まり、かなたもつられて足を止める。境内には提灯が吊るされ、風に揺れる短冊が色とりどりに揺れている。
「わあ、綺麗....」
思わず声が漏れた。人混みの中でも、七夕飾りの優しい光に包まれて、かなたの緊張は少しずつ解けていく。
「なあ、あそこ。短冊、書いてみるか」
「そうですね!七夕と言えばこれですからね!」
かなたと土方は短冊に願い事を書き、笹に結ぶ。結び終えたところで、土方がこちらを向いた。
「なんて書いたんだ?」
「え!えっと.....新選組が良い方向に行きますように.......って」
それを聞いて、土方は苦笑する。
「お前なぁ、どんだけ俺達のこと好きなんだよ」
「いいじゃないですかー!.....じゃあ、土方さんはなんて書いたんですか?」
「まあ、俺も似たようなもんだよ」
土方も新選組の事が大好きと言っているようなものだ。
「.....じゃあ、お揃いですね!」
かなたが笑ってそう言うと、土方も笑みを零した。
ーーーー
人混みのせいか時々動悸がするので、土方にお願いして境内の隅に腰をかけることにした。かなたが夜風を深く吸い込んだとき、土方が静かに口を開いた。
「なあ......来年も来ようぜ」
「え....」
かなたは、土方の突然の言葉に胸を締めつけられた。
歴史を変えてしまったことで、これから先の出来事は、もう自分の知る史実ではないかもしれない。もしかしたら、誰かが欠けることだってありえる。
来年もまた、同じことが出来るだろうか。
そう思うと、喉の奥がひりつく。あまり深く考えないようにしていたけれど、それはずっと心のどこかに引っかかっていた。もちろん、逃げ続けるわけにはいかないことは、自分でも分かっている。
「はい!行きましょう!」
それらの感情を全て隠して、かなたはにこりと笑った。土方はその表情にどこか違和感を感じ、顔を少しを曇らせる。
「....ああ」
賑やかな祭りの音がやけに遠くに聞こえる。二人の間に、静かに風が通り抜けた。




